第四夜 とめいき
声あらば 現にとどまり 拐かされぬ
ひぐらしの 声さへ絶えなば 闇満てむ
見そなわすな 名をつくるなと 言ひおきぬ
とめいき一つ 網に遺すな
十八時五十分。
急にじいちゃんも凛がいなくなったのに、周りは誰も気づかない。イベントは何事も無かったように続いていく。山田は拓海にすり寄ってくる。
拓海は混乱する頭を抱え、逃げるように社務所に向かって走った。
内側から荒々しく鍵をかけると、実行委員会本部のパイプ椅子に座り込み、ディスプレイを覗き込んだ。薄暗い社務所の中で、ディスプレイに青白い光が顔を照らす。
左側の画面には、境内の杉の木々に吊るした百台のLiDAR端末が吸い上げるリアルタイムの三次元点群。右側の画面には、AI自動議事録アプリが拾い上げる音声波形とテキストログが、整然とスクロールしている。
[18:30:25] 拓海:凛、インカム聞こえてる?
[18:30:30] 凛:聞こえてる。汗で襦袢が張り付いて最悪
[18:30:35] システム:話者分離完了。マイク感度:最適
良く記録されている。
境内の喧騒を太鼓の重低音でマスキングし、その上から凛のシンセサイザーのアンビエント音を重ねる。プライバシーに配慮して、カメラ画像は一切保存しない。人の動きは全て光のドットにしてリアルタイム処理される。
行政への提出用レポートも、AIが秒単位でグラフ化していく。
「……これなら、文句のつけようがない」
誰でも安く、スマホ一つで運用できる持続可能な地方創生。
卒論の優秀賞も、秋からの就活も、すべてこの画面の向こうに約束されているはずだった。
——ところが、十八時四十二分。
点群データの波形に異常が現れた。
[18:42:02] 凛:シャラン……(神楽鈴・音響遅延検知:1.42s)
[18:42:03] システム:重大エラー。舞殿マイクの入力波形に位相の反転を検出。音響が相殺。
[18:42:40] 泰三:止めろォッ!!
インカムから飛び込んできた祖父の怒号を聞いて、拓海は舞殿へ走り、泰三をなだめ、混乱を収めようとした。
しかし、その後に目の前で起きたことは、拓海の想像を遥かに超えていた。
泰三の体が、スーッと空気に溶けて消えたのだ。
直後に現れた山田は、娘の存在をすっかり忘れ、薄気味悪い笑顔で仕事の話を捲し立てて去っていった。
そして——凛までが、目の前で声を失い、床に神楽鈴を落としたまま、その輪郭を失ってしまった。
「はぁッ……はぁッ……」
喉がカラカラに渇いている。
……静かすぎる。
神社の外からは、まだ遠く太鼓の音や人々のざわめきが聞こえているはずなのに、この社務所の中だけ、まるで防音室の底に沈められたように音がしない。拓海の荒い吐息だけが、プレハブの薄い壁に反響している。
「嘘だろ……。集団ヒステリーか……? それとも、俺が変なのか……?」
拓海はスクロールを続けてログを遡った。
何かの間違いだ。祖父も、凛も、山田の娘も、どこかにいる。
AIが記録したテキストデータを見れば、全て説明がつくはずだった。
だが、画面を見つめた拓海の全身から、サッと血の気が引いた。
[18:42:39] センシング:オブジェクト[結依]の座標消失。
[18:42:40] 不明話者01:止めろォッ!!
