5-9 よく分からない何か
全員が押し黙るなか、激しい雨の音と雷鳴。そして部屋も前を行き来する湿った足音だけが聞こえている。
特に足音は気のせいかだんだん大きくなってきている気がする。
ぺちゃ……
今も扉の前まで来て止まった。
無言で全員が扉の方に視線を奪われる。今にも扉が開くんじゃないか、中に入ってくるんじゃないか……そう考えると心臓がオーバーヒートするんじゃないかって言うぐらい激しく拍動する。
ぺちゃ……
しばらく扉のところで佇み、また足音は遠ざかる。
それを聞いて肩の力を抜く。ずっとこの繰り返しだ……。
「……朝になったら出て行きます。ご迷惑をかけてすみませんでした」
憔悴した顔で穂積さんがそう言って頭を下げた。隣で見ていた瑞穂さんも理解していなさそうだったが、穂積さんを見て一緒に小さく頭を下げた。
冬弥はそれを見てため息をついた。
「まぁ、お母さんには悪いけど自業自得なんだよなぁ……。な?蒲生」
冬弥が言うと、話を振られた紗羅も頷く。
「うん。つらいのはわかるけど娘を犠牲にして自分が楽な世界に行こうとするのは違うと思う」
その言葉につらそうに顔を伏せる穂積さん。
その時ドーン!と爆音が響き、辺りを真っ白に染めた。
僕は見てしまった。廊下に面する窓に映った影を……稲光りに照らされて見えた影は、めちゃくちゃだった。
人型と言えなくもないというくらいの姿に、何本も腕が生えているのか色んな方向に向かって伸ばしていた。
「やっぱり……普通に生きてる人にも影響を及ぼせないくらいの弱い存在も、裸の魂では防ぎきれずに取り憑かれて……色んなものを取り込んでる。今は一番強い念に従って動いてるだけ」
紗羅がいうには、低級の霊たちが集まってしまって、色んな霊の複合体になっているんだろう、とのこと。
「冬弥、何か思いついたの?なんか余裕そうだけど……」
僕が顔を寄せて言うと、腕をグルグルと回しながら冬弥は言った。
「うーん……思いついたっていうか、分かったっていうか……。でも、俺にもさっき見えたからこの状況をもう少し味わいたいというか……」
声をひそめて話していたんだけど、しっかり高橋さんには聞こえていたみたいで、血相を変えて冬弥に向かって詰め寄ってくる。
「冬弥さん!何か言って……。ああもう……、これは旦那様に報告しないといけない案件ですよ。もう私だけの胸に納めておくには難しいですよ?」
「あっ、待って!高橋、親父はめんどいから、そこはなんとか!お願い!」
冬弥は親にバレるのがまずいのか、必死に高橋さんを拝み倒している。
高橋さんもそんな冬弥を見て、大きなため息をつくと仕方なさそうに言った。
「では冬弥さんの考えを話して下さい。何か思いついたんでしょう?人の目につかないうちに、二人の姉妹の行き先を決めてここから出て行ってもらう必要がありますし、三面鏡も撤去しないといけないんですからね!」
そう言われて、冬弥は「わかったから!」と、必死で高橋さんに言っている。
穂積さんは、冬弥の言うことを聞いてポカンとした顔になっている。ただここから追い出すだけじゃなくて行き先まで考えてくれるということと、それは今の状況を打破するアテがあるということだからだ。
「あの……」
恐る恐る問いかけてくる穂積さんに、高橋さんに許してもらった冬弥が頭をかきながら説明した。
「いや、今の話をまとめるとさ、大体見えてくるじゃん?これまでよく分からない何かだったのが」
そう言って冬弥は僕たちを見た。
「な?逢介、蒲生」
僕たちの方に振ってきた冬弥を睨みながら、僕は紗羅に訊ねる。
「どうかな紗羅?」
「おーちゃんが手伝ってくれるなら余裕。何者かわかれば大したことない。低級霊にまとわりつかれた迷子の魂。ぶっ飛ばすけどいい?」
そう言った紗羅は、最後に確認するように穂積さんを見た。
穂積さんは、何を言ってるのか理解できていなさそうだったけど、何度も頷いていた。
いつの間にかあれだけの激しく降っていた雨が小降りになっていた。
◆◆ ◆◆
「いいよ、解いて」
紗羅の合図と共に、穂積さんは部屋の四隅に貼っていたお札のようなものを剥がした。
するとそれまで廊下を行き来していた足音が、標的を見つけたみたいにこの部屋に向かって来る。
ぺちゃ……ぺた……ずるっ……
「なんか違う音が増えてる気がする……」
嫌な顔をしながらそう言う僕の顔を紗羅が見上げて微笑んだ。
僕は紗羅の首を後ろから抱くような姿勢でいる。母親の位置を知らせるために、紗羅がこうした方が一番いいと言うから……
なぜか、あきらまで熱心に薦めてくるからやってるけど、さっきから怖いんだかなんだか分からないドキドキがしている……。
そんな僕の心中なんか関係なく、足音は扉の前までやって来て……ゆっくりと扉が開いていく。
|(わだしのみずほぉ〜?ここにいルのかぁい?)
