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家次さんと、  作者: 斗彫
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15/18

成績発表会、一学期。


煙草片手に風に揺れては優しく空気を撓ませる風鈴の音色を耳に、家次はただ黙って縁側に一人腰を下ろしていた。この体勢になってから、もう既に30分程経っただろうか。頭上から燦燦と降り注ぐ太陽の光は眩しく、庭先に設置した鉄棒を容赦なく熱しているのだろう。それでも剥き出しの地面は意外と余分な湿気を吸い込み、コンクリートの様に熱を溜め込まないので、廂の下吹いてくる風は程よく乾き、そして涼しくも感じる程には心地良い。目に飛び込む新緑の色は新鮮その物で、太陽の光にここぞとばかりに今日も元気に葉を揺らし、その姿は瑞々しく輝いている。聞こえてくるのは風が揺らす葉の擦れるさわさわとした音と、少し遅れて鳴る風鈴の音色と。後は庭の奥の方からずっと、ジジジジ・・・・、鳴き続ける蝉の泣き声位の者だろう。夏も盛りに入ってきた中、なんと穏やかで、なんと贅沢な時間だろうか。一度外に出れば直ぐに耳を占拠する雑音の一切を排除したこの場所は、家次にとっては子どもの時から特別な場所だった。何年たっても変わらない、否、池を埋め、鉄棒を設置して、母屋と離れを切り離したりしているので本当の意味では大幅な変化を伴っているのだろうが、それでも縁側のこの場所は変わらない。決して皆に当てはまるものでは無い、そんな特別が、変わらないものがある自分にはある。それの何と贅沢な事だろう。見慣れた庭先に自然と口に運んだ煙草を深く一息に吸い込んで、深呼吸宜しくゆっくりと口の端から上へと吹き出す様にして煙を吐く。何時かに隣から無邪気な声で、それ機関車みたいだねと言われた事を少しばかり思い出したが、分かりやすく色付けされた自分が吐いた息を、もう一度吸いたくないからだと、ニンマリと向けられた楽しそうな笑顔に、その時家次は素直に返事をすることが出来なかった。その代わり、今度は口から輪っかを作る様に吐き出して、またキャッキャと子供らしい高い声で歓声を上げる素直過ぎる少年の様子に、作った輪の中突き抜ける様に息を吐きながら、口の端を少しばかり釣り上げた。

そんなことになってもう今年で四年目に入るのだろう。特に変わらない日常を愛している家次にとって、急に此方へと立ち寄り居ついてしまった少年との日々は、不思議と家次にとって不快なものでは無かった。静かに、流れていく四季を耳で、目で、肌で感じるこの縁側に、入ってくるのは年に数回だけの御用聞きと、唯一の肉親ただ一人だった筈なのに、不思議とその少年の事は嫌では無かったのだ。静かだった日常に、平日の一日の内、ほんの数時間だけ現れるその少年は、家次にとっては少し異質という認識はあれど、決して不快ではない軽やかな音が、少し増えた程度の物であった。

ただぼんやりと景色を眺めていれば、視界の一部に少しばかり動きが見える。木々の合間を動くその人影は、少し左右に足の置き所を捜しながらも着実に此方に近づいてきている。木の葉が風に揺れ擦れ合う音に混じりながら、だが確かに聞こえてくる学生らしい選曲の鼻歌に、家次にとっての待ち人は、やっと姿を現したらしい。けもの道を抜け、木々の陰から日の下に現れた少年の顔は、まるで今この時に降り注ぐ光と同じように明るく、そしてその顔は、ここ最近で一番眩しく輝いていた。


「家次さぁーん!ただいまぁー!!」

「おう、おかえり。」


今期最大に薄べったい鞄を肩に、右手で高らかに空へと向けて掲げられている白い紙通知表といった所か。喜色満面、自信満々と言わんばかりのそのわんぱくな姿に、家次は小さくクソガキが、と呟いたが、その口元は確かに薄らと笑みを浮かべている。若いな、そう思う自分に少しだけ老いを感じながらも、家次は根を張っていた体勢を起こすべく、片膝を立ててそこに手を突き、のっそりとその身を起こして立ち上がる。