[18:43:05] 不明話者01:儂が引き受ける。三人だ……昔からそう決まっている
[18:49:10] システム音声:『話者ID更新:[泰三] ➔ [不明話者01]』
[18:49:13] システム音声:『登録話者[泰三]の音声プロファイルが参照できません。未登録ノイズとして処理を完了しました』
[18:49:46] 神楽鈴の落下音を検出(78dB)
[18:49:50] システム音声:『話者ID更新:[凛] ➔ [不明話者02]』
[18:49:52] センシング:オブジェクト[凛]の赤外線反射が消失)。
[18:53:35] ログ参照:泰三・結依・凛のID抹消を確認。
「なんだよ、不明話者って……」
結依ちゃんも、祖父の泰三の名前も、凛も、過去のログから消去されていた。
まるで最初からこの世に存在しなかったかのように、テキストのすべてが[不明話者]へと書き換わっていく。
拓海は混乱しながら、もう一つの画面——LiDARの三次元点群マップを開いた。
百台のセンサーがリアルタイムでスキャンしている境内の空間データ。
赤外線パルスが当たった物体は、青や緑の無数のドットとなって画面上に立体を形作る。木々も、社殿も、参道を歩く人々も、すべて綺麗な点群として描かれている。
だが、一か所だけ。本殿の真裏——拓海が照射禁止区域としてマスクしたエリアの境界線上に、何も情報が無かった。
「……ドットが、無い?」
そこだけ、光の反射強度がゼロ(Null)なのだ。
ドットが抜けた真っ黒な空白が、まるで空間をくり抜いたようにぽっかりと空いている。
そしてその空白は、ツバの広い帽子をかぶり、細身のスーツを着た男の形をしていた。
『全周LiDAR点群解析、完了』
静まり返った社務所に、スピーカーからAIの合成音声が澄んだトーンで響いた。
『不可視領域の三次元輪郭を特定しました』
「……やめろ。特定しちゃだめだ」
『空間吸光率100%のオブジェクトを[観測対象]としてメモリに展開中』
「やめろ!」
拓海はEnterキーを連打した。
「解析を止めろ! シャットダウンだ! プロセス強制終了!」
AIは拓海の入力を完全に無視して、画面上に新たなウインドウを次々とポップアップさせていく。
祖父の言葉が、頭に浮かぶ。
——昔から、この祭りでは大きな音を立てて、自分たちを闇に紛れ込ませてやり過ごしてきた。
——三人差し出せば、彼らは満足して引き下がる。
……そうだった。
神事の鈴の音を間違えて彼らに気づかれてしまったとしても、結依が消え、泰三が消え、凛が消えたことで、本来なら「三人の贄」は満たされ、彼らは満足して元の無へと還るはずだったのだ。
だが、拓海がAIに作らせたシステムが余計な処理を実行してしまっていた。
姿を持たず、沈黙そのものであるはずの「彼ら」の輪郭を、LiDARのドットが計測し、立体データとして固定してしまった。
そして、AIの議事録プログラムが、彼らの発する微細な空気の揺らぎを「言語」として文字起こしし、世界に記録して定着させてしまったのだ。
画面上のテキストエリアが、カチカチと音を立てて更新される。
[18:54:30] 入力信号:解読不能な超低周波(2.4Hz)
[18:55:01] 新しい言語モデルをロード中……翻訳完了
[18:55:03] 不明話者:こ こ に い る
[18:55:10] システム:輪郭を特定。観測を確定しました。
『観測を確定。……定着処理を完了しました』
AIの声が、どこか満足そうに告げた。
「やめろ……やめてくれ……」
拓海の喉から、掠れた嗚咽が漏れた。
定着した。
観測され、記録されてしまった彼らは、もう元の闇へ帰ることができない。
ルールが、破られた。
[18:56:00] システム:境内の総滞在人数を照合中
[18:56:05] 照合エラー:物理人数と音声プロファイル数が不一致(差分:-3)
[18:56:18] 不明話者:『こ と し は よ に ん』
「四人……?」
拓海の手がPCの上でカタカタと震えた。
結依。祖父。凛。
——あと一人は、誰だ。
ピコン、と軽快な通知音が鳴った。
[18:58:30] システム:マイクが極近接の呼吸音を検出
[18:58:32] 話者を特定中……
社務所のプレハブを揺らしていたはずの、外の太鼓の音が、完全に途絶えた。
スピーカーから流れていた凛のアンビエント音響も、プツンと切れた。
そんな中、拓海の後ろ、わずか数十センチの位置から、ツツツ……と、乾いた布が擦れ合うような音がした。
クーラーの冷気とは明らかに違う、凍りつくような冷気が、拓海のうなじに吹きかかる。
[18:59:58] 認識結果:『 お ま え 』
拓海は、恐る恐る顔を上げた。
ディスプレイの黒い画面に、拓海自身の怯えきった顔と——そのすぐ後ろに立つ、ツバの広い帽子をかぶった黒い影が、はっきりと映り込んでいた。




