4話 庭師と植木と神託
健吾との縁が「合掌」で終わってから三日。
剛太はすっかり日常を取り戻し、いつも通り縁側で空を眺めていた。
「傷が治るのは早いのですね、私の心は」
「立ち直りが早すぎて、逆に心配になるのう」
ゾクヤケシャ様が呆れたように言う。剛太は涼しい顔で茶をすすった。
「切り替えの早さは、私の数少ない美点です」
「美点その一が『恋の切り替え』とは、なかなか個性的じゃな」
そんな会話を交わしていたところに、境内の入口から、がさりと物音がした。
「あの、この辺りの植木、手入れは如何でしょうか」
現れたのは、年齢の頃は三十代半ば、麦わら帽子を被った男だった。
腕まくりした袖からは、剪定を繰り返してきたであろう、太くしなやかな腕がキラリ覗いている。
手には剪定鋏と大きな麻袋。
「私、庭師をしている者です。近くを回っていて、この社の木々が伸び放題になっているのが気になって失礼ながら、声をかけさせていただきました」
剛太の視線が、瞬時にその腕へ吸い寄せられた。
(この腕、剪定鋏を握り続けた者だけが持つ、しなやかな筋肉、これはまた違う種類の尊さです)
「ようこそいらっしゃいました! ぜひ、手入れをお願いしたいです!」
剛太は満面の笑みで応じた。ゾクヤケシャ様が横で「早いのう」と小さく呟いたが、聞こえないふりをする。
「では、早速拝見させていただきます」
庭師の男、名は真木と名乗った。
境内の木々を一つひとつ見て回った。
剛太もその後をついて回りながら、こっそりと筋肉恋愛帳を懐に忍ばせる。
「この松、枝が伸びすぎていますね。ここを、こう切ります」
真木が鋏を構え、太い枝に刃を入れる。ぱちん、という乾いた音とともに、枝が落ちた。
その一瞬の動作で、腕の筋がぐっと浮き上がる。
(美しい、剪定という行為そのものが、筋肉の芸術になっている)
「巫女様も、よろしければ一緒にやってみませんか」
「や、やらせていただきます!」
剛太は張り切って鋏を受け取った。
しかし手つきはあまりに不慣れで、狙った枝の隣の枝を切ってしまう。
「あ、そこじゃなくて、こっちです」
真木が後ろから手を添えて、剛太の手を導いた。大きな手が、剛太の手をすっぽりと覆う。
「こう、角度をつけて」
「は、はい」
剛太の顔が、じわりと赤くなる。すぐ後ろに真木の体温を感じ、耳元で低い声が響く。
この距離感は、健吾との一件を思い出させて、剛太の心臓がまた勝手に高鳴り始めた。
(また、この感じ、また来ています)
鋏を持つ手を導かれ、狙った枝が綺麗に落ちる。
「うまく切れましたね」
「あ、ありがとうございます」
剛太はそっと目を逸らしながら、筋肉恋愛帳への記入を心の中で決めた。
『第二恋 真木さん。腕★★★★★。手を添えられた瞬間、危険域』
庭仕事はその後も続いた。真木は根気強く、丁寧に教えてくれる。
剛太もいつしかドキドキしながら作業に没頭し、気づけば夕方になっていた。
「今日はここまでにしましょう。だいぶすっきりしましたよ」
真木が汗を拭いながら、整った境内を見渡す。剛太もその横に並び、満足げに頷いた。
「ありがとうございます。おかげで、社全体が明るくなった気がします」
「巫女様のお役に立てたなら、嬉しいです」
その笑顔に、剛太の胸がまた小さく跳ねる。
「そういえば、お告げをいただくことはできますか?」
「お告げ、ですか?」
「実は今、独立して庭師をやっていくべきか、今の店に残るべきか、少し迷っていて」
真剣な表情でそう言われ、剛太はハッとした。
「な、なるほど、それは神託を仰ぐべき悩みですね!」
剛太は慌てて社の奥から鈴を持ってくる。ゾクヤケシャ様が興味津々にひょこりと顔を出した。
「おぬし、今日も神託やるのか」
「今日は今日のお告げがありますので」
剛太は正座し、鈴を鳴らした。空気が変わり、社に静かな緊張が満ちる。
舞を始めた瞬間、剛太の耳の奥に、また例の低い声が響いた。
『武ノ山が、泣いている』
舞の手が、わずかに乱れる。あの声だ。
健吾の一件の時にも聞いた、あの遠く重い声。
(また……この声……)
動揺しながらも、剛太はどうにか舞を続けた。だが、意識が二つに分かれてしまい、口から出た言葉が思わぬ方向へ転がる。
「神意を伝えます――『炎と植木と犬を極めし者に、道が開かれる』」
