7-1 お師匠さま来襲
夏休みも半分ほど過ぎたある日。僕は珍しく自発的に教科書とノートを開いて学習していた。
そろそろ夏休みの宿題をある程度終わらせておかないと、休み最後の方が悲惨なことになるからだ。
僕の後ろでは、僕のベッドにうつ伏せで寝転んで紗羅がマンガを読んでいる。
紗羅はもうメドがついているらしい。
--おかしい。夏休みの日数は同じはずなのに……。遊ぶ時は大体一緒にいるのに。
紗羅は僕より一日の時間が長いんじゃなかろうか。本気でそう考え始めた頃、ピロンとメッセージの着信音が聞こえた。
それは僕の目の前、テーブルに飲みかけの麦茶と一緒に置いてあるスマホからだった。
僕のものより新しい機種で、僕がゲーセンで取ったマスコットを付けているそのスマホが、着信を知らせるための白いランプが明滅している。
「紗羅?なんかメッセージきてるみたいだよ?」
「うーん?」
僕が声をかけると、聞いているのかどうかわからないような返事が返ってくる。マンガの方に夢中になっているようだ。
「紗羅ってば!大事な連絡だったらどうすんの?」
そう言うと、紗羅はちょっとだけこっちを見て言う。
「そんな大事なことなんてない。どうせ父さんがつまんないことを送ってきてるだけ!」
そう言うと再びマンガに集中してしまった。
「しょうがないなぁ」
ぶっちゃけ、僕も十中八九紗羅が言う通りだと思ってるけど、万が一がある。
僕は紗羅のスマホを取ると、紗羅のところまで持って行った。
「ほら、一応見ときなよ」
そう言って渡そうとすると、驚くようなことを言い出した。
「面倒だからおーちゃん見て。父さんだったら適当に返事しといて」
「いやいや……。」
僕は呆れた顔になって、それはダメでしょ!と、言おうとしてやめた。
どうせ、「おーちゃんに見られて困るものはない」とか言うんだ。それなら少し恥ずかしい思いをした方が今後のためかもしれない。
そう考えた僕は、わざとらしく言った。
「いいんだね?見るよ?紗羅の個人情報見放題だなぁ!」
そう言ったものの、紗羅に全く動じた様子は見えず、静かな部屋に、ぺらりと紗羅がページをめくる音だけが聞こえる。
「…………」
だめだ、ここで負けてちゃだめだ。もういっそほんとに見て、メールが何かを見てやろう。
ところが本当に見ようとして僕はやっと気づいた。
「いやだめじゃん。ロックかかってるんだから……。もう、紗羅それを分かって言ってたね?」
どこかで、少し安心しながら僕がそう言うと、またぺらり。
「んーん、おーちゃんのも登録してるから顔認証で開くはず」
「はっ?」
びっくりしてスマホを見ると、本当に僕の顔を認証してスマホは待ち受け画面になっていた。
「ちょ、紗羅……」
もう、僕はどこからツッコメばいいのかわからなくてなっているところに、再びピロンという音と共に紗羅のスマホがメッセージを受信した。
紗羅も一般的によく使われているメッセージアプリを使っている。そのアプリではメッセージを受信した時、そのメッセージの最初の二行くらいは、画面の上部に表示されるようになっている。
わずかな時間だけど、そこに表示されたのは……
「ん?ついた?どういうこと?」
誰か友達が遊びにくるようになっていたんだろうか。でもそれなら今ここで僕の部屋でグダグダしているのはおかしい。
紗羅、普段着だし。
ええい、もう。いいや!
僕はスマホを操作して、メッセージアプリを立ち上げて、さっきの着信を探す。
ずらっと並んだ相手の名前の横に数字が出ているところをタップするとトークルームが開いた。
『ちとそっちに急用ができて、急遽行くことになった。悪いがお前さんの家に泊まるから迎えに来ておくれ。もうすぐ駅に着くから』
一回目のメッセージはこうで、二回目のメッセージはさっき見た通りだった。
『ついた』
と、短い文面だった。
送信元は……汜瑙ちゃん。なんで読むんだ?
