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家次さんと、  作者: 斗彫
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訪問者。2


稔が自身の気持ちを吐露してから数分、押し寄せてきた感情の波が緩やかに落ち着きだした頃、まだ少しぐずる稔を一人座らせ茶を飲ませる家次は、いつの間にか沸かしておいたヤカンから、奥の部屋から取って来ていたらしい手ぬぐいに、ザッ、と軽く音を立てながら湯をかけた。突然降り注いだ熱湯に、流し台がボンっ、と少し抗議するように音をさせたが、家次はそれを無視すると、今度は備え付けの蛇口から軽く水を流して直ぐ止めると、そしてその水と湯を混ぜ合わせる様に、水がしたたり落ちない程度に、最後に軽く手ぬぐいを絞った。


「ほれ稔、これで顔拭け。汚れてきったないのぉ~。」

「ありがと家次さん・・・・ッあっつ!熱ッ!コレ熱っつい!!熱ッ!!」

「自分でちょっとパタパタしたらええやろ。にしてもお前、・・・・・ホンマに泣き顔ぶっさいくやったなぁ~!」

「コレ絞って熱くない家次さんの方がおかしいよッ!・・・・・、うわー、ぬくいー・・・・・。あったかーい・・・・・。」

「・・・・・文句言うといて、お前満足してんのんかい。贅沢なやっちゃな。」


簡易的に作られた蒸しタオルに顔を埋め、顔を包み込むように与えられた温もりに、緊張から解放されたと体が安心できたのだろう、暖かな手ぬぐいで二、三回と顔を押し付ける様に拭うと、反射的に稔の口から安堵のため息と言葉が漏れる。なんとも間延びして、しまりを無くしたただの感嘆に、その様子を見ていた家次は、落ち着きを取り戻した稔の様子に、ぶつくさと少し文句を言いながらも心中ではホッと一つ胸を撫で下ろしていた。

それから稔が落ち着きを取り戻すまで暫く、冷たい麦茶を注いでいたガラスカップの表面はびっちりと汗をかき、机の上に今にも円形の水溜りを作り始めようとしていたころだっただろうか。目の前、視界が開けていく感覚に、ようやっと周りの情景を稔の脳が認識すると共に、タオルから顔を上げた様子を察知した家次の指先が、置き忘れられたままのそれを指さした。


「早よこれ飲んでまえ。飲んで、そんで一息吐け。」

「うん・・・・、いただきます。」

「もう一杯飲むか?いるんやったら持って来るぞ?」

「ううん、大丈夫・・・・、なんか・・・・、落ち着いたー・・・・・。」

「せやな、お前むっちゃパニクッとったからな。まあしゃあーない事やし、そんな何べんもある事ちゃうからなぁ。」

「あんなの何回もあったら僕怖くて家出れなくなっちゃうよ!寧ろ片手で人持ってく家次さんがおかしいんだよ!」

「お前何言うとんねん。ワシがああやったから無事やったんやろが、普通感謝するもんちゃうんか!?」

「いや僕どちらかと言えば巻き込まれた側だと思うんだけど!?そもそも何なのかもまだよくわかってないし・・・・・、なんか正攻法とかなかったの??」

「一応は話通してんねんけどな、たんまにあんなん来よるんや。もうこれで減ると思うんやけどなぁ~んん~・・・・、」


純粋な稔の問い掛けにイヤな所を付かれたのか、のらりくらりと答えを濁す家次は腕を組み、まるで思案でもしているように、瞼をとじて、右に左にと首を捻って、さも悩んでいると言わんばかりの様子だ。困った、いやぁ困った・・・・、そう言っては云々とうなって見せる家次に、真正面対峙した稔の視線は最初は真剣なものであったが途中で思惑に気が付いたのか、時間が経てば経つほどに、濃くなっていく疑いの念の籠った眼差しを向ける様になっていた。


