5-7 縁-えにし-
ひた……ひた……ぴちゃ……ぺちゃっ
聞こえてくる足音に時折混じる水気の音が、恐怖感を煽ってくる。
雨は叩きつけるように振っているし、雷もまだ近いようだ。
「その人避けのまじないとやらが、どれくらい保つのか……逢介さん何か感じますが?」
高橋さんは、すっかり僕の霊感を信じてしまっているようで、時々そうやって僕に意見を求めてくるようになった。
「今はまだ何も……ただ、冬弥と穂積さんにかかっていた黒いモヤは薄くなって消えそうです」
僕がそう言うと、高橋さんはホッとした顔でそうですか。と返してきた。
立場的にも冬弥が心配なんだろう。ずっと冬弥の方を気にしているから……。
「すみません、私は年長者として皆さんを救うべき立場にいるのですが、なにぶん私には分からない世界の話なので……」
高橋さんの方を見ていたら、僕の視線に気づいた高橋さんは、そう言って謝ってくる。
「そんな!高橋さんのせいじゃないですし……。冬弥も穂積さんも早く目が覚めるといいんだけど……」
なんとなくだけど、黒いモヤは穂積さんが使ったというまじないの残渣だと思う。そういう術を行使すれば、きっと使った方にも悪い影響があるんじゃないか、と。
人を呪わば穴二つとはよく言ったものだと思う。
ひた……ぴた……ぴちゃ……
また足音が聞こえる。すると、紗羅とあきらが寄り添うようにしやがら僕の近くにやってきた。
「おーちゃん。わたし聞いてたけど、足音のやつ。この部屋の前を行ったり来たりしてる。だから……」
そこまで言うと紗羅は困ったような顔をした。多分紗羅の言ってることを理解した僕の顔色が悪くなっていったからだろう。
この部屋の前を行き来してる。それは、まじないのせいで入ってくることは出来なくても、この部屋にいることは知っているということじゃないだろうか……
そう考えた瞬間、今も扉の向こうでこちらの様子を窺う何かを想像して、背筋に寒気が走った。
「それは……よくない事態ですね」
高橋さんも眉を寄せて思案気な顔をしている。
「皆さん、外はすごく天候が荒れています。不安にするようなことは言うべきではないかもしれませんが、期待していてダメだった時の方が落胆が大きいと思いますので……」
そう前置きして、高橋さんは言う。
「このペンションがあるエリアは橋でつながる島のようになっています。行き来するにはその橋を渡る必要がありますが、天候が悪いと通行止めになるのです。今は携帯も使えないために確認もできませんが、これだけの雨風ならおそらく通らないかと……」
その情報はますます不安を増すものだったけど、確かにここから逃げる手段ができた後に聞けば、落胆するのは今の比じゃないだろう。
「え……帰れないってことですか?」
あきらが泣きそうな顔で言うと、高橋さんはつらそうな顔で頷いた。
「もちろん天候が回復すれば、倒れるようになると思いますが……今は難しいかと」
高橋さんはそう言ったが、あきらは不安そうなままだ。
「おーちゃん。私に考えがある。手伝ってくれる?」
突然そんなことを言い出した紗羅は、僕の服の裾をギュッと掴んで真剣な様子で聞いてくる。
「考えって……もちろん手伝うけど、何するつもり?」
僕がそう言うと紗羅は、「ありがと」と小さく言って微笑んだ。
こんな状況で、心の中は不安で一杯だったけど、紗羅の笑顔を見ると不思議に少し落ち着いたのを感じた。
そうなると、手伝わないわけにはいかない。
「おーちゃん今何時?」
「今?……うわ、もう十二時すぎてるじゃん。もうすぐ一時だよ」
そう答えると、紗羅は満足気に頷いて、次のお願いを言った。
「わたしを例の三面鏡のところに連れて行って」
そうか、目の見えない紗羅にとって初めてくる場所は、何があるかも分からない。
これまではあきらが寄り添ってくれていたから、意識していなかった。
「ごめん紗羅……。僕気がきかなくて。三面鏡だね?」
