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2-15 暖かい場所

紗羅が姿見の前に立った瞬間、鏡の中がぐにゃりと歪み、またあの「目」が現れた。そしてきつく睨みつけながら伝えてくる。


「見るな!」


 まるで射殺すような視線を紗羅は真っ向から受け止めている。そして呟いた。


「変……。あなた、片目はおーちゃんにつぶされたはず」


「あっ!」


 紗羅が言ってようやく思い出した。紗羅の部屋に出てきた「目」がこいつなら、確かに僕は人差し指で……。


 そう紗羅が言った瞬間……鏡に映った「目」が形を歪めた。それは何かを連想させるような形……。


「笑ってやがる……」


 逢介の後ろからそう言ったのは冬弥。鏡を凝視してそう言っていた。

 ――笑ってる?


 そう言われれば……。鏡に映る「目」の形は笑っている人の目の形だった。ただ……その笑みは愉快な笑みではなく、歪んだ笑みしか浮かんでこない。

 背筋にぞくっとしたものが走り、思わず一歩下がっていた。紗羅以外は。


「私には気になってる人がいる!」


 紗羅は鏡の前でいきなりそんな事を言いだした。どうしたのかと、紗羅に視線が集まる。すると……「目」の下の方で、再び鏡に中が歪み始めた。そしてそこの現れたのは、逢介たちが見た副島敦美だった。


 (なあに、気になってる人ぉ?)


 鏡の中の副島は、醜悪な笑みを浮かべてそう言った。紗羅の声が届いている事と副島の顔を見て、膝が震えだした。


「やっぱり……あなたの目なのね」


 紗羅が押しだすように言った言葉を聞いて、鏡の中の副島はぽかんとした顔になる。本来目がある場所は、暗い穴のようになっている。それが殊更不気味さを増してくる。


 (ああ……目ね。どうでもいいわ。私は誰からも見られないんだから。誰も見る必要はない。むしろ目がなくなったことですっきりしてるの。楽しいこともあるしね?)


「楽しいこと?」


 逢介がそう言うと鏡の中で副島はニヤリと笑った。


 (だってこうして誰かが会いに来るじゃない。こう見えて嬉しいのよ?だから……つい手伝いたくなっちゃう)


 急に声のトーンを落とした副島は紗羅を見据えた。まるで標的を睨む狩人のように。


 (あなたの気になる人、教えて?私の「目」はね、どこでも行けるの。あなたが知りたいこともきっと見つけてくれるわぁ)


 鏡から手が伸びて来て紗羅の頬を撫でる。そんな幻覚がみえそうな副島の口調に、紗羅は何かをこらえるように拳を握りしめている。


「紗羅!」


 慌てて僕が声をかけると、紗羅は少しだけ僕の方を見て口の端を上げた。


「大丈夫。しっかり気を張っていればこんな奴に干渉はさせない。こっちの世界に実害を及ぼすのは霊側にとってもかなりの力を使うはず……。」


 しかし、副島はそんなことは関係ないとばかりに話をすすめた。


(私の「目」に任せなさい。でもぉ……うまくいったら、あなたの目、ちょうだいね?そしたら私の力はもっとつよくなるはず!)


「えっ!」


 「なんだって!」


 僕と冬弥の声が重なる中、鏡の中の副島がぐにゃりと歪んで、消える。そのかわりに現れたのは……。


「僕の……部屋だ……。(逢介っ!)っ!紗羅?」


 思わず鏡に見える僕の部屋を見つめていると、頭の中にお姉ちゃんの声が響く。ハッとした僕が紗羅を見ると、紗羅は握りしめた拳をプルプルと震えさせながら、鏡の中の僕の部屋を凝視していた。


 ――見せられた? 僕が自分の部屋を見たからって、なんでそこまで見つめるんだ。きっと見せられていたんだ。


「紗羅!」


 まるで足の裏から根っこでも生えてると思うくらい動かしにくい体を、何とか動かして紗羅に手を伸ばす。その震える手を握ると、紗羅は少しだけ安心したような顔になって言った。


「大丈夫、おーちゃん。私は負けないから」


 そう言って視線を僕の部屋に戻した時、紗羅の手がぴくっと震えた。


「えっ?」


 紗羅は、見てしまった。副島が狙っているのは、興味のある対象に対して集中してしまった瞬間。意識が「目」に集中してしまった時に何かするつもり。紗羅は沖縄で修行していた頃様々な怪異の話も耳にしていた。

 きっと対応できる。そう思っていた。所詮霊が見せてくるかりそめの情報なんかに惑わされない、と。


 ただ、視線を逢介の部屋に移した時、逢介の机の写真立てに見覚えのある物があった。幼い頃……いつもの公園で遊んでいる時に、通りがかった写真が趣味の近所のおじさんが撮ってくれたもの。

 紗羅自身は何度もした引っ越しで失くしてしまった写真がそこにあった。幼い逢介と紗羅が手をつないで写っている。そこの太陽の光が柔らかく降り注いで、二人の両肩に手を添えてくれているように見える写真。

