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恋する巫女は筋肉しか見えない!~神のお告げは百発百中。でも恋だけは毎回大外れ~  作者: たかつど


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2/11

2話 恋する大工さん

 

 朝から社の境内に、木槌の音が響いていた。


 カン、カン、カン。

 その音に合わせて、剛太の心臓も小さく跳ねる。


「おはようございます」


 声をかけると、大工の男が振り返った。名は健吾と名乗った。作業着の袖を肘までまくり上げ、額にはすでに汗がキラリ光っている。


「おはようございます、巫女様。今日から本格的に直していきますね」

「よろしくお願いします」


 剛太は深々と頭を下げた。長い黒髪がさらりと肩から流れ落ちる。

 その所作の美しさに、健吾は思わず目を細めた。


(見られている……。ふふ、当然です。私は美しい巫女ですから)


 内心でそう呟きつつ、剛太は縁側に座って、修繕の様子を「見守る」ことにした。


 もちろん本音は違う。

 健吾が屋根の梁に手をかけ、腕を伸ばす。作業着の裾がめくれ、腹の筋肉がわずかに見える。

 剛太の視線が、瞬時にそこへ吸い寄せられた。


(腹筋六つとはいかないが、四つはしっかり見える、尊い)


 次に健吾が木材を担ぎ上げる。肩から背中にかけて、筋肉の線がくっきりと浮き上がる。


(あああ肩甲骨が動くたびに、背中全体が波打つ、これは芸術です)


 剛太は膝の上に置いた筋肉恋愛帳を、そっと取り出した。表紙には特に何も書かれていない、ただの古びた和綴じの帳面である。


 だが中身は、剛太の恋の記録。

 そして戦績(?)が詰め込まれた、極めて重要な資料であった。


 筆を取り、静かに書き込む。


『第一恋 健吾さん。腕★★★★★。今日、新たに背筋の美しさを確認。追加加点』


 真剣な表情で筆を走らせる剛太の様子は、遠目には巫女が神聖な書を記しているようにも見える。実際には筋肉の採点表を作っているだけなのだが。


 しばらくして、剛太は「そろそろお茶を」と思い立ち、縁側から立ち上がった。


 湯呑みを二つ、盆に乗せて運ぶ。健吾は屋根の上から下りてきて、ちょうど木材を組み直しているところだった。


「健吾さん、お茶をどうぞ」

「ありがとうございます、巫女様」


 健吾がこちらを向いた瞬間、剛太の視線がまたその胸元に吸い寄せられる。

 作業着の合わせから覗く鎖骨と、その下の分厚い胸筋。歩きながら見惚れていたのがまずかった。


 地面に置かれた木材の切れ端に、剛太の足がひょいと引っかかった。


「あっ――」


 盆が大きく揺れ、体が前のめりに傾く。湯呑みが跳ね、視界がぐらりと回った。


「巫女様!」


 健吾がとっさに手を伸ばし、剛太の体を受け止める。

 どすん、というよりは、すっぽりと。剛太の体は健吾の胸に抱き込まれる形で止まった。


 目の前に、健吾の顔があった。近い。息がかかるほど近い。日に焼けた頬に、汗の粒がひとつ、こめかみから流れていく。


 剛太は、思わず言葉を失った。


(近いというか、これは)


 健吾の腕は、剛太の背中と腰にしっかりと回っていた。その腕の硬さ、体温、鼓動、全てが、剛太の頭を真っ白にする。


 二人はしばらく、そのまま見つめ合った。

 風が境内の木々を鳴らし、日差しが二人の間に細く差し込む。時間が止まったような、奇妙に甘い静けさが流れた。


(これは、これは、まさか……)


 剛太の心臓が、これまでにないほど大きく跳ねる。頬が熱くなるのを自覚しながら、それでも視線を逸らせない。

 健吾の瞳の奥に、自分の顔が映っているのが見えた。


「あ」


 二人同時に、ハッとした。


「す、すみません! 急に離してしまうと危ないので、その、こう」

「い、いえ、私こそ、足元を見ずに歩いてしまって」


 慌てて二人が体を離す。剛太の顔は真っ赤で、健吾も気まずそうに視線を逸らしていた。


「お茶、かかってませんか? 湯呑みが倒れて」

「大丈夫です。ほとんどこぼれてないです。ただ、少し」


 健吾が自分の袖を見て、苦笑した。作業着の袖口が少し濡れている。


「すみません、拭くものを」


 剛太が慌てて手拭いを取り出そうとした瞬間、健吾もほぼ同時に自分の手拭いを差し出してきた。二人の手が、ふわりと触れ合う。


 一瞬、どちらも動きを止めた。


(手が触れた!)


 剛太の内心で、静かにガッツポーズが決まる。


(ナイス! これは、大きな進展です!)


