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家次さんと、  作者: 斗彫
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僕のともだち。1


朝、週始まりの全校集会を執り行った後、即教室に戻った生徒たちに、教壇では急いだ様子の担任が、忙しなく開いた名簿に点呼時点での出欠の有無を記入して、そのまま片手間にテスト一週間前だから気を緩めないように、と、少しばかりの雑談を挟んでから、一限目を担当する教科担任と場所を入れ替わった。毎週変わらない、何でもない授業の始まりへと、それでも少しヒリ付いた様な空気が教室に漂っているのは、今日一日の授業・教科総じてテストでの要点を表されるからか、無意識下での警戒心、少しやる気の空回りだったり、皆緊張しているのだろうかとだろうかと、稔は何となくだがそう思っていた。それが違っていたと知ったのは、昼休みの入って少し経った頃だった。稔の元に余り馴染みのない、まともに話したことは無いが、ただ顔だけは知っている、そんな人物の来訪があったからだ。

そこから午後の授業中、稔の集中力は完璧に削がれ気もそぞろ、教科書の要らない場所にマーカーを引いていたり、ノートの端に板書を無視して行き場のない感情を紛らわせるように、何の意味もない、落書きにもならない円をグルグルと描いたり、線のような、植物の茎のようなものを書き込んだりしていた。教科担当の先生が板書した場所に線を引き、此処がポイントだから忘れるな、と言っていた姿は覚えているが、その真後ろの黒板に書かれている公式か、構文かを、稔は真面にノートに書くことは疎か、教科書でさへも違うページを開いたままに、一日の授業を終える事となった。

そして帰りのホームルームの後、今日の稔は一早く教室から飛び出した。階段を一段とばしに飛び降りて、人もまだいない下駄箱の中、焦って踵を踏みながら靴を履き替えたからだろう少しバランスを崩しながらも、後からやってきた高学年の生徒の波を掻い潜りながら、全速力で校門をくぐり、風紀の先生が姿を現す一足先に、一人学校を後にした。

今の気持ちを、戸惑いを、誰かに、家次に聞いてもらいたい、不安な気持ちを今直ぐにでも相談したい。だがそれを本題に上げるよりも先に、今日は稔とってやらなければならない【おつかい】のある日だ。週明けのおつかいは稔にとっては今や習慣化されたものだ、しないという選択肢はほぼ絶対といって良い位無に等しい。だからこそ今日は御勝手の傍らで、巾着片手に不機嫌そうに佇む大男の影を、稔は思わず望んでしまう。どれだけ不機嫌であったとしても、それが今の稔にとって最短で用事を終わらせることが出来るのであれば、少しの怒鳴り声なんて、通りすがりの道すがら、すれ違った時不意にされる野良猫の威嚇程の脅威と特に変わりはしないのだから。だがそういう時に限って、望む影というものはそう都合よく現れてはくれない、走った先見えてきた木々の隙間から御勝手に繋がるその場所に、目立つ人影は見当たらない。思っているよりも自分が早く来てしまったせいではないか、そう少し残念であり、真面目故、走るという行動が裏目に出てしまった結果かと、稔は自身の中でトグロを巻いて大きくなるばかりの不安や焦りを振り切る様にして、家の中で待っているだろう家主の下へと、地面を踏む足の力を強めた。

何時もならなんて事のない地面に足を取られつつ、それでも懸命に森を抜けた先、やっとこさ見つけたお目当ての人物を縁側に見つけて、稔は勢いそのままに有らん限りに声を張り上げその名を呼んだ。


「~~~家次さんッ!!!巾着ちょうだい!!早くっ!!!」

「おう稔~、おかえりぃ~。」


要件はいつでも短く。そして単純明快・端的に最短で事を伝えるのが一番手っ取り早い。縁側にどっしりと腰を下ろし、煙草の煙をくゆらせながらのんびりと答える家次に、稔は乾いた地面を飛ぶように駆けながらも、全く此方の焦りを組もうとしない、寧ろ噛み殺そうともしない大あくびを一つ吐いて見せる家次の様子に、早く事を終わらせたいのだと、焦りのまま口先を付き止まらぬ言葉を、勢いのままに吐き出した。


