5-8 儀式
一連の流れを僕はびっくりして声も出せないで見ていた。
もう鏡に変わったところはない。
紗羅が鏡の表面を軽く叩いて「おーい、副島?」と呼びかけているけど、もう波紋みたいな模様は現れない。
「むー、逃げられた。最悪相打ちでもいいと思ったのに……」
そう言いながら僕の方を向いた紗羅はしっかりと両目が開き、紗羅の顔を見つめる僕としっかり目が合った。
「おっ、おーちゃん?」
「すごいよ紗羅!目、目が治ったんだね?あの姿見の霊を利用しようとするなんて!」
僕は嬉しくなって、今の状況も忘れて紗羅の両手を握ってはしゃいだ声をあげる。
紗羅は目を丸くしていたが、その目もすぐに柔らかく弧を描き僕を見た。
「ふふ……おーちゃんが見える。同じ鏡に縁のある幽霊だからなんとかなんないかなーって思ったら、勝手にビビって返してきた。おーちゃん、指は?」
言われて僕はずっとはめていた手袋を外した。
「黒くなってないし、動くよ紗羅!」
ほら!と紗羅の目の前に姿見の一件以来真っ黒になってろくに動かなかった指を見せると、紗羅はそっとその指に触れて良かった……と微笑んだ。
「僕の指なんかより、紗羅の目だよ。……ちゃんと見えるんだよね?」
「うん、しっかり見える。ふふ……おーちゃん嬉しそう」
そう言い合っていると、あきらも側に来て一緒に喜んでくれた。
「すごいね、紗羅ちゃん。姿見の時の霊を呼び出すなんて。そんなこともできたんだ」
あきらが感心したように言うと、紗羅は少しはにかんだように笑って、小さく首を振った。
「んーん、勘。でも、条件は似てるからいけるかなって思った。霊力の高まる時間と気候。深夜一時から三時くらいまでは霊力が高まるって聞いた。そして気候、本当は満月がいい。でも今日みたいな嵐の日も高くなるらしい。そして一番大事なのは縁。縁を結ぶってことが霊にとって大きいことは、この屍華御前の件で味わった。副島はわたしの目を奪ってるから、縁は強くて太い」
紗羅がそう語ると、僕もあきらも感心して紗羅を見つめた。
「でも、今の状況をどうにかすることはできなかった……」
少しムッとしたように紗羅は言うが、霊に奪われた視力が戻ってきただけでもすごいと思う。
「副島は執着の塊って言ってたね。それは娘に対する執着ってことかな?」
あきらが、副島が言ったことを思い出しながら言う。確かにそんなことを言っていた。
「うん、わたしはそう思う。儀式のために自分の娘を使ったり、誰にもわからない名前をつけたりするのは、娘を自分の所有物にするためだと思う。まじないとかを他人に対して使うとき、本当の名前を知ることはとても大事。わたしの知ってるまじないを使う人達はみんな通り名を名乗ってるくらい」
紗羅がそう説明する。都市伝説でも娘に読み方のわからない名前をつけて、本人にも教えないって内容だったと思う。紗羅はそれをその娘は、術者である母の持ち物だとするためなんだと言う。
「私もそう思う。最後に名前を告げるのは、娘自身にも母親の持ち物だということを理解させるためなんだ」
三人で話していると、背後からそんな声が聞こえてきた。声の方を見ると気がついたのか、穂積さんが上半身起こしていて、それを高橋さんが警戒していた。
「重ねて迷惑をかけてしまってごめんなさい。まじないって使ってると相手の影響も受けちゃうのよ。もう大丈夫よ」
嬉しそうに側に寄ってくる瑞穂さんに、微笑みながら穂積さんはそう言った。
「この部屋はいつまで安全ですか?」
穂積さんが目を覚ましたことで、再び緊張した様子で高橋さんがそう聞いた。
たしかに、今一番大事なことだ。
しかし、聞かれた穂積さんは表情を歪めて視線を落とした。
「……ごめんなさい。私はちゃんと修行した術師じゃないから、血筋と実家に残っていた資料を見てやってるだけなの」
申し訳なさそうに穂積さんがそう言うと、ますます険しくなった高橋さんが続けて聞いた。
「では、いつまでもつかわからないと?今効果がなくなって部屋に入ってくる可能性もあると?」
「…………はい」
高橋さんの追求に、言いにくそうに穂積さんは頷いて答えた。