「・・・・そもそも最初から家次さんが呼鈴に反応してたら、僕巻き込まれなかったんじゃない?」

「イヤそんなことない!たまたまや、たまたま!お前の運が悪かっただけや!それにアイツが不法侵入しとったんは事実やろ!ワシがそれを片付けたんやから、結果オーライや。お前の事も助けて丸く収まった、なっ!!」


一息で捲し立て、寧ろ自分が居たからこそあの場を収めることが出来たのだと自己正当化を続ける家次に、稔はもう一度眉間に皺を寄せて訝しがる表情を浮かべてみるが、当の本人は全く意見を変えることはしないらしい。納得がいかないと非難の目を向ける稔の視線を受け流し、自分は良くやった、これ以上に無い結果を出したのだからと問題解決したのだからこれ以上話すことは無いなと、家次は一人で解決・決着という空気を作ってみせた。結果だけ見れば今回の出来事は円満に終わったと言われればそうだし、万事解決相成ったと家次に言われてしまえば、稔としては早々に反論できるわけではない。たまたまであれ、放課後の保護者代わりの義務であれ、家次が稔を守ってくれたのは確かだ。が、そう簡単に納得できるかと問われれば、稔の答えとしては勿論【否】である。なぜこんな目に合ったのか、自分は巻き込まれて然るべき存在だったのか、少しくらい理由を聞かせてくれてもいいじゃないかと思っても仕方のない事だ。両者の思惑が相まって、お互いに譲る意思のない者が二人だんまりで向かい合う部屋の様子は異質でいて、少しずつ、だが確実に、部屋の中に緊張の糸が張り巡らされている。家次が折れるか、稔が折れるか。はたまた頑なになった稔に痺れを切らした家次の慟哭がその荒業によってことを収束させるのか、結果はこの三つの内のどれかだろう。ここまで来たのだ、自分だって巻き込まれた理由を教えてくれるまでは易々と引き下がってなるものか。根比べだ、と、稔が長期戦に備えて足を崩し、それでも背筋をピンと立てて、覚悟を決めたと言わんばかりの面持ちで、再度、家次へ真正面から視線を向けた時だった。



―――――ピンポーン・・・・・ピンポーン・・・・・、



少しの余韻を持たせて玄関の方から鳴り響いたのは、来訪者を告げる電子音だ。


「ッ!客や、ワシが行く!!」

「良いよ家次さん座っといてよ!僕が出るから!受け取りとかなら直ぐだし、必要なら呼ぶし!」

「いいやワシの家やねんから、此処はワシが行く!お前は座って待っとれ!!」


ええなッ!そう短く言って立ち上がった家次の早い事と言ったら。都合の悪い時ほど逃げ足というのは早くなるものだが、家次のそれは他の追随を許さない。普段はどすどすと重たい音を響かせて歩いているが、こと逃げ足に関しては実姉のチカでさへも一目置く程に優れていると言っていた。大事な時は絶対に逃がさないように気を張って相手をしなさいと言われていたことを思い出しながらも、相手は家次、そしてこの家の家主である、話の筋が通っていては止めることも難しい。


「あー・・・・逃がしたぁー・・・・・!!」


まるで呼鈴に応える様に、ほいほい、と、軽く返事をするが如く声をだして歩き出した家次の背中に、稔の悔し気な声が重なり消えていく。一度席を立ってしまったのだ、話はついた、結論は出たと言った人物相手に、もう一度最初から話を詰めるというのは、並大抵の苦労ではない。それに相手は家次だ、失った説明追及の機会はきっともう来ないだろうし、なんなら蒸し返すな!と本人も自負しているであろう一撃必殺の咆哮を上げる事も考えられる。これはもう諦めるしかないのか、いや、諦める以外の道はないだろう。


「あぁぁ・・・・なにも分かんないまま終わっちゃった・・・・。」


ぷすり、とまるで針でつかれた風船のように、破れるでは無くしゅるしゅると空気が抜ける様に、力が抜けた稔の上半身が、座卓の上に倒れ込む。チラリと視界の片隅、未だ少し表面が濡れたままの中身の無いガラスカップに、稔はなんだか少しだけ今の自分が重なって見えて、ついでにお茶を貰っておけばよかったと、少し遠くで開く玄関扉のスライド音に、悲し気に己のため息を重ねる様に吐き出した。