「~~っ家次さん早く巾着ちょうだい!!僕すぐ買ってくるからッ!!!」


思った通りに動かない相手に、焦れた稔の言葉尻が、本人も知らぬ間に攻撃的になっていく。今それよりも先に聞いて欲しい事が、相談に乗って貰いたい事があるのに、それでも自分はお前の代わりに【おつかいに行ってやる】のだから、と、さも言わんばかりの語気の強さに、言葉をぶつけられている筈の家次は、一つ煙草を深く吸い込んでから、左手の親指と人差し指でフィルター部分を持ち口から放すと、煙を吐き出すと同時にして、良く知った籐の籠を右の手で引き寄せ、籠一杯に入った菓子を稔に見せる様に傍へと寄せた。


「・・・・・菓子ならもう買ってきた。今日はお前行かんでええぞ。」

「え・・・・・、自分でおかし、買ってきたの・・・・・?」

「・・・・・せや。お前が来るまでは、ワシかて自分で買うとったんや。なんの問題ないやろ。」

「そう・・・・、なんだ・・・・・。」


落ち着いた声色に、わざとゆっくりとした言葉遣いに、目前用意をされていたのだろう菓子の入った籐の籠に、稔の声は一気に勢いを失ったかと思えば、狭まっていた視野にやっと気が付いたのか、はた、と稔の言葉が止まる。そして行き場を失った感情に戸惑いの気持ちを隠しきれなくなった稔の視線が、まるでバチリ!と音が鳴ったのではないかと思う程の強さで、何もかも見透かしていると言わんばかりの家次の鋭い眼光に捕まった。


「おう。それよりも稔、おかえりぃ。なんや急いどるけど、今それはなんかなる事か・・・・?」

「・・・・・ただいま、家次さん、・・・・・ごめんなさい、ならない、です・・・・・。」


おかえりと言われたのであれば、ただいまと返す。当り前に思うかもしれないが、対人においてこういった何でもないように思える掛け合いこそが、意外と重要であり、関係性の良好化を招くのだ。どんな相手だとしても決して相手に礼節を欠いてはいけない。だからこそ、その返事一つを稔から引き出すために、家次は相対の掛け合い繰り返していたのだ。


「ただいま家次さん、・・・・・今日僕聞いて欲しい事があって、一人で勝手に、焦ってた。」

「別にかまん。ワシも何となくやけど分かっとる。・・・・・荷物預るから、勝手口締めてこい。話ならちゃんと家入って、お前がココ座ってからや。落ち着いてから全部聞いたるわ。」

「うん、ありがとう、家次さん・・・・。」

「おう。ほな扉頼むわ。荷物は今日は玄関でええな。置いとくわ。」

「うん、お願いします。」


落ち着きを取り戻し、家次に促されるまま、稔は御勝手の戸締りをすべく、そのまま身を翻し、今正に駆けて来た道へと今度はゆっくりと引き帰した。今日稔のするべき用事は、もう既に家次が終わらせてくれている。焦らずに落ち着いて、家次はちゃんと話を聞いてくれると、自分に約束をしてくれたのだから。そう繰り返し、何度も何度も自らに言い聞かせながら歩を進めていた稔の足は、気が付けばもう御勝手の手前まで辿り着いていたらしい。考え事をしていたのに、気もそぞろに足元になんて注意の一つも向けていなかったのに、行きではあんなに何度も転びそうになったはずなのに、踏み固められた獣道に、今の稔は何にも足を取られることは無かった。


「本当に・・・・、自分で勝手に、見えなくなってたんだ・・・・・。」


梅雨の明けた今、ほぼ毎日のように足を踏み入れていた一本道は、程よい湿気を帯びただけで、足を取られるようなぬかるみなんて、一つとして存在していない。寧ろ乾いた剥き出しの地面は固められ、歩きやすくさえなっているのに、一体自分は何に足を取られていたのか、稔にはもう分からなかった。それでも勝手口の戸は、わざわざ鍵をかけるためだけに帰ってきてくれた少年に、まるでありがとうと言うかのように、カタン、と一つ、少し乾いた音と共に施錠の完了を知らせた。普段はそんなに鳴らないのにと、落ち込んだ気も相まってか、それすらもなんだか今の自分を励ましてくれている様な気がして、稔は一人、寂しいながらも小さく笑った。