 笑顔の自分と、ちょっとだけ照れたように、カメラから視線を外すおーちゃんがかわいかった。


 そこまで思い出して紗羅はまずいと思った。見てしまった。考えてしまった。……懐かしいと思ってしまった。


 紗羅は、さっきまで張り詰めていた緊張が抜けてしまったような顔になっていた。そして、それと同時に……


(ありがとぉ)


 そう聞こえ、鏡の中の僕の部屋は消え、副島が現れる。ただ、今度はしっかりと両の目が揃っている。罠にかかった動物を見るような目で、僕たちを見た副島は鏡の中に溶け込むように消えた。


「おい!」


 鏡を叩く。叫ぶ。返って来たのは。


「見るな!」


 「目」の言葉だけだった。


「そんな、まさか」


 僕は恐る恐る紗羅の方を見る。するとそこには……。


 硬く両目を閉じた紗羅が、申し訳なさそうな顔で僕を見ていた。


「ごめんね、おーちゃん。ちょっと気を取られちゃった。おーちゃん私と二人で撮った小さい頃の写真……飾ってくれてたんだね」


 僕は愕然とした。僕の頭の中に、固めに眼帯をしてこっちを睨む斎藤が浮かぶ。「目」が浮かぶ。副島が浮かぶ……何で紗羅が謝るんだよ。なんでそんなに冷静なんだよ。写真……飾らなけりゃよかったよ……


 色んなものが僕の頭の中を駆け巡り、気づけば頭がぼんやりして手足の先がしびれてきていた。


 ――あ……まずい。意識が。


 飛ぶ。その寸前だ。


 カツ カツ カツ


 きれいな姿勢で足早に僕たちに近寄る女子がいた。険しい顔で無言で階段を上ってくる。


 カツ カツ 


 唖然としている冬弥たちの脇を抜けてその女子は僕のそばに立った。そして、意識が飛びそうな僕と、両目を閉じて立ち尽くしている紗羅を交互に見る。


「ちっ!」


 小さく舌打ちすると、その女子は僕の頭を掴んで乱暴に動かした。


 僕の顔を柔らかい所に押し付けて、押さえ付けたままその女子は、凛とした声で言った。


「とりあえず落ち着け。いいか、時間をかけて息を吸って、もっと時間をかけて吐きだせ。しばらくそうしてろ」


 そう言うとその女子は僕の頭から手を離して、立ち上がった。


 ――そんなこと言われても、紗羅の目が……これが落ち着いていられるわけがない。


 また早く浅い呼吸になりかけた僕の後頭部を、柔らかく包むように手を添えられた。それはまるで、僕の頭を抱くように……


 無意識のうちに心地よさを感じて、少し意識が浮上してきた僕が見たのは……目を閉じたまま少しだけ微笑んで、僕の頭を抱く紗羅の顔だった。


 ――なんでそんな顔が出来るんだろう。


 そう考えながら今度はぽかぽかとしか感じに包まれて意識が沈んでいった。



「見るな!」


 逢介たちに気を取られていたら、急に来た女子が例の「目」とにらみ合っていた。


「ほう、たかだかその辺の浮遊霊のカタマリ程度が大きい口をきくじゃないか。


 ぎろりと「目」が睨む。すると、鏡の表面に波紋が立ってそこから副島の声が聞こえた。


「もう、うるさいわね。ほらぁ、いいの?目を取られた人たちが来ちゃうよ?」


 それだけ言うと、波紋は小さくなっていき消えた。ただ、波紋が消える瞬間、鏡の前の女子は何かを投げていた。


 ざわ


 人の気配がする。話声がするわけじゃないし、足音が聞こえるわけでもないけど、なんとなくわかる気配。それが階段を上がってきている。


「な、なんなんだよ……」


 冬弥は震えている木下を掴んで紗羅の隣に行かせてその前に立った。ただ何が起こっているのか全くついていけていないので、機転が利く冬弥にもどうにもできないでいた。


 そんな冬弥の隣にさっきの女子がスッとやってきた。


「おい、私は鏡の目玉をやる。お前は下から来る奴らをなんとかしろ」


 顔を寄せてそう言われ、冬弥は初めてこの女子が三年生だということ、それからとっても美人だということに気付いた。


「せ、先輩。どうにかって言われても……」


 三年生の女子は、冬弥が自分を見て先輩と呼んだことに、ほう、という顔をする。しかしそれも一瞬、すぐに見下したような顔になった。


「私は三年の櫛目(くしめ)だ。どうにもできないのにお前らはこんなところにいるのか?危機管理能力はちゃんと働いているのか?」


 まるで上司が部下に説教するような口調の櫛目先輩に、すぐ横から声がかかる。


「大丈夫、私がやる。冬弥くん、おーちゃんをお願い」


 そう言うと抱きかかえている逢介の体を預けてくる。


「で、でもさ……」


 逢介は預かりながら冬弥は反対の言葉を言おうとしていたが、目を閉じただけで今までと同じような雰囲気を出している紗羅に何も言えなくなった。


「つまらん奴だな。見えない奴を矢面に立たせる気か?」


 櫛目の声に、紗羅が立ち上がり冬弥が俯いた頃、階段の下からそれが姿を見せた。


「斎藤君?」


 その時、目が見えない紗羅、項垂れている冬弥に変わって声を出したのは木下だった。

 

 



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