「――――稔ー!ちょっとこっち来い!!」


溜息を吐いて直ぐ、それこそ億劫だが必要な呼吸をしようと稔が息を吸い込もうとした時だ。先程まで自身を振り回すだけ振り回し、責任追及を逃れた男の不機嫌さを隠しもしない大声が、玄関先から張り上げられた。あの男は一体自分以外の人間をなんだと思っているのだろうか。呼鈴に自分が出ると言っていた筈だが、最終的に此方を呼ぶのであれば最初から自分に出させれば良かったではないかと稔が思ってしまうのも仕方がないだろう。なぁ~にぃ~!?と少しばかり面倒だと声に乗せて返事をした稔に、即座、早よ来いッ!!と返された家次の声色は、高々数秒の事だがかなりの苛立ちを含んでいる。何があればこんな数秒でコロコロと機嫌を変えることが出来るのか、家次は本当に【気分屋】という言葉を体現している人間だと、稔は未だに納得できない気持ちを抱えながらも、重たい体に鞭を打ち、ゆっくりと、それはもうゆっくりと体を起こし、しょんぼりとしたままとぼとぼと玄関先に向かって歩き出した。


「オイ!返事せえ!!早よ来い言うてるやろ!!」

「今もう歩いてるよー!そんなに急かさなくても良いじゃん!家次さんのお客さんでしょ!」

「口答えすなじゃかましいッ!!たった来い言うてるやろッ!!」

「勝手だーーーーー!!!!!」


のそのそと立ち上がり、玄関先から響いてくる声に返事を返しながらも、稔は面倒くさそうに縁側に並べて置いていたサンダルを回収し、玄関を目指して歩き出す。そして直ぐに廊下の先を覗き見れば、土間や小上がり人影は見えず、どうも家次は正門のくぐり戸の所にいるらしい。そもそも相手がチカであれば鍵を持っているのだから呼鈴を鳴らす意味もない、でなければ相手が誰かも分からなくて当然だ。家次の家の呼鈴にドアモニターは無い、だから訪問者を知る術は二つのみに絞られる。家次が呼び出した、ないし約束事を取り決めた相手、それか本当に唐突な訪問者、その二択になる。今回は後者だったようだが、普段であれば面倒くさがって居留守を使うか稔に出させるかのどちらかなのに、稔からの問い詰めに逃げを打った家次の選択は、その時点でどうやら間違っていたようだ。


「お前もうちょっと急いで来んか!こんなにワシが呼んでんでねんぞ!!」

「家次さんのお客さんじゃん!ここ僕ん家じゃないもん!!」

「関係あるか早よ来い言うとるやろが!お前小走りも出来んのんかッ!!」

「出来るよ!ただやらないだけだし!!」

「やれ阿呆がッ!!んな小賢しい事ばっかり言いやがって、一々口答えすなッ!!!」

「ヤダよ僕だって意志あるし!勝手なのは本当じゃん!家次さんのアホ!!」


玄関扉を潜り、廂の下を通り視えた姿は、苛立ちに足を踏み鳴らす、いつも通りの家次の姿だ。自分ルールが通じないと癇癪を起す大人の、恥も外聞もない怒鳴り声と姿の何と滑稽で、それでいて迫力だけは人一倍あるのだろうか。家次を知らぬ者がその姿を見ようものならば恐れ戦き、場合によっては直ちにこの場から立ち去る者の方が殆どだろうが、知っている者からすれば、煩いから近づかないでいるか、気分屋に当たられたくは無いと、そっと距離をとられることだろう。ただチカや稔、昔から家次を知る人物にとってはただただこの状況に慌てふためいているのが【家次の方】であることが一目見ただけで、いや、一聞きしただけで分かってしまう。思いがけぬ来訪者という所だろうか、いつもならば玄関先で『帰れ。』と切り捨てるはずが、今回ばかりはそうではない様子だ。大人である自分で対処するでは無く、わざわざ稔の名を呼んだのだ、何か突発的な考えのものとは言い難い。


