7話 天狗一家
「そういえば剛太、久しく実家に帰っておらんじゃろう」
縁側で茶をすすりながら、ゾクヤケシャ様がふと言った。
「そうですね、最近は麓の仕事が忙しくて、山の上まで顔を出せていません」
「たまには顔を見せてやらんと、家族も心配するぞ」
「心配というより、また小言を言われるだけな気もしますが」
剛太は苦笑いを浮かべた。
武ノ山の頂近く、東の峰に、剛太の生まれ育った天狗一族の住まいがある。
普段は麓の社で巫女として暮らしているが、月に一度ほどは山を登り、家族の顔を見に行くのが習わしだった。
「今日はちょうど、相談者もいませんし、行ってみましょうか」
「ワシもついて行っていいかのう」
「ゾクヤケシャ様がいると、また騒がしくなりそうですが、まあ、いいでしょう」
二人はシロを社の留守番に任せ、山道を登り始めた。
東の峰にある天狗の里は、麓の里からは想像もつかないほど立派な屋敷が並んでいる。
剛太の実家は、その中でもひときわ大きな、古めかしい木造の館だった。
「おお、剛太じゃないか。久しぶりだな」
最初に出迎えてくれたのは、龍太(長男)だった。
すらりとした長身に、涼やかな目元。
長い黒髪を後ろで束ね、着流し姿がよく似合っている。
武ノ山の天狗はみな長髪の美男子揃いだが、その中でも長男は一族随一の穏やかさで知られていた。
「兄さん、お久しぶりです」
「相変わらず、麓での暮らしはどうだ」
「巫女業は順調です。色々とありますが」
「色々、というのは、また誰かに恋をしているということか」
「よくお分かりで」
剛太が悪びれずに答えると、長男は苦笑して肩をすくめた。
「お前のその正直さは美点だが、少し隠すことも覚えた方がいいぞ」
屋敷の奥から、次々と兄弟たちが顔を出す。
虎太(四男)は活発な性格で、剛太を見るなり駆け寄ってきた。
「兄さん! お土産は!?」
「虎太、まずは挨拶が先でしょう」
「お久しぶりです、兄さん! それで、お土産は!?」
「同じことを言い方だけ変えないでください」
嵐太(五男)と雷太(六男)は双子のようによく似た顔立ちで、二人揃って剛太に頭を下げた。
物静かで、あまり多くを語らない性格である。
駿太(七男)はまだ若く、剛太を見ると恥ずかしそうに母の後ろに隠れてしまった。
「あら、剛太。よく来たわね」
母が奥から出てきて、優しく微笑んだ。
母もまた、天狗族の血を引く美しい女性で、その柔らかな物腰は、剛太の性格にどこか通じるものがある。
「お母さん、お元気そうで何よりです」
「あなたこそ、ちゃんと食べているの? 麓の暮らしは大変でしょう」
「大丈夫です、シロという犬もいますし、賑やかにやっています」
「まあ、犬を飼い始めたの?」
母が嬉しそうに目を細めたところで、奥からもう一人、少し硬い表情の男が姿を現した。
拳太(三男)である。
「……戻ってきたのか」
「拳太、久しぶり」
剛太が挨拶しても、拳太の表情は変わらなかった。他の兄弟と同じく整った顔立ちをしているが、眉間には常に薄い皺が寄っている。
「麓で、まだ男に恋をしているそうだな」
「ああ」
「いい加減にしろ。天狗の恥だ」
剛太の笑顔が、わずかに強張った。他の兄弟たちが気まずそうに視線を逸らす。
「拳太、その言い方はないだろう」
長男がやんわりと窘めるが、拳太は聞く耳を持たない。
「兄さんは黙っていてくれ。俺は昔から、剛太のこのふざけた生き方が気に入らないんだ。天狗の誇りを何だと思っている」
「「誇り」というのは、心の自由よりも大切なものなんでしょうか」
剛太が静かに言い返すと、拳太は一瞬、言葉に詰まった。
「屁理屈を言うな」