「状況は思ったよりも最悪です。私としてはこの二人をすぐに外に放り出すべきだと思います。この方が言っていることが本当なら同情する余地は十分にありますが、だからといって冬弥さんや逢介さん達が危険な目にあう必要はありません。ここはもう冬弥さんの持ち物なんですから」
厳しい口調で高橋さんは、穂積さん達を見ながら言った。
穂積さんは何も言い返せず俯いている。
部屋の中を気まずい沈黙が支配する。
高橋さんの言うことはもっともだけど、外はひどい雨風が吹き荒れている。
雷もずっとゴロゴロ鳴り響いている。
そんな中放り出すのは少し可哀想な気もするけど……ここは冬弥の持ち物だから僕たちには何も言えない。
高橋さんと俯く穂積さん達姉妹を見ていると、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「まぁ、待てよ高橋……」
「冬弥さん!」
見ると冬弥が目を覚ましたのか、顔をこっちに向けて起きあがろうとしていた。気づいた高橋さんがすぐにそばまで行って、冬弥の背中を支えている。
「さっき蒲生が言ったろ?霊にとって縁は重要だって」
そう言った冬弥に僕は呆れた顔を向ける。
「紗羅が言ったって……起きてたの?」
僕が言うと冬弥はへへっと笑う。
「まあな。でも完全に起きたわけじゃなかったんだよ。ちゃんと起きたのはさっきだ」
僕にそう返した冬弥は、再び高橋さんの方を向いて続けた。
「ここはもう二人のお母さんにバレてるワケだろ?今二人を追い出して、どこか俺たちの知らないところでまた人避けのまじないを使ったら、お母さんは気づかずこっちに来ちゃう可能性がないか?」
それを聞いた高橋さんは、ばっと穂積さんの方を見た。そして、穂積さんは申し訳なさそうに頷いた……。
「はぁ……」
高橋さんから特大のため息が出る。
それを苦笑いを浮かべて見ていた冬弥は、高橋さんに向かって言う。
「だから追い出すのはなしだ。それよりも情報が欲しい。なぁ、儀式を意図的に邪魔したみたいなこと言ってたよな?俺も話の概要は知ってる。一体どの部分をどう邪魔したんだ?」
高橋さんの手を借りて、上半身を起こした冬弥が穂積さんに向かってそう訊ねた。
僕たちも冬弥の近くに座って話を聞く。
「このまじないは体の一部を段階的に鏡に供えさせられます。爪、歯、髪、そして魂……なので精巧に作ったウィッグを姉さんに渡して提出させました。……そして姉さんが十六になった時、姉さんの髪を食べた母の魂は身体から抜け、鏡に開いた扉から楽園とやらに行くはずでしたが、儀式が不完全だったために扉が開かなかったはずです。それから母の魂らしきものが姉さんを求めてやってくるのです」
「扉が開かなかったら、元の体に戻ったりはできないのか?」
そう聞いた冬弥に穂積さんは首を振る。
「そう都合よくはできないはずです。私は追ってくる母の魂から逃れるために実家に行き、資料を探していくつかのまじないのやり方を覚えて……途中見つけた空き家に逃げ込んだというわけです」
穂積さんは儀式を邪魔することで、まじないが発動しないようにするつもりだったのに、それがこんな結果になるとは思っていなかったそうだ。
「中途半端に発動したってわけか。魂だけってもう無敵じゃね?」
冬弥は困った顔をして、僕たちに向かってそう言った。すると、それに紗羅が首を振って言った。
「師匠から聞いたことがある。人の魂は本来肉体の奥底で守られている。魂だけだと守りがとても弱いらしい。だから魂を体の外に出すような術式は厳重に守られた場所でしかできないって……」
紗羅の話を聞いて僕はゾッとした。僕は普段見ないようにしているけど、生きている人が妬ましくて手を伸ばしてくる霊は結構たくさんいる。ほとんどの霊は存在も薄くて力も弱いから何もできないだけで……。そんな奴らの前に裸の魂があったら……
思わずそう口にした僕の言葉を紗羅が続けた。
「多分その魂はもう原型を留めてないと思う」
それを聞いた穂積さんは、よくない顔色をますます青くさせていた。