「どしたの家次さん、そんなに焦ること・・・・、あれ、ケンちゃん?」

「ゴメン稔!お邪魔しちゃった!!」

「~っそこやない!!稔、お前こっち来いッ!!」

「ぅえあ゛ッ!?力強いよ家次さん!!」


目の前に立つ家次の少しばかり右後ろ、その背から前を覗き込むように顔を出し、くぐり戸の向こうへ視線を向けた稔の先に見えたのは、それはもうよく知った顔で。それはもう家次もよく知っているだろう相手に、稔は少しばかり気の抜けた声で、相手の、刀也の名を呼んだ。が、それも束の間、すぐに横から伸びてきた掌に頭を鷲頭噛みにされると共に、ぐんっ!とその身を家次の前へとぴっぱり出されてしまった。


「僕、クレーンゲームの景品じゃないのに・・・・、頭重心じゃないのに・・・・、」

「おお・・・・・!家次さんすげぇ!!俺も今度またぶん回して欲しい!!」

「お前はアカン!終わりがないからワシがしんどいやろ。一人で走り回ってから来たらやったる。」

「えー、そんなの俺楽しくないじゃん!!それか家次さんが俺と一緒に野球してよ!」

「イヤや、野球は観る方が楽しいんや。ワシはせん。一人でボール投げて捕ってしとけ。」


稔の頭を掴んだ手はそのままに、刀也と会話を続ける家次に、稔はワケも分からないまま、とりあえず静かに、だが少しの空気の違和感を感じ取っていた。刀也と家次の会話の内容やテンポは何時もと特に変わりは無いが、如何せんじっとりと、重苦しく感じる雰囲気は何なのだろうかと、稔は少しばかり目を細め、ちらり、ちらりと視線を周囲に巡らせた。そして直ぐに気が付いた、稔の感じた違和感の正体と、刀也の様子、そして家次の焦りを生んだ、警戒心の原因が何なのかを。