 表情には出さないよう、必死に平静を保つ。だが口元はどうしても緩んでしまう。


「あ、ありがとうございます」

「いえ、こちらこそ危なかったですね、すみません」


 健吾は照れたように頭をかき、剛太も俯きながら小さく笑った。

 その様子を、社の陰からゾクヤケシャ様がじっと見つめていた。


「ほほう」


 誰にも聞かれぬよう、そう呟いて、にんまりと笑みを浮かべる。

 剛太は気づかないまま、まだ胸の高鳴りを抑えられずにいた。


「巫女様、何を書いてらっしゃるんですか?」


 健吾が休憩の合間に声をかけてきた。剛太はビクッと肩を震わせる。


「こ、これは神託の記録です。日々の御神託を、忘れぬように記しておかねばなりませんので」

「へえ、そういうものがあるんですね」

「はい。とても大切なものです」


 剛太は帳面をぱたんと閉じ、慌てて懐にしまい込んだ。健吾は特に疑うこともなく、また作業に戻っていく。


(危なかった)


 安堵した剛太の背後に、ふわりと熱気が立った。


「今、何を書いておったのじゃ?」

「ぎゃあっ!」


 剛太が思わず声を上げる。振り返ると、そこにはニヤニヤと笑うゾクヤケシャ様が立っていた。


「ゾ、ゾクヤケシャ様、いつからそこに!」

「さっきからじゃ。おぬしが一心不乱に何か書いておるから、気になって見ておったのじゃ」

「見てないですよね?」

「見たのじゃ」


 剛太の顔から一気に血の気が引く。ゾクヤケシャ様は懐から、いや、剛太の懐から、するりと帳面を抜き取ってしまった。


「あ、返してください!」

「『腕★★★★★』……『背筋の美しさを確認、追加加点』……なんじゃこれは!」


 ゾクヤケシャ様は帳面を開き、声高らかに読み上げる。慌てて剛太が飛びつくが、身長差と機敏さでかわされてしまう。


「返して、返してください!!」

「これはもしや筋肉の採点表かのう!?」

「そ、それは」


 剛太は顔を真っ赤にして俯いた。もう隠しきれない。


「そうです。筋肉恋愛帳です。私が恋をした男性の、筋肉の評価と、その後の顛末を記録しているものです」

「ぶわっはっはっはっは!!」


 ゾクヤケシャ様は腹を抱えて大笑いした。境内に響き渡るほどの豪快な笑い声に、健吾が驚いて振り返る。


「あ、あの、大丈夫ですか?」

「大丈夫です、大丈夫です! ちょっとした発作ですので!」


 剛太は慌ててゾクヤケシャ様の口を塞ぎ、健吾に向かって笑顔を作った。健吾は不思議そうな顔をしながらも、作業へ戻っていく。


「おぬし、真面目な顔して恐ろしいことしとるのう」

「これは立派な研究です。筋肉という芸術を後世に伝えるための、貴重な記録なのです」

「研究のわりに『既婚』『婚約中』『失恋』ばかりじゃないか」

「それは私の努力が及ばなかった結果であって、記録の価値とは関係ありません」


 剛太が真顔で反論するので、ゾクヤケシャ様はまた笑いが止まらなくなった。


「おぬし、絶対どこかで泣くぞ。その帳面、いつか読み返して号泣するタイプじゃ」

「まさか。失恋のたびに新しいページを書くだけの、単なる記録です」


 剛太はそう言い切ったが、ゾクヤケシャ様の言葉は、なぜか胸の奥に小さく引っかかった。





 夕方になり、健吾が道具をまとめて帰る支度をしていた。


「今日はありがとうございました、巫女様。屋根の傷んでいたところ、だいぶ直りましたよ」

「本当にありがとうございます。おかげさまで、雨漏りの心配もなくなりそうです」


 剛太が丁寧にお辞儀をすると、健吾は少し照れたように頭をかいた。


「明日も来ますので。まだ縁側の板とか、直したいところがいくつかありますから」

「ぜひお願いします」


 剛太は満面の笑みで頷いた。

 もちろん本音は「毎日筋肉を拝める!」である。

 健吾が山を下りていく後ろ姿を見送りながら、剛太は懐から帳面を取り出し、そっと開いた。


『第一恋 健吾さん。腕★★★★★、背筋★★★★★。人柄も誠実。明日も継続予定』


 その横で、ゾクヤケシャ様がにやにやと覗き込んでいる。


「明日も継続、なんて書いておるが、この後、既婚だったとか彼女がいたとか、そういう展開になるのがおぬしの十八番じゃろう」

「そんな縁起の悪いことを言わないでください」

「経験則じゃ」

「経験則で不幸を予言しないでください!」


 二人の声が、夕暮れの山に響いた。

 だ、剛太の脳裏には、昨日聞いた、あの低く重い声がまだ残っていた。


『武ノ山が、泣いている』


 あの声は何だったのか。誰の声だったのか。

 考えようとしても、健吾の背筋の記憶がすぐに思考を上書きしてしまう。


(今はいい。健吾さんのことで頭がいっぱいですから)


 剛太はそう結論づけて、帳面を懐にしまい、社の奥へと戻っていった。


 まだ何も知らない剛太は、今夜もまた、恋の予感に胸を膨らませて眠りにつくのだった。


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