「早よぅこっち来い、お前のメシせんと片付けれんやろ。」

「今日のごはんナニ!?」

「焼きそばや。」

「やったぁー!!!」


わーっと声を上げて一人喜び飛び跳ねる姿を横目に、家次はそっとその場に背を向けて、縁側から居間の奥へと足を向ける。好きなだけ飛び跳ねたのだろう、暫くして此方へと走り寄ってくる砂を蹴る足音を耳にしながら、家次はコンロ上用意しておいた鉄板に、そっとガスの火を点すのだった。


*


夏の暑さを増すが如く、照り返しの激しいアスファルトの上から逃げる様に入った何時もの裏庭に、少しの土埃を巻き上げながら、稔はするりするりと慣れた様子で木々の隙間を潜り抜ける。視界確保に必要なほんの僅かな木漏れ日を残して、強すぎる太陽光を遮る木々の中吹き抜けていく風はほんの数秒前とは打って変わり、じめじめとまるで毛穴を埋める様に湿気を含んでいた筈なのに、肌に木陰の下肌に触れるそれはサラリと乾いて、そして少し冷たいまである。ずっと木が生い茂っている場所には影が出来、地面はアスファルトでなく凸凹としたけもの道だが、土だからこそ余分な湿気を吸っているのだろうか。何にせよ、こんな夏の暑さの中、毎年クーラー無しの扇風機のみの環境で夏を越えている家次の家は、数年通っただけの稔では未だ分からない謎が多く残されているが、それよりも今は、ただこの場所に帰ってきただけではない。これから始まる学生にとっての一大イベント、中学生になってからの初めての長期休暇の【夏休み】。しかも今年は母と二人での旅行という予定が既に入っているのだから、アレをして、コレもして、と、稔の心はそれはもう、傍目に見ても分かりやすい位には踊りに踊っていた。そうして気が付けば庭先への光の境界線をそのつま先がトン、と踏み越えると同時に、稔の右手は学校の正門を潜り抜ける前からずっと握り締めていた通知表を、これ見よがしに天高く掲げ、ハツラツとした声と共に、家次へと帰宅の挨拶を投げかけたのだった。

急ぎ玄関に向かい、幾ら浮かれているからと言っても礼儀は欠いてはいけない。寧ろそれをしない方が不自然で気持ちが悪いと、体に染み込んでもう随分と馴染んだ挨拶と、少し雑に脱いだ靴も、きっちりと指定されたいつもの場所へと、サンダルとその場所を入れ替える。トントンと軽い足取りで床の上を歩き、気持ちのままに思わず放り投げそうになったサンダルを、稔は思いとどまったように、縁側入って直ぐの位置へ、何とか揃えて置くことに成功した。


「もうちょっとで頭叩くとこやったぞ。」

「・・・・・っぶなぁ~、ヤバかったけどセーフ・・・・・。」

「はよ荷物置いて手ぇ洗ろて来い。もう蒸し終わる。」

「うん!・・・・ってことは、太麺だぁ~!!」


視線は鉄板に注がれているが、それでも背中でこちらの様子を伺っていた家次の言葉に、稔はふぅ~、と、浮ついていた心を静める様に一度、言葉と共に深呼吸をした。雑に見えて意外と几帳面な家次の前で、物を大切にしなかった時の頭に食らわされる一撃は、それはもう言わずもがなの物である。当人的には余所の子供相手だからそれはもう手加減をしているらしいが、掌は厚く、大きく、そして元の力が強いのだから、正直何かと比較できるような代物では無い。本人曰く、力まずに腕を上げ、そのまま重力に従って手のひらを下へ向けて落としているだけらしいが、これはただの本人談にしか過ぎない。太股は丸太の様に太く、その上半身は言わずもがな。人よりも“ちょっとだけ”強い位だと思い込んでいる人間の放つ軽い一発は、そこいらに居る力自慢の人間の一撃に勝るとも劣らない。半年ほど前に友人とと共にお叱りを受けた際、『父さんのグーより痛い・・・・』とポツリと独り呟いた言葉が、確かに隣から漏れ聞こえてきた事を、稔は今も鮮明に覚えている。見開いた両の眼でじっと地面を見つめ、叩かれた場所を摩るでもなくただ静かに己の手を頭に置き、そう呟いた刀也の顔は、その言葉が真実であると何よりも強く物語っていた。