僕はまずこれまでを謝ると、紗羅の手を引いて三面鏡の方に誘導する。
学校や自宅など知ってる場所なら、紗羅はあまり不自由なさそうに動いているからすっかり油断していた。
「大丈夫。みんなの足音とか、気配とか……。なんとなくはわかるから」
紗羅はニコッと笑いながらそう言うが、それは紗羅だからできることだと思う。
そんなことを話しながら、ゆっくりと移動して三面鏡の前まで来た。
今風の建物の中にある、昔ながらの三面鏡……。これまでは雰囲気が合わないという違和感だけだったけど、一通り話を聞いてから改めてみると、とても禍々しい空気を出しているように見えてくる。
都市伝説どおりなら、あの引き出しの中には……爪や歯と一緒に母親がつけた隠し名が書いてあるはずだ。
話の中では、うっかりそれを見た子がおかしくなって、自分の髪をしゃぶりだしたって内容だったはずだ。
「ねぇ、紗羅?どうする気?引き出しを開けるのはまずいよ?」
ここまで儀式通りにしてあるなら、見てしまうと絶対まずいことになると思い、僕が言うと紗羅は首を振って言った。
「んーん、引き出しはどうでもいい。おーちゃん、私が言う通りに三面鏡の鏡を動かしてくれる?」
そう言われ、僕は紗羅の言葉の通りに鏡を動かす。それまで開いていた左右の鏡を閉める途中で止めた形だ。
「紗羅、やったよ?これからどうすればいいの?」
僕がそう言うと紗羅は「ありがと。多分これで条件は揃ったはずだから、いけるはず。任せて!」
紗羅はそう言うと、少し両手の袖をまくりながら三面鏡に両手をついて鏡に向かい合った。
「聞こえているでしょ?私にも見覚えがあるはず。出て来ないとどこまでも追いかけて行って消滅するまで殴る。条件は揃ってるはず。出て来ないと……」
突然紗羅が鏡に向かって話しかけて始めた。鏡には何も変化はない。
突然のことにどうしていいか分からずにいたけど、紗羅は低い声で、語りかけ続けている。
「分かっているはず。わたしとは縁ができている。そして、あなたを見ることができる人もいる」
そう言うと紗羅は僕を隣に引き寄せる。
「屍華御前が言ってた。縁があればどこにいても辿れるって……」
紗羅がそう言うと、三面鏡の合わせ鏡になった部分に波紋のような模様が現れだした。
「あっ……」
その模様は見たことがあった。夜の学校で……あの時の。
「副島!」
紗羅が強めの口調で言うと、鏡から面倒そうな声が聞こえてくる。
「……あなたとはもう会いたくないんだけど。屍華御前って、うわっ!あんた何と関わって……冗談じゃないわ、あんなのと縁を結んだらあたしなんて……」
「うるさい。さっきも言ったけど、言うことを聞かないとわたしはどこまでもあなたを追いかける。それが嫌なら……」
「わっ、わかったわよ!あんたなんかに関わるんじゃなかった。……何をすればいいの?」
鏡に写ったのは、宿泊訓練の時に七不思議の一つとして調べた片思いの姿見。それに取り憑いていた昔の生徒、「副島 敦美」だった。
なんと紗羅はどうやったのか、学校の旧校舎の姿見じゃなくて、関係のないはずの三面鏡から副島を呼び出してしまった。
「わたしの目とおーちゃんの指を元通りに。あとは……」
「くっ……わかったわ。この目は惜しいけど、あんたとの縁を断ち切るなら仕方ない」
副島は紗羅の目が気に入っていたのか、悔しそうにしていたが割とあっさりと手放した。
それほどまでに屍華御前と関わり合いになるのが嫌らしい。
「あと、この鏡を使った儀式で悪霊みたいになってる人がいる。それをなんとかできない?」
紗羅が久しぶりに目を開けて、ぱちぱちと開いたり閉じたりを繰り返しながら、そう言うと副島は嫌そうな顔をした。
「無理よ、あんな執着の塊……。あれはほとんど自我もなくしてる、あたしには無理よ。もういい?」
そう言うと、副島は返事を待たずに再び波紋を起こすと鏡の中に姿を消して行った。