部屋の中に気持ち悪い空気が入ってきて、水の中で喋っているような不明瞭な声が聞こえてくる。
「ひっ!」
小さく声をあげたのは穂積さんだろう。
きぃぃぃ……
ゆっくりと軋む音をさせながら扉が開く。そこには白い着物を着た女性が立っていた。
その瞬間稲光りが部屋を照らして、しばらくしてから遠くで雷の音がした。
見た目は普通の人に見える目の前の女性の、稲光りで浮かび上がった影は何人もの人がくっついたような、歪な形をしていた。
「みずほぉ〜?」
その女性は、周りにいる僕たちのことなど目に入っていないのか、瑞穂さんに向かって手を伸ばす。
「襟湟〜」
その瞬間、ソレの言葉が聞き取れなくなった。例の名前を言ったと何となく分かった。
みんなの視線が瑞穂さんに集まる。そばに寄り添っている穂積さんがその背中を軽く叩いた。
瑞穂さんは無邪気な顔で変わり果てた母親の姿を見ると言った。
「私の名前はみずほだよ〜?お母さん」
瑞穂さんがそう言った瞬間、母親の動きがピタリと止まる。
やがてわなわなと震え出すと、狂ったように叫びだした。
「襟湟!襟湟ぉ!私の心を癒す、それだけのためにぃ!おまえはぁ!」
狂ったように叫ぶ母親を、冷めた目で見ていた紗羅がポツリと言った。
「……毒親。子供はお前の持ち物じゃない」
「きぃやああぁぁ!」
母親は悲鳴とも叫び声とも言えるような声をあげ、そう言った紗羅に向かって動き出す。
「紗羅、来るよ。正面、2メートル、1……今」
僕の声と同時に、腕の中から弾かれたように紗羅が飛び出した。叫び声を上げ出した頃から形が崩れて何体もの霊体が合体したような形になっている母親に肉薄した紗羅が右拳を振り抜いた。
どしぃ
女の子が出してはいけないような音を出して、母親がブレる。刹那ぐるりと身を翻した紗羅の足が高々と上がり、母親の顎を蹴り抜く。
紗羅の得意なコンビネーションだ。流れるような二連撃に、それだけで何体かの霊体が剥がれる。
「キィィヤアアアァァ!」
叫び声を上げる母親に対して、紗羅の動きは止まらない。蹴り抜いた回転を止めずに、腹、足と回転しながら回し蹴りを喰らわせている。
弱い霊体は一撃ごとに剥がれて消えて行き、最後に母親の魂らしき存在だけが残った。
スッと動きを止めた紗羅が、憎々しげに見て来る母親と視線を交わす。
「お前は現世に戻って来ることはできない。楽園に行くこともできない。どこだかわからないとこで、反省するといい」
そう言うと紗羅はそれまでの回転の動きではなく、矢のように飛び出した。
一直線に突き出した紗羅の足が貫くように母親の腹にめり込む。
いや、めり込むように見えた。
紗羅の足が母親のお腹を蹴り抜いて、母親は大きな口を開けて顔を歪ませながらゆっくりと姿を消した。
と、同時に部屋にあった三面鏡の鏡が弾けるように割れた。