「え?」
真木が首をかしげる。
剛太自身も、しまったという顔になった。
(また間違えました、ゾクヤケシャ様の分と、なにかが混ざってしまったようです)
「あ、その、失礼しました。少し混線しました」
「混線、するものなんですか、お告げって」
「たまにあるんです。近くにいる神様同士で、電波が混ざることが」
剛太が真顔で言い訳をすると、ゾクヤケシャ様が横でぷるぷると肩を震わせて笑いを堪えていた。
「もう一度、やらせてください」
剛太は再び鈴を鳴らし、深く息を吸った。今度は集中力を保ち、丁寧に舞う。
長い袖が風のように揺れ、黒髪が瀧のように流れる。優雅な動きに、真木は言葉を失って見入っていた。
「神意を伝えます『己の手で育てたものは、いずれ大きく育つ。今の場所で根を張るか、新しい土地へ移るか、それはあなた自身が一番よく知っている』」
真木は目を丸くして、しばらく黙っていた。
「ありがとうございます。なんだか、答えが見えた気がします」
剛太はほっと安堵の笑みを浮かべた。
と、ここで、どんな時でも愛を狙う愛の狩人、剛太の本性が静かに動き出す。
(せっかくいい雰気なのです。この流れ、逃す手はありません)
舞い終えた直後、剛太はふらりと足元を揺らした。
「きゃっ……!」
舞い疲れたふりをして、見事に真木の腕の中へ。
その胸板の硬さに、内心天まで昇りそうになる。
(成功! 完璧なタイミングでした!)
「だ、大丈夫ですか!?」
「ええ、少し、力を使いすぎて」
上目遣い。潤んだ瞳。演技ではあるが、心臓は本気でバクバクだった。
真木の腕が、剛太の背をしっかりと支えている。
作業着越しに伝わる硬さは、剪定という地味な仕事の裏に隠された、確かな筋肉の証だった。
「無理しないでください」
真木の優しい声が、耳元に落ちてくる。低く、穏やかで、少し心配そうな響き。
(やだ、惚れる!)
剛太は、真木の胸に頬を寄せたまま動けなかった。
(このまま時間が止まればいいのに)
風が境内を優しく吹き抜け、夕日が二人の影を長く伸ばす。
そのとき。
「で、どうじゃった? 愛と筋肉の進展は?」
社の陰から、ふわりと熱気をまとった気配が現れた。
「ゾクヤケシャ様、タイミング悪すぎです!」
剛太は思わず飛び上がるように真木の腕から離れた。突然のことに、真木も驚いて剛太を離す。
「あ、いえ、大丈夫です! もう、力も戻りましたので!」
剛太は慌てて姿勢を正し、笑顔を作った。
ゾクヤケシャ様はニヤニヤと笑いながら、聞こえるように呟く。
「進捗報告、期待しておるぞ」
「静かにしてください!!」
真木は不思議そうな顔をしながらも、特に深く追及はしなかった。
「巫女様、今日は本当にありがとうございました。おかげで、進む道が見えた気がします」
「い、いえ、こちらこそ、色々とお世話になりました」
剛太は名残惜しさを抑えながら、丁寧にお辞儀をした。
真木が帰り支度を始めた頃、麻袋から小さな鈴のついた首輪が転がり落ちた。
「あ、これは、少し前に、この辺りの樹海の入口で迷い犬を見かけたので、拾って持ち歩いていたんです、役所に届けようと思いまして」
「犬、ですか」
剛太の脳裏に、先ほどの神託の言葉が過った。
『炎と植木と犬』
(もしかして、この犬のことを言っていたのでしょうか)
「巫女様、何か気になることでも?」
「いえ、少し、気になることがあって。もしよろしければ、その首輪、少しお借りできますか?」
「ええ、どうぞ」
剛太は首輪を受け取り、じっと見つめた。小さな鈴が、かすかに音を立てる。
真木が山を下りていく背中を見送ったあと、剛太はゾクヤケシャ様に向き直った。
「ゾクヤケシャ様、この犬、探してみようと思います」
「ほう、殊勝な心がけじゃな。で、恋愛帳にはなんと書くのじゃ」
「『第二恋 真木さん。腕★★★★★、胸板★★★★★(実測済み)。今後の進展、犬の捜索次第』」
「実測済みとはなんじゃ」
「先ほど、直に測定しました」
「おぬし、倒れる演技までしておったのか」
「愛の狩人に、機会損失はありません」
剛太は堂々と言い切り、首輪を懐にしまって樹海の方角をじっと見つめた。
夕暮れの風が、社の鈴をちりんと鳴らす。
その音の向こうで、武ノ山はまだ静かに、何かを抱えたまま佇んでいた。