*



「ただいま、家次さん。・・・・二回目だけど・・・・、」

「おう稔、おかえり。ちゃんと帰って来たな。扉ありがとうな。」

「ううん、最初から締めて無かった僕が悪いから。」


庭先にもう一度戻った稔の姿に、のそのそと巨体を揺らして立ち上がった家次は、短くそう言ったかと思えば、家の中へと消えていった。普段通り、何も変わらないその様に、稔もまた倣うかの様に、玄関先へとその足を向けた。家次は【言葉通り】の男だ、言ったことをそのまま素直に行動し、一度口にした言葉であれば、余程の事が無い限り、それを裏切ることはしない。だから先刻の言葉通りに稔の鞄はきっちりと、隣り合う様に、玄関の小上がりの壁横ぴったりの位置に置かれていた。口調は荒いし言葉遣いや雰囲気に確かに覇気があるが、本当はちゃんと優しい、結構几帳面かつ繊細な人なのだ。だからこそ、そんな人に気を回させたことが、稔に深い罪悪感を抱かせているのかもしれない。いつも通り、玄関で靴を脱ぎ、洗面所まで続く家の中、見える背中は今日も変わらず、稔の為に茶を用意している時のそれだ。広く、大きく、逞しい背中が、少し丸くなりながらゆっくりと急須に湯を注ぐ姿に、稔は先程までの自身が行った自分勝手な振る舞いを思い出し、思わずサッと視線を反らして、下を向いて先を急いだ。


「今日は緑茶や。冷たするか?氷あんぞ。ワシはそうする。」

「・・・・僕もそれが良いな、お願いします。」

「分かった。」


視線はそのまま、家次の声に応えるも、何処か後ろめたさからくる感情に上手く顔を上げる事が出来ないまま、稔は足早にその場を後にする。家次からの視線は感じなかった。きっと家次は普段と何ら変わらないのだろうから、茶を入れることを最優先に、稔の方へと視線を寄越さなかったのだろう。それに少しの安心感を感じながらも、逆に自身の器の小ささを思い知らされている様で、稔は自分で自分が情けないと、洗面所まで辿り着くその僅かな時間中、思わず下唇を噛み締めていた。そうして辿り着いた先、洗面台に備え付けられた鏡に映った自身の顔は、情けなくてとても真正面から見据えることが出来ない位、傲慢で高飛車で、未熟を現したような表情をしていた。


照らし出された縁側には、良く知った後姿が一つ、どっしりと岩の様に既にその場に座していた。その左隣には何時も使われているお盆が一つ、そして更にその横に、この家で夏場になると姿を現すい草で編まれた年期物の円座が、此処に座る者の存在をただ静かに待っていた。いつもどうやってその男の傍らに腰を下ろしていたのか、先程までの自らの行いを頭の中で反芻し、居た堪れない気持ちを抱えた稔の身体は、【いつも通り】が出来なくなっていた。ただ座るだけ、少し膝を折りたためば済む筈の事なのに、傍に寄っても良いのか、その権利が、資格があるのかが分からない。ただ漠然と、怖いと、稔は無意識に息を詰め、ぎゅっ、と自らの手の平に爪が食い込んでしまう程、固く拳を握りしめていた。


「・・・・・稔、戻ったんか、早よこっち来て座れ。」

「うん、ありがとう家次さん・・・・・、その、・・・・」

「ええから早よ来い言うてるやろ!さっさココ座れ!・・・・ったくめんどくさいのぉ~。」


背後でまごついている稔の存在を感じたのか、それとも何となく遅いなと振り向いた先に、稔の姿が目に入ったのか。どちらにせよおやつの用意を整えた家次は、お前が来ないと始められないとばかりに、早く座れと言いながら、いつもと何ら変わらぬ調子で、大雑把に手を動かしてバンバンと縁側の床板を叩き鳴らせた。