「ふっとめん、ふっとめん!美味しいやーつ!!」

「お前、今日は特にうっさいなぁ~・・・・、味はぁ?」

「んん゛~・・・・・・、しょー・・・・やっぱソースっ!でも薄めで!!」

「分かった。ほな早よ行け。」

「ソースっ!太麺ソース焼きそばっ!!」

「・・・・・うっさいなぁ~・・・・、浮かれよって・・・・、」


家次のお小言を聞き流し、定位置に鞄を流れる様に置き去りに、トントンと床板の上軽い音を立てながら、稔の足は軽やかに目的地へと進んでいく。視界の先、薄暗くも見えてきた洗面台の傍には、今日も白いフェイスタオルが、壁に備え付けられているタオルハンガーに掛けられている。毎年夏になると汗だくになって帰宅する稔の為に用意されたそれは、一目で稔用だと分かる様に、鳥や金魚と言ったなんとも可愛らしい柄が表面にプリントされている。子供じゃないんだからと少し気恥ずかしさもあるが、そうして気遣われている事を思うと、稔自身にとっては嬉しさの方が数段大きい。稔自身ハンカチやタオルを持っていない訳では無いが、こうして他人が、自分の為を思って用意してくれている、その心遣いに心底ありがたい、恵まれていると、そう素直に思える環境に、稔は一人緩みそうになる口元を隠す様に、少し力任せに蛇口を捻り水が出始めると共に、勢い良く溢れ出てくる水流の下目掛け、その頭を差し込んだ。


「・・・・お前、ビッチョビッチョやんけ。・・・・・床ちゃんと拭いてきたんか?」

「ちゃんと拭いた!あとは時間で乾くから、タオルあれば大丈夫!」


全身、とは言わないが、絞られていない髪の先から肩へ掛けたタオルへと水を垂らしながら居間へ帰還した稔の姿に、それはもう怪訝そうに、家次の顔がしかめっ面へと変わる。水で汗を流してスッキリしたと、それはもう満足そうな表情の真横を、水滴と言うには余りにも大きな水玉が、肩に掛けられたタオルの上へぼたぼたと流れ落ちているのだ。幾ら本人に綺麗にしたと言われようと、その水滴が今度は何時磨き上げた畳の上へ落ちるか分かったものでは無い。傷めば換えるものではあるが、畳一枚、常人がおいそれと出せる金額には程遠い上に、こんな事で声を上げるのは、家次自身己が器量無しと言っているのも同義だ。


「クソガキが・・・・。とりあえず庭で髪の水はろて来い。畳濡らしたらグーやぞ。」

「分かった!!・・・・縁側で良い?」

「アカンに決まっとるやろ!ズボラしょうとすんな!ちゃんと外出てはらえッ!!」


早く行けと急かす家次の声に、稔は面倒だと隠しもしない声色で返事をしながらも、その足先を縁側へ向けて歩き出す。数分前の自分の怠慢ではあるが、何故サンダルを縁側の中央に置かなかったのか。そうでなければ余計に歩くことも無かったのに、と、チラリ向けた視線の先には、居間の中央にある座卓の上置かれた白い皿には、こんもりと山型に盛られた焼きそばの姿が垣間見える。漂ってくる芳醇なソースの香りが鼻先を擽るが、このまま畳の上に足を踏み入れれば、即、傍らに立つ巨木の一撃が飛んでくるのだ、視界が一回転以上するのは、稔としても御免被りたいのだ。