「ケンちゃん、何かあった?もしかして中にボール入っちゃったとか?」

「ぁ・・・・、そう、そうなんだよ!さっきそこ歩いてるときに間違えてボール飛ばしちゃって!」

「お前ここの道公道やのうて、ワシが持ってる私道やぞ。ボール遊び禁止書いとるやろ。」

「いやホントにゴメン!ちょっと指すっぽ抜けて・・・・、それ取りたいから入れて欲しくって、見つけたらすぐ出てくから!」


言葉を交わしているのは稔を入れて三人、家の中にいる二人と、外からの訪問者である刀也互いに面識のある者たちだ。だが今この場にいるのはそれだけではない、外からの訪問者の数は、刀也を入れて7人、圧倒的に数が多いのだ。そして何より一人で家次に言葉を掛ける刀也や会話に参加させられた稔、そしてこの場で唯一の大人である家次を含め、訪問者の内5人は、間違いなくこの現状をまるで見世物の様に楽しみ、稔たちの言動や反応一つ一つを、【値踏み】している。じんわりと漂う嫌な雰囲気、別にあからさまな言葉の揚げ足取りをされている訳では無いが、交わす言葉の節々に何処か馬鹿にしたような、茶化すような、乾いた笑いを浮かべている。へらへら、にやにやと口元に浮かべられるのは、相手を馬鹿にしている、下に見ている者に、自分が上の立場だと思っている人間が浮かべる事の多い笑顔だ。この笑顔や空気が、稔は勿論、家次も好きではないのだ。しかも【個】では無く【多】になった時特有の万能感、集団になった時の行動力や言動は、時に個々人の場合とでは比べようもない程に跳ね上がり、厄介極まりないのだ。その空気が今、確かに刀也の、その背中に群れとなった【観覧者達】から、分かりやすい程に溢れ出している。一体何がしたいと問われれば、きっと度胸試しの一環や、本当にボールが入ったからと、好き放題に言葉を並べて乗り切ろうとするのだろう。もしこれが個人だったとしたら、きっと誰もこの戸に近づくことは疎か、呼び鈴を鳴らすなんてことは出来なかっただろう。それ程にこの家も、そしてその家に住む住人も、圧倒的な威圧感が存在する。だから普段から嫌煙されているのは、この近辺に住む者であれば知っていておかしくない。それでもこうして訪れたのは、ボールをダシにした度胸試しか怖い物見たさか、ないし先日の家次の学校訪問の際に姿を見ただとか、その位の理由だろう。集団になった途端、興味本位が無理矢理意味を付けて走り出した結果か、きっと刀也が知り合いなのだからと、先頭にと押し付けられたのだろう。後ろの群衆の中、たった一人だけ、戸惑ったような眼差しで刀也を見やる存在がいるが、それは稔も顔くらいは知っている、刀也と同じ野球部の一年だと思われる。学校帰りの稔に声を掛ける刀也の隣で何時も一緒にアップのランニングをしている姿を、もう何度も目にしたことがあるからだ。


「稔、お前ケンと一緒にボール取ってこい。頼んでええな?」

「うん、大丈夫。ケンちゃん、場所って分かる?僕取ってくるから教えて?」

「え、いいの・・・・、ありがと家次さん!ホントすぐソコの、木のトコなんだ!」

「そこなら多分こっち側に転がっとる、二人で行ってこい。もし木ン中入るんやったら稔行ったれや、ケンは入るな。ええな?」

「分かった!僕が入るから、ケンちゃんは場所教えてね。」

「え、ぁ・・・・、うん、分かった。ゴメンな、稔。面倒掛けて。」

「気にしないでよ!それよりホラ、早く行こーう!」

「おう!!」


ハッキリと意思を示した刀也の返事を聞いて、稔の頭を掴んでいた家次の指の力が緩まった。そのまま軽く髪を整えているつもりなのだろう、稔の頭をパシパシと指先で叩くように梳いてから、早よ行ってこい、と背中を押す様に声を掛けられる。なんだか主人の命令を聞かされて走り出すような犬にでもなった気分だと、稔は少しばかり釈然としない気持ちを抱えながらも、刀也に続き自分もと、我先に敷居を股がんとするどこの誰とも知らない多分先輩であろう人影を、入るな!と弾けるような一喝の下に収めた家次の姿に、思ったよりも急いだほうが良さそうだと、刀也を背に引き連れて、怒りの発生源から一目散に遠ざかることに舵を切った。


「・・・・家次さん、怒ってるよな。ゴメンな稔、俺も一緒に探すから。」

「気にしないでよケンちゃん、今日人来るの多いみたいで、ちょっと気が立ってるみたいなんだ。さっきもよく分かんない人来てたから。」

「そうなのか?タイミング悪かったか~・・・・・先輩たち大丈夫かな?」

「ケンちゃんは優しいね。あれ以上動かなかったら大丈夫だよ、多分。」

「うん・・・・、多分動けないと思う・・・・。」


走りながらチラリと振り返った先に見えるのは、戸を前に腕を組み、仁王立ちする家次の姿のみ。ここから先は完全な自己責任、一歩でも踏み込もうものならどうなっても知らないと、まるで語る様な居姿に、群衆は慄いたのだろう、戸の傍に足の一本も見えなくなってしまった。初めて真正面から受ける家次の言葉の覇気はさぞ鋭かろう。一瞬怯んだが最後、大人でも視線を合わせることが難しいと言われる程に強固且つ拒絶の意思がありありと滲んで聞こえるだろう。実際の所は人見知り且つ語気が激しいだけなのだが、分かっている者であれば流せるが、初対面で礼節を欠いてしまえば、自分で自分を諫めることになる。家次の声と姿にはそんな迫力があるのだ。おかげで怖がられてしまい嫌煙されているが、人見知りの家次本人としてはこうして人に怯えられるほどに嫌われたと、実は内心では結構傷付いているのだから、本当に対人関係とは難しいものである。


「早く探して戻ろっか。多分家次さんあと三分で爆発するから!」

「マジか!?俺先輩に怒られるカモじゃん!