「今日は姉やんがくれたきんつばや。オッサンは腹立つけど、味は美味い。」

「そうなんだ、チカ姉さん来てたんだ。」

「ワシが三つ、お前が二つや。ほんで茶は抹茶の粉末入りのヤツや。」

「それ前に言ってた良いやつじゃないの?良いの?」

「濃いからな、氷で薄まった方が飲みやすいんや。あんこは抹茶がエエからなぁ~。」

「そっか、甘いのと苦いので丁度良いんだね。楽しみだな!」


家次に促されるまま、慌てたように傍に寄った稔だが、膝を折りながらも内心は気もそぞろ、言われた内容に返事を返すのがやっとだった。本当にこれで良いのか、このままで良いのか、何がこのままでは駄目なのか、そんなこと当の本人である稔が一番分かっている。


「・・・・・家次さん、その・・・・・、さっきは、ごめんなさい・・・・・。」

「何がごめんなさいなんや、それは何のごめんや?」


円座の上、思わず姿勢を正す様に正座した稔に、家次は胡坐を掻いた膝の上、右肘を付き、少し前から覗き込むような形に首を傾げて、隣に座った稔の顔へと視線を流した。


「今日ここに来て、全部。僕ずっと家次さんに失礼な態度取ってた・・・・。言葉遣いも、ひどくなってて、・・・・お邪魔してるの僕なのに、家次さんに、失礼な事してた・・・・ごめんなさい。」

「ほーん・・・・・、んでその態度はなんや?」

「・・・・・反省してて、僕が此処に居ていいのか、考えてる・・・・、ます・・・・。」

「はぁ~、そうかぁ~・・・・・。」


じっと、隣から向けられる視線を感じながら、居た堪れない気持ちを吐露しながらも、稔はその瞼を開けることが出来なかった。家次に軽蔑をされたかもしれない、もうここに、此処への出入りを禁止されるかもしれない。稔は家次の事を何処か友達みたいに思っていた節が在ったが、現実的には全く違う、その関係は赤の他人であり、【大人】と【子供】である。たまたま知り合って、たまたま懇意にしてもらい、たまたま子供を預けられている、この家の持ち主である家次は【大人】であり、稔はこの辺りでは少しばかり知っているだけの【子供】にしか過ぎない。そんな者が大口を叩いても良いと、許されると、何時から思っていたのか、思い上がっていたのか。自分で振り返っても恥ずかしい言動に、常識知らずな行動は、母が知ればなんと思うだろうか。そもそも稔が此処に居られるのも、家次やチカ、母に許可を貰って、やっと公に許されているだけ。稔自身には未だ何の権利も、資格も、明確な決定権も持っていない、ただの子供なのだから。


「・・・・・稔お前、真面目やなぁ~。」


強張る稔の耳に最初に届いたのは、それはもう人を馬鹿にする時に家次が良く使う、鼻で笑う音、そして次に聞こえたのは、誰もが馬鹿にしていると分かる程軽い口調の言葉だった。思わず、本当に思わず顔を上げ、音のした先へと視線を向けた稔の視界に入ったのは、眉を八の字に曲げて、笑い出さんとばかりに口元にわなつかせた家次の姿であった。


「ぇ・・・・・、家次さん?」

「おっ前その年でそんな一個一個真面目に悩んどったらこの先生きていかれへんぞ?これで帰り道躓いてコケたらお前どないすんねん?今日の事でもう生きてられへんってなるんか??」