「・・・・・・家次さぁーん!上手く水飛ばないんだけどー!!?」

「お前は犬かなんかか阿保が!手で弾けボケナス!先に髪絞ってから頭に指突っ込んで、パッパ飛ばせばええやろ!!何頭振っとんじゃ頭悪いのうホンマにッ!!」

「なんでそこまで暴言言えるの!?・・・・・あ、ホントだ!むっちゃ水出てくる!!」

「何がホンマやクソガキぃ!!早よ水飛ばせ!折角用意したった飯冷めるやろッ!!」

「家次さんが水飛ばせって言ったんじゃん!タオルだって首にかけてるしっ!!」

「お前そのタオル絞ってみたんか、ぁあ゛!!?」

「・・・・・・凄い、めっちゃ水出てくるじゃん。」

「こんのアホンダラが~!!お前タオル手に持って庭一周駆けまわってから帰ってこいボケがッ!!」


稔は家次に言われるがまま、首にかけていたタオルを軽く畳んで捻り上げてみるが、一体どこにそんな容量があったというのか、ジャバリ・・・・、と絞るほどに表面に浮き出し、音を立てて下へと落ちていった水の多さに、ただただ感嘆の声を上げる。そして思わず、口を突いて出た言葉を自らが理解するよりも先に飛んできた怒声に、稔はイヤだと文句を垂れながらも、燦燦と降り注ぐ太陽の日差しの下を、今度は通知表では無く、片手にタオルをはためかせながら、ぐるりと広い庭を駆けまわる事になった。そこから約二周半、当てつけ半分何故か多めに庭を走り回った稔のワイシャツはいつの間にかサラリと乾き、絞ったばかりだったスポーツタオルも、握り締めた根本を除けば僅かに湿気を残しながらも、風に靡かせていた側から、ふんわりとした表面を取り戻しかけている。嫌々ながらも言われた通りに走ったおかげで、髪も服もタオルも程よく乾いた事に、家次の言う通りになった事で文句の一つも言えないと、口元をもごつかせたが、それで留めるしかない。そんな様子に勿論気が付いているだろうに、家次は遅いと一言言ったかと思えば、サンダルを脱いだ稔に向って、もう一度手を洗ってくるようにと、洗面台の方へと目掛け、サッと素早く指差したのだった。


*


「・・・・・ったく、冷めてもうたやんけ。ホレ、飯や。ありがたく思て食え。」

「その犬に向けて言うみたいなの止めて!僕立派な人間だから!!・・・・・はい、コレ。」

「おう、見たろうやないか。・・・・・老眼鏡、いるな、」

「・・・・ジジイ・・・・・。」

「なんや?「いただきまぁーす!!!」・・・・・お前もいつかこうなるんや、覚えとれよ。」


卓上で家次から差し出された少し湯気の収まった大盛りの焼きそばに、稔もそれと交換とばかりに、学期末にのみ手元にやって来る特別な紙を手渡した。冊子と呼べるほどご立派なものでは無い、少し固めの白い紙を半分に折りたたんだだけのそれはどの時代も変わり映え無く質素で、そして誰が見ても一目で分かる内容は良心的であり、そして何より残酷だ。家次の通っていた当初から変わらない五段階評価に、注意次号や励ましの言葉なんぞ皆無のそれは、この先の進路を左右する数字のみが、並びの悪い数字のハンコが、バラバラと枠の中に踊る様に押されている。