「僕たちが家次さんに怒鳴られる方が先だから、多分大丈夫だよ。」

「それ全然大丈夫じゃないよな?・・・・あ、あそこ!あの辺りから入ったと思う!」

「分かった、ケンちゃんはそこで待っててー!」


庭先を駆け、直ぐに辿り着いた目的地に、ボールが入った地点を指し示す刀也の指先に従って、稔は大体の位置を思い浮かべてそのまま木の間へと体を滑り込ませる。家次が稔にだけ木の中に入ることを許可したのにはちゃんとした理由がある。それは家を囲う塀の周辺は水捌けの関係で少しばかりぬかるんだ所が数か所あり、そこは木の根や表面も多いに苔むし、滑りやすくなっているせいだ。だから慣れない者が足を踏み入れればどうなるか、考えればすぐに分かる事だ。刀也が野球をしていることを家次は勿論知っているのだから、怪我をさせてはいけないからと、慣れた稔に行かせるようにと先に言ったのだろう。言葉数が少なく、切り捨てる様に聞こえるかもしれないが、不器用ながらも家次は優しい人間だ。だから刀也は自分には任せてもらえなかったと気にしているかもしれないが、これは家次なりの優しさの最善手だったのだろう。本当に信用していなければ、稔単体で捜しに行かせるか、後日取りに来いと言って直ぐに戸を閉めることも出来たのだ、それをしなかっただけでも刀也は十分家次に信用されていると言える。


「この辺だから・・・・、あった。ケンちゃーん!ボールあったよぉー!!」


落下地点からのおおよその同線と地面の傾斜から予想した先に目を向ければドンピシャリ、稔の思った通りの場所に、よく見慣れた白いボールが転がっている。この辺は良く間違って子供がおもちゃを投げ入れたり、どこぞの誰とも知らない人間がゴミを投げ入れていたりと、結構何かしらが落ちている事が良くあるのだ。なんでみんなして同じ場所で投げ入れたい気持ちに駆られるのかは分からないが、それに対して見つければ注意を、無理ならば対策をと、外からは見えないように中にはネットが張られていたり、緩やかにだが地面に傾斜をつけてみたりと、家次が対策をしているお陰で、ボールは直ぐに見つかった。少しばかり湿り気が多いのが厄介だが、難なくボールを拾い上げ、入口となった木の向こう側、そわそわと心配そうな様子の刀也に稔は片手を上げて示す様にそれを振ってみせた。途端パッと明るくなった表情に稔は家次に言う様にと促すと、滑る足元に気を付けながら、直ぐにその身を返すことにした。後報告することと言えばこのボールの他に、空き缶が数個在ったことを伝えて後で回収すること、それ位で済みそうだ。それよりも今優先すべきは爆発回避が最優先だ。確実に、怪我無く戻る事、それが今の稔の最善手だ。


「ホントありがとな稔!マジで助かった!ここ名前!ちゃんと俺のボール!!」

「うん、拾った時に見たから大丈夫!早く戻ろう!家次さん爆発する!!」

「爆発ヤバいっ!てかもうこっから見てもキレてる!!」

「・・・・・・、ケンちゃん先に戻る?僕ゴミ拾ってから戻って来ようかなぁー。」

「早く戻ろう稔!お前いないと俺だけ爆発されるじゃん!」


たった一分程度、されど一分程度。遠巻きに見ても分かる家次の苛立った表情に、思わず木々の中へと踵を返そうと、一歩後ろへ足を引いた稔の腕を、賺さず刀也の手が掴み取った。死なば諸共精神か、ないし自分を防御壁にしようとする幼馴染の表情は大変鬼気迫ったものがある。それはそうだろう、怒りの原因を作ったのは自身の持ち物に他ならず、且つ家次を苛立たせている群衆を率いてきたのだから、刀也が怒られるのは至極真っ当な事だろう。別に稔がわざわざ巻き込まれてやる必要も無いのだ、逃げたっていいのだ、そう、逃げたって。