「ちょっと待って僕今素直に反省して謝って、」

「重い重い!そんなんやったらこれから生きていかれへんぞ!お前まだ中一やぞ?先どんだけあると思ってんねん!年取ったらそんなん毎回やってられへんぞ?」

「わっ、悪いと思ったから謝ってんじゃん!なんで僕が謝って馬鹿にされてるの!?」

「そんなんお前がずぅ~~~っと勝手に考えて謝っとるだけやろ!ワシはもうええ言うたやんけ。」

「イヤそれでも悪いと思ったからッ「ええんや!!」・・・・・。僕が、言いたいんだよ。」


気が付けば続いていた何時もの言葉の応酬に、それでも話は終わりだと家次に次の言葉を遮られ、それでも稔は尻すぼみでも己の意思を声に乗せた。例え独りよがりだとしても言いたいのだと、ポツリと言い、そしてまた黙った稔に、家次は大げさな位ワザと大きなため息を一つ吐いてから、稔の頭をわしりと掴み、ぐりぐりと少し大げさな位、二、三度その頭を撫でてやった。


「お前が自分で考えて、悪かったと思ってちゃんと反省した。二の轍は踏まんと思うた。そんならそれで十分やろ。」

「それでも悪い事だし、ちゃんと謝んないと、失礼だし・・・・・。」

「真面目やなぁ~。ワシがガキん時はもっと言うだけ言うて、言い返される前に走っとったぞ。」

「それ最悪じゃん・・・・・。」

「何言うてんねん、言うたもん勝ちや!・・・・それに稔、相手誰やと思とんねん。」


家次の言葉に思わず返した稔の瞳に、いつもよりもずっと不敵な笑みを浮かべた家次の顔が映り込む。


「たかがガキの啖呵如き、ワシに効くとでも思っとんか?ンなもんへでもないわ。」


自信満々にそう言い切り、吐き捨てる様に笑ってみせた家次の顔は、今まで稔の見てきた中で一番の、恐れ知らずのそれだった。唯我独尊、常に我が道を行ってきた男の浮かべる笑みは何よりも力強く、言葉に乗る稔の知らない経験上の重みなのか、言い切るだけの説得力があった。


「ガキが生意気見せただけやろ。んでも成長したな、稔。昔やったらもう泣いとったな!!」

「ッ~~~~なんで要らないこと言うの!せっかくちょっと見直したのにッ!!!」


大口を開けて笑い、そして数年前に目撃した稔の泣き真似を始めた家次に、稔は思わず視界の中に入った家次の肩を殴ってみたが、効果は全く無かった様だ。そして暫く続いた誇張表現マシマシの泣き言モノマネに、稔が負けじとチカに怒られた時の家次を真似出すのも、それも時間の問題だった。それから数分後、やっと普段の調子を取り戻し始めた稔の様子に、家次は短く咳ばらいを一つすると、ほな、と、短く本題に入ろうと少し柔らかくなった空気の中、出来るだけ自然な風を装って、稔に話を振ってみせた。


「・・・・・ケンちゃんが、停学になったんだ。」

「お前のトコの中坊が悪さして、学校に連絡行ったって話はワシも聞いとる。内容は知ってんか?」

「ううん、知らない。・・・・でも昼休みに、ケンちゃんと同じ野球部の子が来て、ケンちゃんが休んでる理由、教えてくれた。一週間もだから、きっと耳に入るって・・・・、」


言うと共にその時の事を思い出したのか、一気に顔を暗くして俯いてしまった稔に、家次は少し様子を伺う様な視線を向けるが、それもすぐに止めると、出来るだけ抑揚を抑えた落ち着いた声色で、町内で回っている話の概要を口にした。


「ここから近所の公園のボール遊び禁止ってなっとる一画で、わざわざボール投げて、そんで裏手の家の窓割ったんや。網硝子やったから周り飛び散らんくて良かったけど、今まで何べんも注意しとったし、学校にも連絡しとった上でのことやからな。流石に今回の事は問題にしたみたいや。・・・・・お前はそこは聞いて無かったみたいやな。」

「うん・・・・。僕が聞いたのは野球部員で起こした問題で、ケンちゃんがその中心になってたから、責任者扱いで謹慎処分、停学だって言ってた。・・・・そう言われて、意味、分かんなくて・・・・・、」