「・・・・・・んむー・・・・・!!!」

「口にモノ含んだまま喋ろうとすな。ちゃんと噛んで、飲み込んでから喋るんやったら喋れ。」

「んむ。・・・・ん~む~・・・・・・、」

「ほうか、まぁせやろな、ワシの作るもんで旨ないモンは無いからな。」

「んっ!!」


頬を膨らませ、もごもごと口を動かしながら返事を返す稔に、家次は一瞬呆れたような視線を向けたが、その目はまた直ぐに、手元の紙の上へと落とされる。中学一年、一学期の成績はまずは学校に慣れる為の基礎固めが殆どを占める。本格的な授業の進行はそれこそこの前に合った期末試験からが本番だ、だからこそここで躓くような事があってはこの先どう足掻いても上手くはやってはいけない。授業内容が簡単であるからこそ、此処は上位成績を採って然るべき期間だ。いくら親でないとは言えど、放課後や緊急時では保護者代わりとして稔を預けられている家次だ、稔に問題が無ければ無い方が良いに決まっている。前方からズルズルと麺をかき込み、時折すすり上げる音を聞きながらも、家次の目は真剣に、上から順に、各教科担任たちが乱雑に押していったのだろう数字を眺め、そしてある一点でピタリと止まった。


「・・・・・お前、体育“3”なんか・・・・・?」

「ん?んー、んぬ。・・・・・、ぅん、なんで?てかコレむっちゃ美味しいね!!逆にちょっと冷めてて食べやすい!具もミックスだし、贅沢だし美味しい!!」

「そんなんワシが作っとって、うまいんは当然やろ。やのうて、なんで“3”なんや?」

「え、あぁ、体育?なんか前半殆ど身体測定だったし、それほぼ水泳でついてるんだって。」

「お前紙のテスト70は採っとったよな、それで3は・・・・・、寧ろこれオマケの3なんとちゃうんか!?」

「・・・・・・仕方ないじゃんー、沈むのはどうしようも無いんだって!ケンちゃんも沈んでたし!!」

「ほなケンなんぼやってん?アイツの方がテストの点悪かったやろ。」

「ケンちゃんは、4、ついてた・・・・・。」

「・・・・・・っはぁぁ~、・・・・・お前、測定サボっとったんか・・・・・。」

「・・・・何かそれ先生も言ってた、ちゃんとやれ~って・・・・・、でもやってたし。」

「程よく力抜いて紛れ込んで目立たへんようにか?・・・・帰りにあんだけ走っとってなぁ?」

「・・・・それ先生にも見られてた。僕部活とかしたくない、しんどいのとか嫌だ・・・・・。」


嫌だ、最後に歯切れ悪くそう言って、口一杯に麺を頬張った稔の様子に、家次は呆れたようにため息を一つ吐きながらも、もう一度その視線を通知表の上へと滑らせる。要になる座学関係はオール満点評価の“5”を取っているが、脇を占める副科目は家庭科は“4”だが他はみな“3”。稔の言い振りを見る限り、少なくとも体育はかなり多めに見てもらっての“2”寄りの“3”という事なのだろう。稔は未だ成長期真っ只中の身長なんかも伸び盛りの、どちらかと言えば体力を持て余しているくらいで、身体的ポテンシャルは決して低くない。無駄におつかいで鍛えた脚力に、遊び感覚で地面の上を飛んだり跳ねたり、石の上で家次相手に手押し相撲をしたりと、バランス感覚や遊びの延長線上においても優れている。そしてごく稀に刀也と遊びでキャッチボールをしている姿を目にするが、中々に肩も柔らかく、難しい返球も出来る程には運動という分野において間違いのないセンスがある。が、如何せん本人のやる気と云う物は、元来持っているセンスに紐づいていることは少なくない。


