土産 1
登場人物紹介
ティム……漁村の少年。ラスターに懐いている。
マイカ……ティムの母親。
カール……ティムの父親。
夏の砂浜は灼熱の魔物と化し、足を焼く。
レプゼント王国東部は一面海に面しているが、その多くは切り立った崖になっており、こういった海に出れる砂浜は点在するものの、海水浴などに来る人間はあまり多くない。
ジャバジャバと浅瀬を渡り、浜辺へ戻る。
素肌に降り注ぐ太陽が濡れた体をあっという間に乾かしていく。
ふう。
海に潜り始めて3時間は経つだろうか。
ターゼントで馬を借りて1時間ちょっと走った位置にあるこの浜辺は、漁業を営む村の生活の支えになっている。
岩場近くに桟橋を建設した村から離れたこの砂浜に、人気は無い。
珍しいねあんた、と言われる程、海に来て泳ごうなどと考える人間は少ないのだ。
海はその数を減らしたとはいえ、魔獣の領域だからだ。
勿論こんな浜辺にはいないが。
かつて討伐された経験からか、魔獣は大陸沿岸部から離れた外洋にしか存在せず、近寄ってはこない。
波打ち際から少し離れた石まで急いで走る。
そこに乗せておいたサンダルをひったくると、素早く足に履き、再び波打ち際へ戻る。
あっちい。
サアッと押し寄せる波に足を洗わせながら、濡れた髪をかきあげ水平線を眺める。
雨は探知の邪魔になるが、海の中に潜ると水は探知の邪魔にならない。
これはおそらく、空気のように体にまとわり付いて繋がっているからだと思っている。
衣服が探知の邪魔にならないのと同じだ。
後はそうだな。
雨粒は空気の中に異物のように侵入してくるから、同じ水でも違うのか。
まあとにかく、水に潜ってしまえば関係ないことは前から知っていた。
今俺は、昔からモノにしようと思ってなかなかできないでいた探知を習得しようとしている。
名付けるとすれば、探知の膜か。
体の表面に常に纏わせ、異変を察知する常時展開型の探知だ。
極薄の霧ともいえる。
形状だけなら別に今までも可能だった。
意味が無かっただけだ。
やろうとしているのは、接近する物体に波紋のように反応する探知だ。
言葉にするとアレだが、そんなに大したことに挑戦しようと思っているわけではない。
普通の人間でも、背後の気配に感づいたりするのを、常に無理なく探知を展開しながらもっと鋭くできないか、という程度だ。
元々意識しなくても微かに探知は使用している。
ちょっと人より敏感な感覚を、更に高めるのが狙いなのだ。
海は都合が良い。
適度な数でランダムに近寄ってくる魚がいたり、音が明確な形を持って発生したりと、程好い刺激をもたらしてくれるからだ。
地上は大体聴覚が捉えてしまうので向いていない。
「おーい、ごはんだよー」
漁村の少年が駆けてくる。
俺が部屋を間借りした家の少年だ。
ティムという9歳の男の子は若い男の客である俺が珍しいのか、随分と懐いてくれている。
実にかわいい。
「ああ、今行くから。転ぶなよ」
ティムの麦わら帽子に両親の愛情が詰まっているような気がする。
ニコニコしながら走るティムに向かって歩く。
ザバザバと水飛沫を上げたティムは俺の手を取ると眩しい笑顔でグイグイ引っ張る。
俺よりも黒く日焼けした小さな手に引かれ、村へと戻る。
「今日はねえ、団子と米だって」
「そっか。団子って魚の?」
「そうだよ」
「あ、先に水浴びてくるから」
小さな村の中を歩きながらティムと一旦別れ、共用の井戸で頭から水を被り塩を洗い流す。
ボタボタと水を滴らせながら歩き、ティムの家の縁側に行き、ティムが渡してくれたタオルで体を拭く。
この村の家は全て木造で、開放的な造りの平屋になっている。
茅葺き屋根に丸太という、昔ながらの家だ。
下着まで全て脱ぎ、持ってきてくれた服に着替える。
「ありがとな、ティム」
「用意できてるから早くおいでって」
バタバタと走っていくティムを尻目に濡れた服を絞り、籠に放り込む。
「ラスターさん、洗っておきますからそのままどうぞ。お食事にしましょう」
「すいません。じゃあお願いします」
ティムの母親のマイカさんが催促にきてくれる。
まだ三十歳そこそこと若いが漁師の妻らしく、女性にしては筋肉質な体をしている。
顔も体もシャープな人だ。
居間にはティムが座っており、バシバシと自分の横を叩いている。
俺の定位置だ。
いただきます、と揃って手を合わせる。
食卓にはやはり魚中心の料理が並ぶが、飽きないように豊富な種類の調理がされており、実に美味い。
泳いで腹が減っていた俺はガツガツと米を掻きこみ、団子を一口で頬張る。
「ティム、ゆっくり食べなさい」
「こーら、俺の真似するんじゃない。すいませんね、マイカさん」
「いいえ、気にしないでたくさん召し上がってください」
ここに来て1週間になるが、小さな弟が出来たようで楽しい。
父親のカールさんもマイカさんも良い人達で、ターゼントとは違った賑やかなスローライフになっている。
遊びに来た訳じゃないが。
昼食を終えるとティムは勉強の時間だ。
学習館が無い田舎の村では、教育は一つの大きな課題となる。
教えられる人間がいなかったり、いても働きに出てその時間が取れなかったりする。
この村にはティムより5歳下の子供が1人、赤ん坊が1人いるだけで、後は皆働き手として仕事に参加する大人しかいない。
一緒に遊ぶ友達もいないティムだが、一人で元気にあちこち遊びまわっており、毎日楽しいらしい。
それを聞いた俺までなんだか嬉しくなった。
村の皆から愛されているのだろう。
勉強は教科書を使ってマイカさんが教えている。
母親とは凄いものだ。
十何年も、子供の面倒を付きっ切りで見るのだ。
少し会いづらくなり疎遠になっている母親に、申し訳ない思いを抱いた。
勉強が終わったらティムと遊んでやることにしている。それまではまた、海に潜る。
腰周りに銛と鉈を括りつけ、海の底を這うように泳ぐ。目的の場所に着くと、仰向けになり全身から力を抜く。
水音の中、目を閉じゆっくりと浮上していくのを感じる。
海面に出ると息を整えながら海の中の反応を膜だけで探り続ける。
再び海底まで潜り、それを繰り返す。
これをモノにしたら、ターゼントを出ようと決めた。
いやまあ、出て行くみたいな大げさなことじゃない。
日雇い仕事で食いつながなくて済む内に、傭兵として仕事を探すのだ。
ターゼント役場に気休めで行くのはもうやめだ。
海に関して
レプゼント王国にはその地形に反して漁村がそれなりにある。貴重な海産物が獲れる地点に王国がかつて隈なく村を建設した名残だ。漁村は軌道に乗るまで手厚く保護され、今でも制度上優遇されているが、海に対する偏見から漁村の住人はどこかよそ者のように見られる事もある。沖合いに魔獣が生息しているからなのかどうかは分からないが、王国沿岸部の漁獲高は落ちる事無く常に大漁。
教育問題
学習館に通えない僻地の子供は多い。王国としても徐々に取り組みつつある問題だが、幸か不幸か字も読めない人間は生きていく事もままならない時代なので、人々の努力によってその問題は解消されている。僻地であろうと役人と商人の派遣は義務づけられている。




