1話 恋する巫女様、本日も営業中
異世界の西端にそびえる山がある。
そのふもとに、お告げで有名な小さい社があった。
そこに住むのは、一人の美しい巫女。
澄んだような透明で清浄の漂う巫女であった。
黒髪は瀧のように流れ、肩から背へと絹の帯のようにこぼれる。
瞳は夜のように深く、まつ毛の先まで静けさを纏っている。
立てば白磁の人形のよう、歩けば水面に映る月のよう。
参拝に訪れた者は皆、その姿を目にした瞬間に言葉を失い、去り際にはため息をもらす。
地元では「巫様」と呼ばれ、遠方からわざわざ拝みに来る者もいるほどであった。
……が。
彼(そう、彼)は、男である。
正体は山に棲む天狗族の末裔、乱獅子剛太。
厳つい名前だか本人は気に入っている、でも、本名は内緒なのである。
そして、 本人曰く「巫女は趣味、天狗は秘密、性別はミステリー」らしい。
ただし、この巫女様、弱点が一つあった。
筋肉に弱い。
特に日焼けした逞しい腕や、盛り上がった肩、汗を纏った背中の広い男を見ると、心臓が勝手に舞い始めるのだ。
◇◇◇
「誰も来ませんねえ」
今日も巫女が住む武ノ山は平和だった。
社の縁側で、巫女装束のまま伸びをした剛太が、ため息とともに空を仰ぐ。
その横顔は、絵画から抜け出てきたかのように整っている。長い睫毛が影を落とし、白い肌に朝の光が透けて見える。
まさに「巫女」の名にふさわしい、清らかで美しい姿だった。
だが、口から出る言葉はまるで似合わない。
「退屈すぎて筋トレしそう」
その瞬間、ふわりと熱気をまとった気配が現れた。
「お〜いー!巫女や〜い、生きておるか?」
現れたのは、炎の塔の守護者にして、エロトーク界の女帝こと、ゾクヤケシャ様。
赤い衣装に炎のような髪、明るい笑顔と口の悪さがトレードマークである。
目元のアイラインは炎のように鮮やかで、燃えるような髪はふわりと癖づき、背には赤く翻る法衣がはためいている。
「ゾクヤケシャ様、また突然……今日は何の用ですか?」
「エロ話に決まってるのじゃ!」
「やっぱりですか……」
二人は心の友、ズッ友である。
温泉で何度も一緒に語り明かしている。
その内容の半分以上が恋バナと筋肉談義なのだが。
「この前の温泉で見たあのガタイのいい男性、覚えておるかのう?」
「ええ、覚えていますとも。肩の盛り上がりが芸術的でした」
「そうなのじゃ!あの筋肉、反則なのじゃ!」
「わかります! あの肩甲骨の動きだけで三分は語れます」
社の奥で、二人の声が楽しげに響く。
清浄な巫女と炎の女神が、神聖な社で筋肉談義に花を咲かせる。罰当たりにも程がある。
「そういえば剛太、最近いい男は見つかったのか」
「武ノ山には筋肉質な男がいないんですよ。天狗はみんな細マッチョで、私はもっとゴリゴリした人が好みなのに」
「贅沢な悩みじゃのう」
「贅沢とは失礼な。これは切実な悩みです」
剛太が真顔で言うので、ゾクヤケシャ様は肩を震わせて笑った。
そんな中、唐突に声が響いた。
「すみません! どなたか、いらっしゃいますか!」
二人が同時にピタリと動きを止める。
剛太が入口へ出てみると 、そこには、陽に焼けた屈強な男が立っていた。
肩幅が広く、腕には生きた蛇のように筋肉の流れが浮いている。
作業着の袖はきつく張り、腰には道箱、肩には長い木材を担いでいる。
眉は真っ直ぐで意志の強さを感じさせ、声は低く、腹の底から響くような太さがあった。
筋肉がキラリと輝く。
「お告げをいただきたいのですが」
その瞬間。
剛太の脳内で鐘が鳴った。
(あ……好き……!)