「なんで運動しないといけないのか分かんないし、別に楽しくない。意味分かんない。」

「点数取れるとこで取っといたら楽ちゃうんか?」

「遊びなら楽しいけど・・・・、無駄に自慢してる人に絡まれるの、ダルいから、ヤダ。」

「あ~・・・・まっだおんのんか、そんなん。・・・・・ほなしゃーないな。」


頬張った麺を飲み込んだのか、ぽそぽそと独り言の様に稔の口から漏れ出した言葉は本心なのだろう。意味の無い妬み嫉みはかいたくない、人付き合いが苦手なだけで黙っているだけなのに、涼しい顔してそつ無く熟す態度が気に入らない、褒めたのに返す返事が冷たくて感じが悪い、と、理由としてはきっとこの辺りではないのだろうか。幼い頃から母親との時間も少なく、感情を表に出す機会が少なく、それが普通だと控えめに生きてきた稔にとって、【目立つ】という行為に対し、極端な嫌悪感を感じているのかもしれない。そしてことこの分野において、それが際立ってしまうと本人も自覚があるのか、授業という名目上、絶対に逃げられない時間に起こりうる限りの危険を、意図的に避けているのだろう。だがそんなポテンシャルを秘めている者を逃がしたくないと思う者もいるし、その相手が教師だったからこそ『手を抜いている』とそう判断された、と言うのが、稔が今回感じた、通知表の評価基準に至った流れという所なのだろう。


「うん、仕方ないからそれで良い。プールも沈むし、多分二学期もそうだと思う。」

「もう二学期諦めとんのんか。・・・・後音楽と美術と、技術のんはなんや?」

「笛とか指攣るし、歌うの恥ずかしい。絵は、描くものとかモチーフ考えろって何って感じだし、パソコンはソリティア出来ればいいもん。」

「こりゃアカンな、捨てや。もうお前はみな勉強に振るしかないな。」

「家次さんだって出来ない事あるでしょ!!?」

「まずワシは歌が上手い。絵も描ける、絵具やのうてえんぴつで描いて褒められとった。パソコンは知らんが木工は得意やった。数学以外はオール5や。」

「イヤ普通に数学死んでんじゃん。」

「足し引き出来たら人間は生きていけんのんやッ!ワシが困ってへんねんからそれでええんやッ!!」

「成績表見ながらそれは凄い駄目な大人の言葉だと思う・・・・。」

「じゃかましい黙っとけアホがッ!!」

「図星だぁー・・・・・あー・・・・・・・・・うむ、んぬ、・・・・んむー・・・・・。」


一番痛い所を容赦なく突かれ、家次は稔の通知表を素早く畳むとそのままの勢いでもって机の上に叩きつける。バンッ!!!と大きな音を立てる一枚物の卓上に、一体今までこの机はどれだけの癇癪をその身一つ手受け止めてきたのか、稔は一人無口にただ衝撃を受け続けてきたであろう机に少しばかりの同情を感じながらも、これ以上八つ当たりをされないようにと、皿の上残っていた焼きそばの具材を口の中にかき込んだ。プリプリの海老に烏賊のゲソ、程よい脂が美味しい豚バラに、シャキシャキキャベツに甘い玉ねぎ。それらに絡められた特製ソースが口の中で混ざり合い、鼻から抜ける香りさへも美味しい。


「大体算数でええやろが!それ以外生きとってどこで使う事あんねんッ!!」

「んー・・・・・んむー・・・・・、」

「な~にが“数学”ぅ!?こまっしゃくれた名前に変わりよって、それでカッコつけたつもりか!!?やっとる事そない変わらんやろがぃッ!!!」

「ん~!!・・・・っあ~、美味しかったー・・・・・、豪華焼きそばだった・・・・デカ海老うまぁー。」

「・・・・・海老はガラから出汁も取って使とる。やからソバも美味かったやろ。」

「あ、なるほど!だから特に海老ってたんだ、納得ー。家次さん、美味しかったです。ごちそうさまでした!!」

「おう、せやろ。今日は特に豪華にしたったんや。海老の出汁がある分醤油も美味かったぞ。」

「うわー、やっぱ醤油にしたら良かったか・・・・、でもソースも美味しかったよ!」


そう言って卓上に置かれていた麦茶を一気飲みし、ぷはっ!と一息つくと共にニッカリと笑った稔に、自分の作った料理を褒められた事で、一気に家次の溜飲が下げられていく。お茶は勿論、料理の腕前にも多少所かかなりの自信を持っている家次にとって、自分の作った料理を褒められることは、中々に喜びを感じるらしい。ごはんが美味しかった。そのたった一言、旨味に納得し綻んだ表情を見る事が、家次にとって何よりも満たされる瞬間であるという事を、稔は知っている。


