6-5 蒔子
「このコーヒーカップ、それと……おそらく使われたコーヒーの種類もこの家のものではないですね」
続けて高橋さんが言った言葉に、僕は目の前が暗くなりそうな衝撃を受けていた。
--コーヒーカップがこの家のものじゃないなら、どこから来たのさ!その上使ってる豆まで違うって言うなら、このコーヒーは一体……いや、もはや本当にコーヒーなのかも怪しくなってきたぞ。
そう思っている僕の隣で、子細にコーヒーカップを眺めていた高橋さんは、香りを嗅ぎ……
「ふむ」
と、何かを確信したように頷くと、おもむろにカップに口をつけた。
「あっ!」
思わず声を出してしまった。だって、どこから出てきたのかも分からない、得体の知れない飲み物を……。そんな僕の思いをよそに、一口含んでゆっくり味わうように飲んだ高橋さんは、冬弥に向かって言った。
「やはりそうです。このカップもコーヒーも、ご実家で使われているものと同じですね」
「ええっ!?」
また思わず声が出る。紗羅とあきらも意味が分からないというような顔をしている。
「実家?間違いないか?」
冬弥が確認するように聞くと、高橋さんは迷うことなく頷く。
「ええ。奥様がいらっしゃったとき、一緒に買いに行って散々吟味したのを覚えています。このカップも奥様が気に入られて窯元に直接依頼したものと同じです。量販店には売っていない物ですので間違いないかと」
高橋さんは相当自信があるのか、迷いのない口調で言う。冬弥もどこか納得してしまっている様子だ。高橋さんのことを疑うわけじゃないけど、コーヒー豆の種類なんてたくさんあるだろうし、カップも同じものは売ってないとしても、そんなに珍しい見た目じゃないから、似たような物はいくらでもあると思うけど……。
口にこそ出さなかったけど、そう考えてることが伝わったのか、冬弥が僕に向かって教えてくれた。
「高橋はさ、俺の専属になる前はずっと母さんの専属だったんだよ。俺の母さんも……なんていうか自由人というか……いや、俺は話でしか知らないんだけどさ」
そう言って笑う冬弥の表情は、どこか寂しそうだった。
家族のことを話す時、いつも面白くなさそうに話す冬弥だけど、お母さんのことは特別なのかもしれない。でも、知らないということは……。
そう考えていることは丸わかりだったんだろう。冬弥は僕の顔を見て吹き出しながら言った。
「そんな顔すんなって!……まぁ、そうだな。寂しくないと言えば嘘だよな。そう、母さんは俺が物心ついた時には亡くなってた。高橋は母さんの願いで俺を世話してくれてるんだよ」
そう言って冬弥は、優しい目で高橋さんを見た。
「今は私の意思で冬弥さんのお世話をさせて頂いてます。冬弥さんのお世話は私以外には務まらないと自負してますので……。まぁ、それはさておき、冬弥さんのいう通り私は以前冬弥さんのお母様、蒔子さまにお仕えしておりました。そのカップを注文しに行ったのも私ですし、コーヒー豆専門店で長時間かけて一緒に豆を選ぶ時もそばにおりました。蒔子さんがあまりに悩むのでお店の方が困る顔が今でも思い出せます」
目を閉じて高橋さんはそう語った。冬弥の暴走癖はお母さん譲りだったのかもしれない。
「なので、私がそのカップと豆を間違えるはずはないのでございます。カップには窯元の名前も入ってますし、豆は少し珍しいブレンドなのです」
そういうと高橋さんは大事そうにカップをテーブルに戻した。
「えっと……結局どういうこと?」
あきらが困惑した顔をして呟く。このコーヒーが冬弥のお母さんが選んだ物だったとして、なぜそれがここに?って話だけど……。
どこか思い出の余韻に浸っているような表情をしている高橋さんに視線が集中する。
高橋さんもそれを感じたのか、居住まいを正して僕を見た。
「逢介さん。私見ですが、言わせてもらってもよろしいでしょうか?」
「は、はい!」
胸に手を当て真剣な顔でそう言われて、僕は裏返ったような変な声で返事をしてしまう。高橋さんの陰で笑ってる冬弥……覚えてろ。
「私が思うに、これは蒔子さんのちょっとしたイタズラと歓迎の気持ちかと……。」
優しく微笑んで高橋さんはそう言った。
「え、でも冬弥のお母さんは……」
僕が言い淀むと、高橋さんは全部言う前に頷いた。
「ええ、蒔子さんはすでにお亡くなりです。ですが、逢介さんならそういうこともあるかな?と、思いまして」
と、高橋さんはイタズラっぽい笑顔でそう言った。
「た、高橋さぁん!高橋さんまでそんなこと……」
僕が情けない声を出すと、冬弥はゲラゲラと、紗羅とあきらもクスクス笑い出した。
優しい笑顔に戻った高橋さんは、そんな僕を見て続けた。
「生前蒔子さんはとてもお茶目な方でございました。旦那様のお客様でも、気に入った方には自ら出迎えて……メイドの格好をしてお茶を出したりすることもありました。本家にはまだ蒔子さん用のメイド服が残っているはずでございます」
それは、そのお客さんも困っただろうな……。お茶を吹き出したりしなかったかな?
