5-6 まじないの残渣
「魂消た……。一時的と言いましたね?」
高橋さんが念を押すように言う。僕は無意識に冬弥を掴む手に力を込めていた。
「はい。場所にかけたまじないが、急に崩れた時に起きやすいこととして、文献にも載っています。多くは密閉された部屋の扉を知らずに開けてしまって、一時的にそうなってしまい驚いた。それが変じてたまげたは驚いたの意になったと」
申し訳なさそうに、それでも静かに語る様子からは、妙な説得感を感じる。
「わかりました。どうせ通信障害が復旧するまで共に過ごすのです。しばらく様子を見ましょう」
少し安心したのか、いつもの様子に戻った高橋さんは、冬弥の様子を確認しながら、そう言った。
部屋の中に、どこかホッとしたような空気が流れる。
外は相変わらず荒れているが、室内の空気はいくらか緩んでいる。
そこで僕は気になっていたことを聞いてみた。
「部屋の外に出ない方がいいというのは?さっき言いましたよね?」
ずっと気になっていて、今にも何か物音がするんじゃないか、とか何かが飛び込んでくるんじゃないかとか、気が気じゃなかったのだ。
だって、あんなに必死に止めるんだから、何か理由があるはずだ。これまでの流れからあまり聞きたくない気持ちはあるけど、もう口にしてしまったのだから仕方がない。
僕がそう聞くと、穂積さんはスッと周りの気配を窺うようなそんな仕草をした後、声をひそめて言った。
「さっきも言いましたが、この部屋には人払いのまじないをかけています。これは特定の人から認識されにくくするものです。先ほどの話に戻りますが、母は一連の儀式をやり終えて、今は抜け殻が施設に入っています」
「待って、それじゃあ本当にやったら成功したってこと?」
驚きながら言う紗羅に、穂積さんは少しだけ微笑む。
「いいえ。確かに母は一連の儀式をやりました。最後の儀式の後、母は自分と姉さんの切った髪の毛をしゃぶるだけの廃人になりました。一見成功したように見えますし、母の魂は楽園に行ったと思われるかもしれませんが……それはないでしょう」
はっきりとそう言った穂積さんに、僕は違和感を感じた。実際に都市伝説と同じような状況の廃人になっているというのに、失敗を確信しているように見える。
僕がそう感じていることを察したのか、穂積さんは薄く笑いながら言った。
「端的に言うと母は楽園などに行ってません。抜け殻のような身体を残して、抜けた魂はどこにも行けずに彷徨っているんです!」
激しい稲光りに照らされながら、そう言った穂積さんの顔は……とても怖かった……。
「すると、君たちのお母さんの魂が来ないように、隠れていたという事ですか?君がまじないをかけているこの部屋から出ると、お母さんの魂がいて危険だと?」
眉を寄せて高橋さんが訊ねる。
「母は、姉さんに執着を持っています。まるで自分の持ち物のように扱っていましたが、他人が同じように接すると怒り狂っていましたから。ふふふ……母は、楽園にも行けず、姉さんからも引き離され、今も彷徨っているんです!儀式に使った三面鏡もここにありますから、どうにかして肉体に戻ることも無理のはず……。これは罰なんですよ!私たち姉妹を道具のように扱い、自分の思い通りにしようとした母に対する罰なんです!フフフ……」
……もう、僕も高橋さんも口を閉ざしてしまっていた。ずっと冷静そうに見えたけど、穂積さんはお母さんの行いを邪魔しようと思うあまり、自分も壊れかかっているのかもしれない。
そう思って見ていると、なんだか黒いモヤのようなものが穂積さんの周りに浮かんでいるのが見える。
「間違いなく追いかけてきているはず!せいぜい悔しがればいいんだわ!悔めばいいんだわ!」
虚空に向かって、大声でそう言い出した穂積さんは、最初の頃とはまるで違う雰囲気になってしまっている。
僕たちも、高橋さんですらどうしていいのか分からず、ただ立ち尽くして、何か異質なものを見るような目で大声を出している穂積さんを見ている。
「あはははは!」
しまいには大声で笑い始めた穂積さんの首に、細い腕が巻き付いた。
「はっ!…………」
ガクンと力が抜けた穂積さんの後ろには、険しい顔をした紗羅が立っていて、その首の周りに腕を回していた。
「穂積ちゃん?寝ちゃったの?」
地面に寝かされた穂積さんの隣に瑞穂さんが座って、顔を覗き込んでいる。
そんな不憫な姉妹の姿を、僕たちは何も言えずにしばらく見つめていた。
◆◆ ◆◆
「彼女の言ったことは本当だと思いますか?」
紗羅が落とした穂積さんにシーツをかけてあげながら、高橋さんがポツリと口にした。
「多分ほんとだと思います。最後の方で笑い出した時、穂積さんの周りに黒いモヤみたいなものが見えました。それが何かはわからないんですけど、僕には術式の残りかすみたいに思えて……自分が使ったまじないか、お母さんに影響されたんじゃないかって」
冬弥の周りにも少し見えます。僕がそう言うと、高橋さんは少し感心するような顔で僕を見た。
「ほう。……逢介さんはすごいのですね」
「すごい?僕がですか?僕は何もすごくないですよ。この見える体質も、昔はすごく嫌でした……」
苦しそうに眉をしかめて眠っている穂積さんを見ながら、そう返した。
ちなみに冬弥も少し前から急に眠そうにしだして、今は横になって眠っている。
外では相変わらず雨と雷が激しく、建物が大丈夫か心配になるレベルだ。
「逢介さんたちも少し休憩してください。通信もまだ復旧しませんし、彼女達は私が見張っておきますので……」
高橋さんがそう言ってくれた時だった。
ひた……ひた……
僕と高橋さんは反射的に瑞穂さんの方を見た。最初にこの音を聞いたとき、瑞穂さんが歩いている音だと思っていた。
しかし、瑞穂さんは黙って横たわる穂積さんの隣に座っている。
ひた……ひた……
僕たちは顔を見合わせて部屋の扉に目を移した。黙ってよく聞くと足音は廊下の方から聞こえてくる。
ぴちゃ……
「っ!」
思わずビクッとしてしまった。さっきは気づかなかったけど、裸足の足音には僅かに湿り気を帯びた音が混じっている。
高橋さんは、扉から離れたところに冬弥と僕たちを移動させて、それを庇うような位置に立った。
ひた……ひた……ひた
少しずつはっきり聞こえてくる足音は、部屋の外……廊下を歩いているようにも感じる。
「なるほど……部屋から出たら危険。ですか、厄介なことになってしまいました。通信はまだ復旧していないんでしょうね?」
険しい顔でそう言う高橋さんが、こちらを見る。それは紗羅とあきらがスマホを手に持ってずっと確認している。
紗羅達の方を見ると、あきらが不安そうな顔で首を振った。
「……参りましたね」
ため息と同時に高橋さんがそんな言葉をこぼした。