「また今度!今度は僕も醤油で食べる!!」

「また海老買えたら作ったるわ、しゃーなしやぞ。」

「やったね。・・・・・ところでさ、家次さん、」


がなり声から一転、機嫌が直ったのか、フンと鼻を鳴らして仕方ないと鼻高々な家次に、稔はカラになった皿に箸を置くと、空いた手でそっと、家次の手元を指差した。大きな掌に押しつぶされる様に叩きつけられたそれの内容が、今日一番の胆である。一拍の間を置いて、ハッとした表情を浮かべた家次の様子に、それを確認した稔の口角は、それはもう満足そうに、にんまりと綺麗な弧を浮かべた。


「五教科成績文句なし!今回の勝負僕の勝ちっ!!やったー!!」


はち切れんばかりの笑みと共に、稔は両手を高々と掲げて、一人勝利の声を上げた。喜色満面と読んで文字の如く、一人歓声を上げやり切ったと言わんばかりの稔の様子に、家次は若干怪訝そうな表情を浮かべたが、それも一瞬の事。切り替えだと言わんばかりに一つ短く息を吐き出すと、唇をへの字に曲げながらも仕方ないと言わんばかりに、それに続く言葉を口の端から紡ぎ出した。


「・・・・・ほんなら飯も食うたから、行くか。」

「うんっ!行く!!あ、僕先に使った食器洗います!」

「当然や。・・・・もう飯時過ぎたから、空いとるか。財布取ってくる。」

「分かった!!」


家次の言葉に稔は使っていた食器一式を持って立ち上がり、急いでシンクへと小走りに向かう。少しばかり水滴のあるシンクに備え付けられた中性洗剤とスポンジを手に取ろうとして、先に水だけで濯がないと怒られる、と、一人忙しなく浮足立つ背中に、また溜息を一つ吐いてから、よいしょ、と小さな掛け声と共に、家次もゆっくりと片膝を軸にして立ち上がる。チラリと見上げた先の柱時計が示す時間は、午後一時半を少し回った所だ。昼食や軽食をとっていたであろう人の足もきっと遠退いている。何よりも一番熱い時間が近い、目的に対しての時間としては此処を逃すのは余りにも勿体ない。


「財布と、ハンカチ・・・・、紙も入れとくか。」


慌ただしい居間のすぐ隣、自室に入って直ぐの場所に用意をしていた一式をそっと懐に忍ばせて、面倒だと思いながらも楽しみだった気持ちも無かった訳ではないのだと、切り替える様に家次は緩んでいた帯を締め直し、着物の襟や裾を整えた。


「・・・・・・っし、ええやろ。稔、行けるか~?」

「もうちょいっ!あとシンク拭くだけっ!!」

「ほな先玄関行っとくぞ。」

「待ってもう行けるから!コレやんなくて怒るの家次さんじゃんッ!!」

「あったり前やろ!誰が水垢付きの水場好きな物好きなんかおるかっ!!」

「だっっっから今!拭いてるんじゃんッ!・・・・待って出来た!!一緒に行くッ!!」

「慌てんな、埃舞うやろ。・・・・・ほな行くか。」

「うんっ!!」


先に玄関口に向かう家次に追いつかんと、小走りに駆け寄ってくる少年の姿を横目に、家次は靴箱から散歩用の草履を一組取り出した。ついでにと近くにあった運動靴を出してやろうかとも思ったが、草履を出したすぐ隣に、まるで競う様に伸びてきた春先よりもずっと小麦に焼けた細腕に、気遣いは無用だったかと、家次は大人しく自らの足元へそのまま視線を向ける事にした。