と、僕は変な心配をしてしまう。そして、そのお客さんに妙な親近感を抱いてしまった。
「そっかー。じゃあ逢介は気に入られてるってことだな!よかったな逢介」
よかったのか?でも、無下によくないよとも言えない空気に僕は変な顔をしていたんだろう。冬弥は僕の顔を見て、また大笑いしていた。
「でも、どうして二つ?あ、冬弥の分かな?」
そう言って、僕の前にあるカップと、さっき高橋さんが少し口をつけたカップを見る。
すると、それには紗羅が答えた。
「おーちゃん。おーちゃんにも冬弥くんのお母さんみたいな人がいる。おんなじように冬弥くんを見守っているなら、わたしたちの知らない所で会ってるかもしれない」
「あっ、お姉ちゃん……」
ハッとして、そう口にすると、高橋さんがしまったという顔をした。
「おっと……それはとても申し訳ないことをしてしまいました。逢介さんのお姉さんのコーヒーを飲んでしまいました。蒔子さんが頬を膨らませているのが目に浮かびます。申し訳ありませんが、私が淹れなおしたもので勘弁していただきましょう」
そう言うと高橋さんは立ち上がり、自分でキッチンの方に行ってお湯を沸かし出した。
「あ……」
その時だった。無意識に高橋さんがキッチンに行くのを目で追っていると、その途中に一瞬だけ見えた。
メイド服の女性が、ちょっと怒りながらも仕方ないなぁって様子で高橋さんを見ているのを。
「あっ……」
その時思い出した。ここに入ってくる時に見かけた物を。
僕は立ち上がって壁際にある大きな棚に近寄った。そこには色々と高そうな物が並んでいるけど、その中にあったはずだ……。
そんな僕が気になるのか、みんなも僕の後ろまで来て様子を見ている。
「あっ!やっぱり」
僕はそれを見つけてもう一度声を上げた。
それは棚に置かれた写真立て。
中には厳格そうなおじさんと、ドレスのような服を着て赤ちゃんを抱いている女の人が写っている。
「そのお写真は冬弥さんが生まれた時、ご実家の庭で撮られた唯一三人で写ってるお写真でございます。旦那様は世界中を飛び回っておいでですし、蒔子さんもこの後すぐに体調を悪化させ、ずっと病院でございましたから……逢介さん、もしかして?」
コーヒーを淹れた高橋さんがそう言いながら、自分が口をつけてしまったカップを脇に避けて新たなコーヒーを元の位置に置いた。
そしてハッとして僕の顔を見る。
僕はもう見えない、さっきメイド服の女性が立っていた所に目を向ける。
「高橋さん。この写真に写ってる冬弥のお母さんって、だいぶイメージ違いません?」
僕がそう聞くと、高橋さんは笑いながら頷いた。
「その写真は旦那様のご友人に配るために撮ったもので、蒔子さんは確かに普段と違い、とても澄まして写ってますね。……やはり見えたんですね?」
僕はゆっくり頷いた。だいぶ写真とはイメージが違うから確信はないけど。
僕は見えた人の特徴を説明した。
「背はあまり大きくなくて、目が冬弥によく似てた。そして、この写真で見るよりずっと若く見えた」
それを聞いて高橋さんは満足するように頷く。
「間違いないですね。蒔子さんは、言い方は悪いかもしれませんが、とても子供っぽいといいますか……小柄で童顔だったこともあって、あまり年齢通りには見られませんでした」
懐かしそうな顔をしながら、高橋さんがそう言った。
そして、僕が見つめる先に視線を向ける。自然と他のみんなもそこを見つめていた。
僕の目には、写真よりもずっと若く見える冬弥のお母さんが、バレちゃった!って顔をして笑いながら隠れるようにみんなの視線から逃げるのが見えたような気がしていた。




