2章 目が覚めると。
勇者に倒されて長い眠りから、長い封印から目覚めた魔王のような、そんな気分で目を覚ました。
いつも通りだったら家賃2万8000円のゴミが散らかっている僕の汚いオンボロアパートのはずなのだけれど、この日は違った。
一面が緑の木々で広がっていて、小鳥や牛に羊までいる。
呼吸をするとおいしい酸素が口いっぱいに広がる。
僕はこの場所を知っていて、いつも来ていたけれど、初めて来た。
矛盾しているけれど、生の僕で来たのは初めて、と表せば分かりやすいかな。
いつもはパソコンのMMORPGの『オーズワールド』という無料オンラインゲームで来ていた。
毎日僕はゲームの中でこの場所を訪れていたが、今回は生の僕で来た。
そしてこの世界が本当にあのゲームの『オーズワールド』なんだと信じたのはこの後だった。
「モォォォォォォ」
「うわぁぁっ!」
みっともないと思うかもしれないが、あまりに急に変な牛が突進してきたので、情けない声が出てしまった。
牛のモンスター、モータン。
ゲームでは一番最初に出てくる、初心者のLv上げ用モンスターでとても弱くて、ゲームの中でのダメージは2か1しか喰らわないけれど、実際生で食らった僕の体感ダメージは1000くらいだ。
突進が僕にHITした瞬間アバラが全部折れたと思った程だ。
本当に痛くて、別に構って欲しいから大げさに1000ダメージとか言ったわけでもないのだが、どうやら骨は折れてなかったらしく、すぐ起き上がる事ができた。
本当に何度も言うが、このモンスターは弱くて、突進をかわすまでもなくクロスカウンターの攻撃を一発見舞いするだけでこのモンスターは死ぬ、そのくらい弱いモンスターだ。
体の痛みが消えないけれど、僕はゲーム通りのこの牛が突進のポーズをとった瞬間、クロスカウンターで右ストレートのパンチをお見舞いしようと構える。
が。
ゲームの中のモータンの突進比べると、あまりにも速すぎるため、反射的に緊急回避みたいに横にダイブしてかわした。
「こんな牛、どうすればいいんだよ...」
誰かがいるってわけではなく、周りには僕と牛しかいないのだが、こんなひとりごとをつぶやいてしまった。
逃げようにも背中を見せてしまえば突進で呆気なくやられてしまう。
かと言ってずっとこの突進をかわし続けていたのでは、僕のスタミナ切れでいつかはやられてしまう。
どうしようかと頭で考えているときだった。
突然目の前にブラックホールのような、黒い渦のようなものが現れて、中から女の人が出てきた。
これが、僕と彼女が初めて出会ったときのことだ。
そのままその場で、ぐったりと横になった状態で女の人は倒れる。
どうやらさっきまでの僕同様、眠っているようだ。
牛のモンスター、モータンは女なんか構わず突進の構えをとる。
このままでは女の人が下敷きになってしまう。
「くそ!もう知ったことか!」
僕はそう吠えて、牛に向かって一直線に走り出した。
女の子をハードル走みたいに飛び越えて。
そして牛が突進してきて僕はタイミングよく牛の角を両手で受け止める。
角を受け止めるというより、角を掴み取るという表現の方が正しいかもしれない。
「きゃあっ!」
後ろを見てないからはっきりとは分からないが、もしかしたら寝言なのかもしれないが、さっきの女の人が目を覚まし、驚いて声をあげたようだった。
そのまま声を確認することはなく、牛を踏ん張って止めている間に、牛の顎に膝蹴りをお見舞いしてやった。
突進の威力が弱まる。そのすきに僕が右アッパーをもう一度モータンの顎にHIT。
「モ、モォォォォォォ」
呆気なくモータンは倒れた。倒した...というより気絶させたのかな?たぶん。
でも僕の中では倒したも気絶させたも同じだった。
「はぁ、はぁ、はぁ」
これは興奮している息切れではなく、モータンの突進を止めるために結構全力で踏ん張ったために起こる疲れの息切れだ。
なのに。
「そんなに興奮して。欲情して私を襲うつもり?」
そんな声が背中から聞こえる。
どうやら寝言ではなく、本当に目を覚ましたようだ。
「あ、あのな。あのままだったらあんたは下敷きになっていただろう?」
まだ整っていない息を整えながら、僕はゆっくり彼女にそう言った。
彼女を助けないと、という思いで必死になって頑張ったのだが、それはわざわざ言う事でもない。
「別にあのまま私を見捨てて逃げてくれてて結構だったわ。あの程度なんの危機でもなかったのだから。ああ、そういうこと。私を助けてそのお礼に私の体を好きにさせろと?」
横になった状態から上半身だけは起こせたようで、座ったままの状態で彼女は言った。
「んなわけあるかよ。この自意識過剰女。」
お礼のひとつもないことに少しムカっときたが、その事でまた相手に色々と言われるのは面倒だったから、僕はその女の人に背中を向け、去ろうとする。
僕は人とのコミュニケーションが苦手なのだ。
しかも異性となるとかなりの神経を使ってしまう。
僕が彼女に背を向けて第一歩を踏み出した瞬間。
「待ちなさい。私、人に、特に男に借りを作るのが嫌いなの」
踏み出した足を一歩で止める。
そんな事を言ってきた彼女に対して僕は、彼女の顔を見たら何も言えなくなると思って、振り向きもせずに言う。
「借り?別に僕はあんたを助けたわけじゃない。牛と力比べをして負けそうになったから僕はズルをして牛を気絶させた。誰かを助けたくてあんな事をしたわけじゃない。結果的にあんたは助かったわけだが、僕が助けたわけじゃないから気にしなくていいんだよ」
そう彼女に告げてまた僕は歩き出す。
少しキザっぽくなったかもしれないが、もうこれで彼女も何も言ってこないだろうと思っていた。
しかし彼女は、僕の予想を超える。
「そう。ならよかった。それより教えて。ここはどこなの?天国?」
彼女のその言葉に再び足を止める。
「心臓が動いてることから、少なくとも天国や地獄ではないと思うよ。それより早く―――
「それはおかしいわ。だって―――」
僕が、牛が起きるから早く起きてどこか逃げろ、と言おうとすると僕の声を遮り、彼女はその場で座ったまま。
ためらいもなく、言った。
「だって私は死んだはずだもの」