「お前先行って注文しとけ。ワシ鍵したらすぐ行く。」

「わかった!僕の分だけで良いよね!それか家次さんのって言ったらいい!?」

「氷は削りたてがウマいんや。お前のンだけでええ。」

「分かった!レモン、ミルク2倍でッ!!」

「ワシに言うな。」


るんるんと、寧ろそれを越えて上下左右に物理的に飛び跳ねながら問うてくる少年に、家次は言葉少なく切り返すと、面倒だと言わんばかりに早く行けと、掌で追い払う様な仕草をとった。それが合図とばかりに途端、玄関から外へと続くくぐり戸目掛けて走り出した少年の足の速さたるや、それは体育教師のお眼鏡にも十分に敵うだろう見事なまでの瞬発力だ。それでもくぐり戸から外を伺う様に一旦動きを止めて慎重に安全確認を行う所がなんとも実に、稔という少年の性格そのものらしい。怒られないように慎重に、でも気持ちの赴くままに動く時は大胆に、実に自由で、実に楽しそうで。そういう普段周りの顔を伺っている癖に、時に感情的に子供らしく、身勝手な振る舞いを所が、実は家次も嫌いでは無いのだ。


「じゃ、僕先に食べてます!!」

「分かったから早よ行け、回り気ぃつけよ!!」

「はーい!!」


スルリとくぐり戸の向こうへ消えた少年の姿に、家次は改めて玄関扉の施錠を確認し、そして少年と同じように、くぐり戸の先へと顔を出す。途端聞こえてくる雑踏に、コンクリートからの照り返しの光の強さと熱気にグッと眉間に皺を寄せながら、少年が駆けていった方へと目を向ける。


「アイツホンマに足速なったなぁ・・・・・。」


探せども見えない背中に、もう角を曲がったのかと少し呆気に取られながらも、家次は外門の鍵の施錠に取り掛かる。南京錠とナンバーロックの両方を確認しながら、ふと出会った頃の泣きべそを掻いていた少年の顔を思い出した家次の口元は、思いの外柔らかく綻んでいた。



・稔くん

かき氷はレモン味かコーラ味派!今回は成績で上位を収めたので、家次の奢りでミルクのトッピングが2倍になってそれはもう喜んでいる。が、美味しいのには間違いは無いのだが、何事も適量という言葉の意味を身をもって体感した夏休みの始まり。余りにもダイレクトな甘さの直撃に、三口目からスプーンが止まり、ミルクが掛かった部分を家次の氷の上へと置いて行くという暴挙を働き、この後でしこたま怒られる。もうちょっと欲しいな、程度で止めるのがベストだと知った暑い夏の日。


・家次さん

みぞれこそが至高の存在、その他は特に好かんが無いんならイチゴが妥協点。ミルクアイス金時白玉トッピング(みぞれベース+ミルク+あんこ+白玉+ソフトクリーム)がいつものである。あんこと白玉も、アイスとあんこも、アイスと白玉も、氷とあんこも美味しいが、急にミルクが増えて黄色くてレモン味のものがみぞれの上に現れて切れ散らかす大人気の欠片も無い大人である。ただし練乳には何の罪も無いのでちゃんと食べる。商店街のこの店でしか外で氷を食べることは無い。基本毎年お家で自分でかき氷をするタイプ。


・お茶何処さん

家次さんが小さい時から通っているお店で、店内は八席ほどしか席が無いが、狭いが居心地の良さに定評があり、基本いつもお客さんがいる。毎年姉と、ないし一人で氷やぜんざいを食べに来ていたが、数年前から学校の節目ごとに大人しい少年を連れてくるようになって少し驚いていた。大人しかった少年も慣れてきたのか少し話せるようになってと、少年の成長を見守ってくれている。そして気難しくて有名な家次の表情も少しばかり柔らかくなり、それを喜ばしく思っている。実はお代はチカから先払いで貰っているので、その金額を超えた場合には家次に請求がいくことになっている。そして今回の稔のトッピングは、一つ分はおまけにしてくれているので、実際には家次に出費はなかった。



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