「何しとんねんガキ共がッ!!終わってんねんやったら早よ戻ってこんかボケェッ!!!」



「逃げ遅れた・・・・・、ケンちゃん行こっか。」

「今のやり取りなかったらセーフだったんじゃね?」

「イヤあれまだ助走だから。カウントダウン的なヤツ、予鈴みたいなヤツだよ。」

「アレ予鈴か~。・・・・先輩たち生きてっかな?」

「直撃じゃないから大丈夫だよ、多分。それともう戻るし。」


早く戻れと急かす家次の声に促されるまま、稔たちはゆるゆると庭先を抜ける様に駆け出した。あと少し遅ければきっと音を立てて戸を閉めて、此方へ向かって爆弾自身が駆け込んで来ただろうが、最悪のケースは避けられたようで、稔はほっと胸を撫で下ろす。年下と言えど面識のない相手に対して数分間無言で過ごすのは、家次としてもさぞ居心地が悪かっただろうに、良くも今日の機嫌で堪えられたものだ。これはもう逆に家次の人生史上で類を見ない、中々に凄い場面に出くわしてしまったのかもしれない。今度絶対にチカ姉に報告しよう、と、稔は心の中で一人ワクワクとした気持ちを抱えながらも、不機嫌面で、実はこれ以上場を繋げないと焦っている家次の下へ、それはもう急いでいる風を装って駆け寄るのであった。


「遅い!「遅くないっ!!」ワシが遅いって言ったら遅いんじゃッ!!・・・・ぇえいッ、直ぐ口答えしよって・・・・、それよりも先ボール見せえッ!」


食い気味に答える稔の言葉に、今にも人見知り限界爆発寸前に家次は早く事を済ませようと、稔の隣に並んだ刀也の手から、ふんだくる様にしてボールを取り上げた。


「家次さんソレ俺の!ちゃんと名前書いてるから!」

「ケンお前・・・・・、むっちゃ字ぃ下手くそやんけぇ・・・・・。」

「家次さんヒドイよ、ケンちゃんはだいぶ小さい字書くの上手になったんだよ?」

「・・・・待ってなんで稔まで俺の字否定するとこから始まんの!?ボールに書くのって結構ムズイんだって!」


手にしたボールをまじまじと見つめ、一言残念だと言わんばかりにため息交じりに感想を述べた家次に、確かにそうだが成長はしているんだと、稔は稔なりのフォローを入れたが、何も助けられなかった刀也は、どんな神経してるんだと非難の声を懸命に上げ、即自己弁護に回った。必死に読めるから良いんだと、字の上手い下手に対して今は関係ないと声を上げる刀也を尻目に、静かに、だが鋭く家次から向けられた審議を問う視線に、稔にしっかりと視線を返しながら、小さく縦に首を振ってみせた。