一瞬で筋肉に惚れる。
表情には出さず、即座に笑顔モードを起動する。
長い睫毛を静かに伏せ、口元にだけ微笑を浮かべる絵に描いたような、清浄な巫女の顔。
「いらっしゃいませ。私が武ノ山神社の巫女です。どうぞこちらへ」
普段の冷静な態度が一瞬で消え、愛想の良い接客巫女へ変貌した。背後でゾクヤケシャ様が呆れている。
「ちょ、さっきまで死んだ魚みたいな目してたのじゃ!?」
「ゾクヤケシャ様、今は神聖な儀式の最中です。お引き取りを」
「出たな、恋のスイッチ!」
「お帰りください!!」
ゾクヤケシャ様は柱にしがみついた。
「いやじゃ!面白そうだから見るわい!帰らん!」
「見学料取りますよ!」
どんなに引っ張っても柱から剥がれないため、
結局、炎の守護者付きの神託となった。
「それで、ご相談とは?」
恋の狩人モード発動、剛太は上目遣いで尋ねた。内心はドキドキである。
「俺、大工なんです。最近伸び悩んでいて、何か助言もらえないかと」
真剣なまなざし。木材を担ぐ肩の筋肉が、太陽の光を受けて輝いている。日焼けした肌に汗が一筋流れ、襟元へと消えていく。
(尊い、働く男の筋肉には、また違う輝きがある……!)
「な、なるほど、それは神の導きを仰ぐ時ですね!」
慌てて正座し、鈴を取り出す。鈴が鳴った瞬間、空気が変わった。
先ほどまでの軽薄な雰囲気は消え、社全体が静かな緊張に包まれる。
剛太が舞を始めた。
長い袖が風のように揺れ、鈴の音が空へ溶ける。黒髪が舞うたびに光を弾き、瀧のように流れ落ちる。
その動きは優雅で神々しく、神を降ろす儀式そのものだった。
男性は言葉を失い、ただ見つめていた。
「すごい。まるで本物の神様みたいだ」
「一応、本物の天――いや、巫女ですから」
剛太が慌ててごまかす。ゾクヤケシャ様がニヤリと笑う。
「今、天って言いかけたのじゃ?」
「気のせいです!」
再び鈴を鳴らし、剛太が神の言葉を口にしようとした、そのとき。
剛太の耳にだけ、低く重い声が響いた。
『――武ノ山が、泣いている』
舞の動きが、一瞬止まる。
誰の声だ。ゾクヤケシャ様ではない。
もっと遠く、山そのものから響くような、地の底から染み出るような声だった。
「巫女様? どうかされましたか?」
大工の男に声をかけられ、剛太は慌てて笑顔を作った。
「い、いえ。少し集中していただけです。神意を伝えます
『この社の修繕、力を貸す者に幸あれ』」
適当にまとめて誤魔化す。
ゾクヤケシャ様が横目でジロリと剛太を見た。
「おぬし、今なんか別の声、聞いてなかったか?」
「聞いてません」
「顔が真剣じゃったぞ」
「気のせいです」
剛太は鈴をしまい、営業スマイルに戻る。
心臓はまだ、あの声の余韻でざわついていた。
だが今はそれよりも、目の前の筋肉が気になって仕方がない。
「というわけで、社の修繕、ぜひお願いします!」
「よろしくお願いします」
差し出された手は大きく、硬く、日焼けしていた。握手をしながら、剛太の胸はまた勝手に高鳴る。
(今日から毎日、筋肉が拝める!)
ゾクヤケシャ様が小声でつぶやいた。
「愛の狩人、また命中じゃな」
「うるさいです!!」
夕暮れが近づき、大工の男は「また明日来ます」と言って山を下りていった。その広い背中が見えなくなるまで、剛太はずっと見送っていた。
「はぁ」
ため息をつく剛太の隣に、ゾクヤケシャ様がどすんと座り込む。
「で、どうじゃった?」
「最高でした。前腕の血管が、本当に、芸術的で」
「そこじゃない。あの声のことじゃ」
剛太は少し黙った。夕陽が山を紅に染め、風が木々を鳴らしている。
「やっぱりゾクヤケシャ様も聞こえていたのですね。わかりません。初めて聞きました。武ノ山が泣いている、と」
「気になるのう……」
「でも今は、それより大工さんのことで頭がいっぱいです」
「おぬし、それでいいのか」
「いいんです。恋と謎は両立します」
剛太はきっぱりと言い切って、筋肉恋愛帳を取り出した。
真新しいページに、丁寧な字で書き込む。
『第一恋 大工さん。腕★★★★★。肩幅も見事。今後の進展に期待』
こうして、武ノ山のふもとの社には、新たな筋肉信仰の風が吹き始めたのである。
そして今日も、剛太は祈る。
どうかこの恋が、神にバレませんように。