「ねぇ、紗羅?誰か急用で紗羅ん家に泊まりにくるみたいだよ?しかも駅に着いたから迎えに来てって」
僕がそう言うと、途中までページをめくった手がピタリ止まった。
「……おーちゃん、誰から?」
普段出さないような低い声で紗羅が聞いてくる。その雰囲気に少し気圧されながら僕はさっき見た名前を伝えた。
「し……のう?なんて読むのかわかんないよ。なんとかちゃん!」
そう言うか言わないうちに、素早く起き上がった紗羅は僕の手からスマホをもぎ取る。
「…………」
そして無言でスマホを見つめている。
「紗羅?」
声をかけると、ピクッと肩が跳ねる。一体どうしたんだろう。割と物事に動じないタイプの紗羅がこんなに動揺するのは珍しい。
そう思いながら眺めていると、紗羅は油の切れた機械みたいにギギギと音が聞こえそうな動きで僕の方を見た。
「お師匠様が来る」
「え?」
「わたしのお師匠さまが、沖縄から来る。ていうか、来た。わたしの家に泊まるらしい」
平坦な声でそう言った紗羅は、そう言ったきり固まった。
さっきの難しい文字の人は紗羅のお師匠だったのか。いや、そんなことはどうでもいい。
「え、紗羅……もう駅まで来てるって。早く迎えに行かないと待たせちゃうんじゃ」
なぜか僕の方が慌ててしまい、腰を浮かせながらそう言うと、紗羅は首を振った。
「んーん、そこで黙って待ってるようなお師匠さまじゃない。きっとあちこち興味のあるものを見て回ってる。きっと騒ぎになってる。どうしようおーちゃん……」
だんだんと眉毛を下げてきた紗羅が泣きそうな顔になった時点で、僕は紗羅の手を取って立ち上がった。
「よくわかんないけど、それならなおさら早く行かないと!ほら、僕もついて行くから、ね?」
そこまで言うと、ようやく紗羅はコクコクと首を縦に振った。
ここから駅まで自転車急げば十五分でつく。
僕たちは出していた教科書やノート。シリーズごとベッドの上に引っ張り出されている単行本もそのままに、部屋を飛び出して行った。
僕たちの家の最寄駅は意外と大きく、出入り口も西口と東口がある。
信号待ちの時に紗羅にメッセージを送ってもらって確認したところ、紗羅のお師匠さまは西口から直通しているデパートにいるとのこと。
「どうして駅から出るかな?」
思わずそう言いながら自転車を漕いでいると、紗羅は抑揚のない声で言う。
「うん、おーちゃんの言いたいことは分かる。でもそれがうちのお師匠さま。デパートでももう移動してるはず」
なんの感情も表さない顔で紗羅がそう言った。
「え?そこで待ってるように言わなかったの!?」
紗羅が言うことに僕は驚きながらそう聞いた。しかし、紗羅は諦めた顔で首を振る。
「言った。一応……。でも多分じっとしてない。そんな人だから」
「ええ!?」
そこからが大変だった。移動しているはずという紗羅の予想に基づいて、デパートの隣にあるホームセンターに行ってメッセージをすると、ホームセンターは通り過ぎて本屋にいると言う。
「く、お師匠さま……お年寄りのくせに動きが早い……」
紗羅も焦り出している。
「おーちゃん、本屋の隣に衣類の量販店があるけど、きっとそこも行き過ぎてると思う。少し離れるけど雑貨屋さんがあったはず。そっちに行ってみよう!」
そう言うと紗羅は、途中で道を折れて雑貨屋を目指し出した。
「いくはなんでも!雑貨屋さんって結構離れてなかったっけ?」
ペダルを漕ぐ速度は緩めずに、叫ぶように言うと、紗羅も大声で返してきた。
「お師匠さまならそれくらい動く。お年寄りだけど足腰は達者だから」
紗羅はそう言ったが、本屋から雑貨屋までは自転車でも五分では着けないくらいの距離がある。お師匠さまはお年寄りで、しかも徒歩なんだからそんな離れたところに行けるかな?
そう思ったけど、全力でペダルを漕ぐ紗羅には何も言えず、僕はついて行くしかなかった。
「はぁ……はぁ……いない。おーちゃんちゃんそっちは?」
汗を拭きながら雑貨屋さんで端と端から手分けして探していた僕らは、結局それっぽい人は見かけないまま合流した。
「ていうか、僕は見たことないんだからさぁ、見落としてる可能性もあるよ?」
両手を膝について、息を整えながらそう言うが紗羅は大丈夫だと言う。
「お師匠さまはすごい独特。わたしが言った特徴を知らなくても、見たら印象に残る」
それってどんな人!?
しかも、紗羅が言うお師匠さまの特徴とか、機敏な動きをするお婆さんで、派手な服装。日焼けした肌にパイナップルみたいな髪型。というものだった。
確かに話を聞いただけで目立ちそうな特徴だけど、それって現地にいる時はそんな格好してるかもしれないけど、旅行の時はもっと違う格好をするんじゃないの?
そう思ってると、僕のスマホがメッセージを着信した。メッセージアプリ経由じゃなく、電話番号だけで送れるショートメールだ。
知り合いだと、ほぼメッセージアプリを使うから、こんな時に誰だよ……と呟きながらスマホをタップして、僕の目玉は飛び出るんじゃないかと思った。
僕を見て首を傾げている紗羅に、震える手でスマホを見せる。
紗羅も吹き出しそうになった。
僕のスマホには、知らない電話番号からショートメールでこう来ていた。
『すまんすまん、紗羅の携帯が電波が不安定みたいでの?見て回るのもつまらんから駅に戻る。そう伝えておくれ』
そう来ていた……。