稔の【意味が分からない】という言葉は、その文字通りの意味では無く、【何故刀也だけが処分をされなくてはならないのか】という意味合いの物なのだろう。部活動員の起こした問題であれば何故部として対応にあたらないのか、何故刀也が、そんな思いが透けて見える物言いに、家次はふむ、と軽く顎に手を当てて思案するような仕草をしてみせたが、それでも特に気に掛ける様子も無く、そのまま話を続けた。


「ほんで慌てて俺のトコ来て騒いだと、なるほどなぁ~。お前にソレ言うたヤツは、この前ケンと一緒に来とった中に居ったか?」

「うん、居たよ。いつもケンちゃんの一番傍に居る、ちょっと大人しい感じの子だよ。」

「ケンの傍・・・・あの腰巾着みたいなヤツか?まだひょろっとしとる、一番こんまいヤツやな?」

「言い方・・・・・・、でも多分そうかな?中学から始めた子で、部の中では小さい目方かな。」


なんとも人を下に見た言い方をする家次に、稔は失礼だと少し言葉を濁しながらも、それでも確かに己よりも背の低い相手の事を思い出し、家次の記憶の中の姿と、少年の姿をすり合わせる。刀也よりも一回り程小さく、稔より5センチ程背の低い、一見物静かな印象を受ける彼は、野球が好きで、進学と共に入部し、同い年だが既に実力のある刀也に憧れと関心を寄せていた。少しでも追いつきたいからと一番近くで練習し、そのメニューを真似たりと、部内、且つ同学年の中では、そこそこ真面目な人物らしいと、稔は刀也から聞いた友人の人となりを家次に語ってみせた。


「あん時のか・・・・・。そんならなんで、そんな奴がお前にケンの事わざわざ教えに来たんや?人伝に聞くんとなんか違うか?」

「それは多分、僕が幼馴染だから・・・・心配しないようにとか、そんな感じじゃないかな?」

「今逆にお前が心配してるんは、ソイツから中途半端な情報聞いたからやないんか?」

「それは・・・・・・、僕だって、ケンちゃんが問題起こしてたなんて・・・・、」


家次の問い掛けに言葉を詰まらせる稔の胸の内に、言いようのない不安の輪郭がぼんやりとだが見えてきた。言われて初めて気が付いた違和感に、稔の心をかき乱していた原因の正体が、嬉しくない確信と共に、稔の中で姿を現していく。『刀也【が】問題を起こし、結果彼【は】罰を与えられた。』稔の友人の中、一番長い付き合いで気心の知れた相手の事を、自分か彼から直接聞くのではなく、全く関りの無いと言っていい他人から無情にも投げられた原因とその覆しようもない結論に、自らが一番納得が出来ず、そして戸惑っていたのだ。


「僕ケンちゃんとは友だちだって思ってる。ケンちゃんは確かに元気で、ちょっと無鉄砲なとこはあるけど、決まり事破ったり、自分から問題起こしたりなんて、しない。」


俯きつつもはっきりとそう言い切った稔の声は、先程までとは打って変わり、何処か芯の有る、確信めいた強さを持った物に変わっていた。


「せやな、ケンはお前の友だちで、ワシも知っとるがエエやつや。元気過ぎるがな。」

「うん、だから僕信じられなくて・・・・、違う、今も信じてない。ケンちゃんがそんなことする訳ないって思ってる。絶対何か間違ってるって。」


顔を上げ、はっきりとそう言い切った稔の瞳には、もう先程までのような戸惑いや、淀みのようなものは無く、真っ直ぐと家次の目を見てそう言った時のそれは、稔自身で決めた指針に対しての、もう揺らぐことのないという、強い決意の、意志の表れだった。


「ほうか・・・・・。んなんやったら、お前は周りの言う事なんも信じんでええ。本人から聞くまで、何にも、誰の言うことも聞かんでええ。ケンが言いたなったら、言ってくるやろ。それまで待ったれ。」