「屁理屈ではありません。私は、私の生き方を選んでいるだけです」
二人の間に、ぴりりとした空気が流れる。
他の兄弟たちも、母も、どう声をかけていいか分からず黙り込んでしまった。
そこへ、屋敷の奥から、ゆったりとした足音が響いてきた。
「何を騒いでおる」
現れたのは、白髪を長く伸ばし、深い皺の刻まれた顔に、鋭くも穏やかな目をした老人、天狗の長、剛太たちの祖父(中峯)である。
「じ、祖父さん」
拳太が一瞬、口をつぐんだ。祖父は杖をつきながら、ゆっくりと剛太の前まで歩み寄る。
「剛太、久しいのう」
「はい、お祖父さま。ご無沙汰しております」
「元気そうで何よりじゃ。麓の暮らしは楽しいか」
「はい、とても」
祖父は満足げに頷き、それから拳太の方へ視線を向けた。
「拳太、お前はまた、剛太に説教していたのか」
「祖父さん、俺はただ、天狗としての在り方を」
「在り方か」
祖父は静かに笑った。
「天狗の在り方とは何じゃ。誰を愛するか、誰に心を動かされるか、それはすべて、その者自身が決めることじゃ。誰かに強制されるものではない」
「しかし、剛太はいつも人間の男にばかり」
「だから何じゃ」
祖父の声は、決して大きくはなかったが、その場にいる全員を黙らせるだけの重みがあった。
「天狗は自然を守り共存し、何事にも自由じゃ。剛太が誰にどう恋をしようと、それはこの家の恥ではない。むしろ、己の心に正直に生きる姿は、天狗として誇るべきものよ」
剛太は思わず、目頭が熱くなるのを感じた。
「お祖父さま」
「まあ、そう毎回失恋してばかりでは、少し心配にもなるがのう」
祖父がふっと悪戯っぽく笑うと、その場の空気が少し和らいだ。
「そ、それは言わないでください」
「はっはっは。おおーゾクヤケシャよ、久しいのう」
「中峯、相変わらず元気そうじゃな」
ゾクヤケシャ様が親しげに祖父に手を挙げる。二人は長い付き合いらしく、気安い様子で言葉を交わした。
拳太はしばらく黙っていたが、やがて静かに屋敷の奥へと戻っていった。その背中を、剛太は複雑な思いで見送った。
「拳太は、まだ納得していない様子ですね」
「あやつは真面目すぎるだけじゃ。悪気があるわけではない」
「わかってはいるんですが」
剛太は小さくため息をついた。長男が横から肩を叩く。
「気にするな。拳太もいずれ分かる時が来る。それより剛太、今日は泊まっていくのか?」
「いえ、社の留守番もありますし、今日は日帰りで」
「そうか、また来い。母も喜ぶ」
その後、家族は久しぶりの再会を喜び、母の手料理を囲んで賑やかな時間を過ごした。
四男は結局お土産をねだり続け、五男と六男は静かに剛太の話に耳を傾け、七男は少しずつ距離を縮めて剛太の隣に座るようになっていた。
夕暮れが迫る頃、剛太とゾクヤケシャ様は屋敷を後にした。
「今日は色々とありましたが……来てよかったです」
「中峯の言葉、良かったのう」
「はい。ああ言ってもらえると、救われる気持ちになります」
山道を下りながら、剛太は峰の連なりを振り返った。東の峰、中の峰、西の峰、それぞれに天狗一族が暮らし、それぞれの生き方がある。
(拳太とは、いつかちゃんと話をしなければいけません)
そんなことを考えながら歩いていると、ふと剛太の耳に、あの低い声が響いた。
『――武ノ山が、泣いている』
剛太は思わず足を止めた。
「どうした?」
「いえ、また、あの声が」
ゾクヤケシャ様の表情が、わずかに曇る。
「今日は特に、強く聞こえた気がします」
「気のせいであればよいがのう」
二人は無言のまま、麓への道を急いだ。
振り返ると、東の峰の空だけが、夕焼けにしては不自然なほど、赤黒く染まっているように見えた。




