8-7 咲
「古来より、鏡は呪術の触媒として頻繁に使われていました。かく言う私も鏡台を使った儀式に関わっていたわけですが……」
穂積さんがそう言いながら手鏡を子細に調べている。娘さんの部屋ではあれ以上の発見はなかったのと、夜も更けてきたので最初の部屋に戻ってきて、手鏡を見てもらっている。
「またお前ばかりおいしい思いをして……」
そう言いながら冬弥がタオルケットを頭からかぶって恨めしそうにしている。
「僕だって狙ってやってるわけじゃないし……。何事も無いんだったらその方がいいよ!平穏が一番なんだから」
僕がそう言うと、冬弥はあからさまにつまらなそうな顔をする。冬弥には平穏と言う言葉が気にいらないらしい。そう言い合っていると、確認し終わったのか、穂積さんが丁寧に手鏡を返してくれる。
「この手鏡を持っているからと言って、特に悪い影響はなさそうに思えます。何か呪術的な印象を受けたのですが……」
穂積さんはこの手鏡に何かを感じているみたいだけど、今の所おかしなところは見当たらないらしい。そしてこの手鏡が現れた時の状況から考えても、僕が持っておくのがいいだろうということになった。
とりあえず割れないようにタオルで巻いて、僕の荷物の中に入れておく。
「それでは明かりを消しますよ?」
穂積さんがそう言って、部屋を照らしていたランタン型の照明に手を伸ばす。アウトドアなんかでも役に立ちそうな、充電式のランタン型LED照明。これも穂積さんの持っていたものだ。
「俺はいいよ」
「ボクも大丈夫です」
僕たちは穂積さんが貸してくれたタオルケットにくるまって、寝る体勢になって返事をする。
「はい、ではおやすみなさいませ。よい夢を……」
穂積さんのその言葉を最後に、部屋は暗闇に包まれた。それだけ疲れていたのか、僕は目を閉じるとすぐに訪れた眠気に身を委ねるのだった。
◆◆◆◆
--お客様。
どこからか涼やかな声が聞こえた気がする。
「お客様……」
もう一度、今度はもう少しはっきりした大きさで、先ほどの声が聞こえた。横を向いて寝ていた僕がゆっくりと瞼を開けると、柔らかい日差しが降り注ぐ庭が見えた。
……ん?ああこれは夢か。僕は廃墟で寝ていたはず。ぼんやりと見ている庭にはたくさんの種類の花が咲きを争うようにして咲き誇っている。
夜が明けたとしても、あの廃墟で見ることができるような景色じゃない。
「お客様」
僕の背後からはっきり聞こえてきた声に、僕はゆっくりと上半身を起こして声が聞こえた方に目を向ける。するとそこには、きれいな着物に身を包んだ黒髪の女性が、整った仕草で額を畳に擦り付けるような姿勢で、僕に頭を下げていた。
「な、どうしたんですか!と、とりあえず頭を上げてください」
ほとんど土下座と同じ格好の女性がそこにいたことに驚くよりも先に、僕は思わずそう言っていた。
「いえ……何のゆかりもないお客様にお願いをしないといけません。わたくしには、こうして誠意を表すほかはないのでございます」
そう言ってその女性は頭を上げようとしない。僕はその女性の頭を上げさせようと手を伸ばしたけど、どこに触れたらいいのか分からず、伸ばした手は空中でさまよっていた。
「わっ、わかりましたから!その誠意は確かに受け取りましたから!」
仕方なく言葉でそう伝えると、ようやくその女性は頭を上げてくれた。そこで初めてその女性が自分とそう変わらない年齢であると気付いた。
「ふわ……」
綺麗な所作で僕の前に座っている少女を見て、僕は口を開けたまましばらく呆けてしまっていた。
真っ直ぐ流れる上質の絹のような黒髪は畳まで届いていて、日の光を浴びて艶やかに輝いている。着ている着物は間違いなく娘さんの部屋で見た小振袖だと思うけど、汚れと劣化でくすんでいた着物は、本来の美しさを取り戻している。
単体ではやや派手な色合いなのに、少女のきれいな黒髪と調和して、むしろ落ち着きさえ感じるものになっている。
思わず見とれている僕に、少女は困ったような笑みを浮かべている。
「あ、ごめんなさい!じろじろ見てしまって……」
我に返った僕が慌てて謝ろうとするのを、少女はやんわりと留めた。
「どうかそのままで……。今更このような浅ましい姿を見せているのはわたくしのほうです」
そう言って悲しそうな顔をする少女を見て、僕は思わず声を上げていた。
「あ!君はお屋敷で見た……」
僕がそう言うと、少女は眉を下げたままうっすらと微笑んだ。
「申し訳ありません。ゆっくりと言葉を尽くしてお話したいのですが、時間がありません。わたくしは小島咲と申します。鏡を在るべき位置に……戻していただけ……でしょうか」
「あ。ちょ……」
時間がないというのはこのことなのか、話している内にもだんだんと咲の身体が薄れていき、言葉も途切れ途切れになっていく。
咲は悲しい顔を僕に向けたまま、ゆっくりと消えていった。
ずっと悲しそうな顔のまま、最後にはまた顔が畳に着きそうなほど深くお辞儀をして……。
あのきれいな少女に一体何があったんだろう。そう言えば小島って言ってたな。
確か冬弥が言ってた、呪いを掛け合ったもう一件の家が……
気付けば、そう考えている僕の思考も薄れていき……真っ暗になった。
「おい、起きろ!逢介!」
再び気づけば、僕の目の前には冬弥の顔があった。冬弥も、その後ろにいる穂積さんも心配そうな顔をしている。
「夢?か……。どうしたの?」
そう言いながら身を起こそうとして、僕は異変に気付いた。僕の顔を何かが這うような感触を感じた。
ぽたり
僕のあごを伝ってその感触の正体がポタリと落ちた。下を向くと穂積さんから借りているタオルケットも濡らしてしまっている。
「……え、これは?何が起きて」
動揺する僕の肩を冬弥が掴んだ。
「どうしたも何も……起きたらお前が寝ながら泣いているからさぁ。びっくりして起こしたんだけど、なかなか目を覚まさないから心配したんだぜ?」
「泣いている?僕が?」
顔を触れると確かに濡れているし、タオルケットを濡らす水分の説明もつく。ただ、なぜ泣いているのかの説明はつかない。
「何か悲しい夢でも見たのか?」
珍しく神妙な顔をして冬弥がそう聞いてくる。どうも大分心配をかけてしまったらしい。さすがに少し申し訳なく思いながら、涙の原因を思い出そうとしたけど、頭の中に濃い霧がかかったようにぼんやりとして、何も思い出せなかった。
「あれ……」
それでも、何か大事なことを忘れているような気がして、僕は何度も頭を振ったりしてみたが、頭の中の霧は晴れてくれなかった。