「うん、そうする。・・・・謹慎明けになるけど、気になったら本人に聞く。それまではこの話はしない。聞かない。」

「それでええ。・・・・それにもしお前が逆の立場やったとして、自分の居らん所で勝手に話し流されて、勝手に尾ひれ付いてしてみろ、どんな気持ちなる?」

「・・・・・すっごいヤダ。何も知らないのに、仲良くないのに悪口言われてる感じする。」

「せやろ?ほなこの話はもう終わりや!今は稔、お前来週からテストあって、そんでお前のオカンに心配かけへんことがいっちゃんええことやないか?お前一人が勝手に心配しても、ケンの事はなんも変わらんのんや。一旦脇に置いて、そんで目の前の事ちゃんとせえ。」 

「分かった、そうする・・・・・、この話おしまい!僕もうケンちゃんからの言葉しか信じないもんね!」


家次の言葉に返事を一つ返しながら、今ここで稔がすべきことは、何も知らない状態のまま、刀也の謹慎理由に思いを馳せるでも、闇雲に心配しているとポーズをとる事でもない。今、自分のするべき事を、優先順位を間違ってはいけない。友を心配する気持ちというものはそれはもう大切で、誇らしい事かもしれない、そんな事が常ならば、幾らでも美談を生み出すことも出来るだろう。だが幼馴染で友とは言えど、稔は勿論刀也本人ではないし、家庭環境だって全くの別物だ。自分と他人を混ぜて考えてはいけない、それよりもきちんと、事柄に優先順位を付けて、今自分が一番に成すべきことをする。それこそが稔にとって、一番大切な事なのだ。


「僕もう心配しない、終わり!家次さん、きんつば頂きます!!」

「おう食え食え、手拭きはこれ使え。お前・・・・、長い事かかってもうたから、抹茶沈んでもうたやんけ~。」

「あ、ごめん・・・・、うわー、だいぶ氷も溶けてるー・・・・、」


暗くなっていた空気を打ち消す様に声を上げ、正座から足を崩した稔に、いつもなら卓上のど真ん中にある筈の備え置きのウエットティッシュが差し出される。お盆と一緒に持ってきてくれていたのか、どこまでも几帳面な家次の行動に、稔は感謝を口にしながらも、次に続いた言葉と共に、その視線を盆の上に並べられた、小奇麗な切子細工が施された、少し良いグラスへとその視線を向けた。美しく細工の施されたガラスの表面はもうびっしりと汗をかき、細工の溝をなぞる様に落ちた水が、盆の上で小さな水溜りを二つ作り上げている。中も氷が解けて上部には水、その下には緑茶、抹茶と、三つの層を作ってしまっている。


「結構話しとったからなぁ、・・・・まあええ、持って来とったしなぁ。」

「何をって・・・・それってそうだったの!?」

「せや!まあ濃いめにしとったから丁度ええやろ。」

「うわぁー・・・・マドラー無くてもせめてスプーン・・・・ぅわぁー・・・・・、」


取り分けように持ってきていたのかと少しばかり場違いに思っていたものは、どうやら取り箸でも無かったらしい。使い捨ての個包装の紙で出来た外装を剥ぎ、中から姿を現した割り箸は、本来の使用用途からだいぶと離れた目的でもって、稔の静止よりも先に、頭から縦長の切子細工のカップの中、コツンと底を打つまで沈められ、そのままカラん、カラ、カラん・・・と、氷のなんとも硬質澄み渡りながらも、それでいて水の柔らかさも伝わらせるような、耳心地の良い揺蕩う音を響かせていた。


「この茶は美味いんや、きんつばと良う合う。」

「ありがと、家次さん。いただきます。」

「おう。ワシも一緒に食う。」


手を拭い、箱から一つ摘まんで取り出す稔に続き、家次の大きな手が、同じように、その横にあった一つを摘み上げた。同じもののはずなのに、家次が持つとなんだか全部が小さく見えて、稔は自身の手の中に、ずっしりとした餡の重みを感じながら、そっと一口、その角へと口を付けた。