「・・・・・もうちょいちゃんと、自分の名前くらいは書けるようにはならんとな。ホレ、返すわ。」

「おぅわッ!・・・・・ちゃんと読めるし、俺のだって分かんのに・・・・・、」

「家次さん、こんなんだけど字は上手いから。今度一緒に字見てもらおうよ。」

「稔~、今ワシの事馬鹿にしたか~?」

「してないよー!僕は褒めただけだよー。家次さん字上手いって、母さんも言ってたから。」

「お前のオカンか、・・・・・ならええか。ほなこれで仕舞いや、帰れガキ共。ケンもや。」

「うん、ありがとう家次さん!稔も、居てくれて助かった!」

「これくらい全然問題ないよ、また来てねケンちゃん、一緒に遊ぼうね!」

「うん、二人ともありがとう!ホントに、ありがとうな!!」


テンポ良く進んだ会話に、流れる様に返されたボールを両手で持ちながら敷居を跨ぎ、外へと足を向けた刀也の背中に、稔は何時もと変わらない調子で、なるべく明るい声を掛けた。刀也一人であれば、ここで引き留めてしまっても良かったかもしれないが、今日は野球部の先輩も含めて行動をしているのだから、此処で切り離すような事はしない方が良いだろうと、稔なりに空気を読んだつもりだった。そして何より家主である家次も今日は来訪者が多かったせいもあるが疲れた雰囲気を纏っているのだ、これ以上心を許していない者と関わるのは下手に心労を掛けるばかりになってしまう。


「おいケン、また稔と一緒に来い。字くらいやったら教えたる。」

「・・・・ッうん!ありがとう家次さん!今度また来る!稔もまたな!」

「またねケンちゃん、月曜日にねー!」


くぐり戸の向こう側、扉を閉める前に、集団の最後尾を行く背中に短く声を掛けた家次に続いて、稔も小さく手を振りながら、去ってゆく友人に声を掛けた。振り返った顔は喜色を纏い、くしゃっ、っと浮かべられた少年の笑顔は、いつものようにハツラツとした、カラリと気持ちの良い笑顔だった。また月曜日、学校で。そう言って集団に置いて行かれないようにと駆け出しながらも手を振り、オレンジ色に染まる道を笑顔で走り去っていく姿を、稔は家次と共に見送った。




そして休みを挟んだ週明けの月曜の朝、刀也は教室に姿を現すことは無かった。


夏休み前、最後のテストが始まる直前の一週間、その調度一週間に、学校側から坂口刀也に対しての、停学処分が下されていた。


・家次さん

どうやっても人間が苦手で、内心おっかなびっくり、外見不機嫌と、何時まで経っても上手くコミュニケーションが取れない。別にすべての人が嫌いなわけではないが、基本誤解がとけないので、ずっと避けられるばかりの日々が続くと、少ししょんぼりしてしまう。癖字だが勢いと迫力のあるバランスの良い字を書く。左利きだが、文字は右手で書くようにしている。全ての改札口を恨んでいる。


・稔くん

ケンちゃんのことはずっと友達だと思っているが、野球部の人たちとの面識がないので、結構戸惑っていたが、後ろに家次が居たお陰で、少しだけ普段通りに振舞えたと内心安堵していた。自分一人でも何とか出来る様にならないとと、虎の威を借りる狐にならないように頑張ろうと決意した中学一年生。今日から少し腕立て10回を開始する予定である。


・ケンちゃん

もし家に家次さんのみで稔が居なかったらどうしようかと内心ドギマギしていたが、稔が居て良かったと安堵した幼馴染。まさか信じていた友人から字の事で背中を打たれるとは思っていなかったので、結構ショックだった。帰宅後親に字が下手かと聞いたら、そうだと言われてそれなりにへこんでしまった。(ここから少しケンちゃんのお話になります。)


・続・スーツのお兄さん

家次に首根っこを掴まれて数日後、突如職場間移動の内部連絡が、上層部から下された。自分にパワハラをしてきた上司は少し遠方だが役職が上がり順当に昇給・昇進。対する自分は今いる最前線営業の花形部署から、近隣のそこそこ大きな町ではあるが、小さな地域密着型の店舗へ移動に。特に役職等も無く雑事も分担ではなく出来ることは自分でやる、がモットーの特に役職等が無い所へ移動となった。要は左遷である。上司を送る会と化した送迎会の片隅で、誰とも話す事無く舐める様に酒を飲み、枝豆ばかりを食べたのを覚えている。現在の社宅から街の社宅へ、少ない荷物と共に移り住むことになった。お兄さんの運命や如何に!!(続きます。)


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