「・・・・・んま、コレ美味い・・・・、んまんまだ。」

「せやろ。ここのんは甘さが絶妙なんや。これで茶飲んでみろ!」

「ん、・・・・・っうぅわ、ナニコレうまぁー!!!」

「ええやろ!!やっぱここのきんつばには、この茶が合うなぁ~。」


そう言って一口、一口と、大切そうにきんつばを口にする家次の姿に、稔は少し控えめに、小さな笑みをこぼした。嬉しい事があったって、悲しい事があったって、自分だけじゃどうにもならないことが、まだ稔が知らないだけで、この世の中にはそれはもう数多存在するのだろう。それでも一人で抱え込まずに、誰かに聞いてもらえれば、自分にとっては大問題かも知れないが、他者から見ればとても小さく、些末な問題なのかもしれない。どれだけ悲しんだって、どれだけ悩んだって、どうすることも出来ない事はある。家次の用意してくれたきんつばは控えめな甘さと程よい塩気に、茶は少しの渋さとそれをコクに帰るまろやかさが、抹茶によって添えられている。


「美味しいね、家次さん。もう一個もらいます!」

「お前もっと大事に食えや~、たんまにしか食べられへんねんぞ??」

「美味しいと思って食べるのが一番良いんだよ?もったいぶると残念な気持ちになるもん。」

「ん~、それもそうか・・・・。ほなワシも食お。」


次へと手を伸ばす稔に少しばかり苦言を呈した家次だったが、返された言葉に妙な納得感を得たのか、少しの間をおいて同じようにその手を伸ばした。幾ら虚勢を張ったとしても悩みは絶えることはないし、そして同時に悩んだだけ、同じように腹も減る。今は考えずに美味しいものを食べようと、稔はまるで気持ちを切り替えたように、次のきんつばに口を付け、そして茶を飲み込んだ。


甘い砂糖の味を包み込み口の中に残る嫌味のない切れのある苦みが、今の稔には心地良かった。


皆さん、きんつばは好きですか?私はみたらし団子派です。



・家次さん

悩める子供にどう接したものかと思案していたが、普段が大雑把ゆえに慰めると言ったことが大変苦手で内心とても焦っていた。そしたらあんまりにも稔くんが素直にしょげているものだから、こんな事でここまで悩めるのも凄いなぁ~と感心してしまい、そこから一周回ってなんでコイツ自分の事でもないこんな事で必死になってんねんやと思い、なんだか落ち込んでいる姿が面白く見えてきて思わず笑ってしまった不謹慎な大人。でも普段と違って力技ではいけないとかなり気を使っていたので、稔が帰ってからは晩御飯も碌に食べずに風呂に入って寝た。一応心は優しいし、何なら一番繊細まである。きんつばは四角派。


・稔くん

ケンちゃんの事が心配になってというよりも、自分の知人が問題を起こしたのかとパニくっていた。停学・謹慎なんてどれだけ大事をやらかしてしまったのか、子供でなければ捕まってしまう様な事なんじゃないかと、無い知識を動員して考えた結果、分からないまま迷走して家次にあたってしまった。言っても子どもの世界は狭いので大事件である事には違いないが、大人の家次に大まかな事情説明をしてもらえたので落ち着いた面が大きい。もっとおいしくきんつばを食べたかったと、後に後悔している。


・ケンちゃん

只今絶賛停学・謹慎処分中。携帯は親に没収されているので、外部との連絡手段は家電のみとなっているが、電話がなる事はほぼないし、家の外に出ることも出来ないので、一旦お休み中。


・続々・スーツのお兄さん

左遷先は所属していた不動産会社の下請けらしく、それこそ家次の家の地域にある地域密着型のこじんまりとした店舗であり、そこではほぼルート営業のような、御用聞きのような仕事ばかりが待っていた。最初に指示をされたのは、デスク回りの用意と、それが済んだら担当が変わりました、と自分に割り振られたビルや土地の所有者に、手書きの葉書を作り、送る様にというものだった。特に新規開拓等の営業ノルマは無く、時間も早出・残業のない生活に変わり、どうしたらよいのかと少し時間を持て余している。それにしてもパソコンがあるのだから手書きの葉書なんて何の意味があるのかと、目的を失いつつも、書き損じが許されない業務内容に、少しばかり不満と、手の痛みを抱いている。(続きます。)

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