第9話 子爵家の秘宝
アイビーは一瞬で少年を観察する。少年は背丈はそれなりだが、痩せていて、顔色は悪いものの顔立ちは整っていた。『赤』のリーダーは『互助会』の二人に負けず劣らずの立派な体躯を持つし、そもそも面識があるから彼でないことはわかった。
誰かと間違っているのでは無いか、と考えた。
だが、その『赤』所属の少年は、
「アイビーさん、だよね?」
「……はい。なんでしょうか」
「警戒しなくて大丈夫だよ。勘違いとかではないし、君が僕のことを忘れているわけでも無い」
それからアイビーの耳元でアイビーにだけ聞こえる小声で、
「でも僕は知っているんだよ、『ミズーオ子爵家の秘宝』さん」
と言った。
アイビーは必死に表情が変わるのを抑えた。何を言っているのかわからない、という戸惑いを前面に出して、
「なんですか、それ」
と答えた。上手く演技ができたことに内心ホッとした。
『赤』の少年はキョトンとした顔をした後、ニヤリと笑った。
「あれ? まだなんだか警戒してるのかな?」
「あなたが何者なのか、なぜ私を奇妙な名前で呼ぶのかも理解できません。警戒して当然では無いですか?」
「あー。なるほど。確かに最初に名乗っておいたほうがいいかもね。僕はアーグス。ラスターン子爵家の一門だよ。貴族じゃ無いけど血筋だけは貴族の端くれだ。当主の庶子。つまり君と同じ」
あっさりと正体が明かされたことに正直驚いた。まず事実か虚言かの確認する必要があったが、判断は難しかった。改めて考えてもその名もその顔も少なくとも記憶にはない。とはいえ言われてみれば確かに顔立ちには孤児には無い気品があった。いや、アーシュも孤児にしては気品があったが。
「少しあっちで話そうか。あまり周りに聞かれると面倒だからね」
アイビーもそれには同意した。
部屋に隅に移動し、アイビーは改めて演技を始めた。
「ラスターン子爵家、とおっしゃいましたか」
「知ってるよね? 貴族の中では有名ではないけど、ここでは有名だろ? 『赤』のバックについている貴族家だよ。僕は親父の七番目の子供でしかも庶子だからね。せいぜい孵化街に持っている権益に関わらせるくらいしか使い道が無かったってことだろ。まぁ、僕はそれだけで終わるつもりは無いけど」
「そのラスターン子爵家の係累がなぜ私に声を掛けてきたのですか?」
「ん? 僕はこんなところで終わるつもりが無いって言ったよね? こんな汚い場所から抜け出すためさ」
「なら私に声を掛けたのは間違いです。抜け出すつもりはありませんから」
心底驚いた顔で、アーグスはアイビーを見た。
「いやいやいやいや……え? マジで言ってる?」
「私は望んであそこで生きているのです」
「そんなこと無いでしょ。僕と組んで一旗あげようよ? ミズーオ家の復興の手はずはこちらで準備できるし。任せてくれればいいから」
「ミズーオ家とやらとは関係ありませんし、興味もありません」
「うーん」
アーグスは腕を組んで首をかしげた。しばらく考えたあと、
「……でもさ、結局僕と組んだ方がいいとは思うんだよね」
「どうしてですか?」
「だって危険じゃない? 君たちのグループじゃ君たちを守れないよね?」
「……そのために助け合おうという話を先ほどしていたのではないですか?」
「まぁ、そうだけどさぁ。でも無理だよ結局のところ。だって相手はたぶん本物だよ? 僕らじゃ勝てないよ。僕の三番目の兄が軍にいるけど、兄と戦って歯が立つ気配はないよ? 僕が十人集まっても勝てないんじゃ無いかなぁ。それくらい正式な訓練を受けていると違う。剣聖流とか習っていたらもうお手上げだ。冒険者も強いけど、そう言うのとは違うタイプ。人間相手の殺しを突き詰めている感じだからなぁ」
明るく死の話をするアーグスに困惑していると、人の気配が近づいてきた。振り返ると『赤』のナンバー2のギュンターだった。
「よう。アーグスが迷惑をかけてないか?」
アイビーへの声かけだったが、アーグスが不満の声を返す。
「何言ってんだよ。僕が迷惑掛けるわけ無いだろ」
「迷惑をかけてそうだから確認してるんだ。普段こういう会議は無視するのにどうしてもついてくるって言ったのはアーグスだろ? 何を企んでる?」
「うるさいなぁ……しょうがないだろ。僕にも色々都合がある」
「面倒を持ち込むな。ボスはそっちを気を掛けているが俺はそういうのは気にしない」
「そんなこと言っていいのかい?」
「それが俺の役割だ。ボスになるのは諦めてるから何でも言えるぞ」
「いやいやいやいや、僕はギュンターがボスになることを望んでいるよ? これはマジで」
ギュンターは頭をガリガリとかいた。
「……俺には向いてねぇよ。なんてったって馬鹿だからな」
「馬鹿は認めるけど」
「認めるなよ! ……で、話したのか? なんかアイビーに頼み事があったんだろ?」
「あったんだけどさぁ、なんか反応が悪くて」
「お前の言い方が悪いんじゃ無いのか?」
「そんなことはない! だってどう考えても僕の言っている方が正しいから。意地になってんだと思う」
アーグスがちらっとアイビーを見た。その視線を追ってギュンターの視線もアイビーに向かう。
アイビーは咳払いをしてから口を開いた。
「ギュンター、私は帰りたいのです。もう帰っていいですか?」
ギュンターが眉をひそめ、それから顔をしかめた。
「……勝手にすればいいだろ」
「わかりました。それでは私はここで」
アイビーはアーグスとギュンターに一礼して背を向けた。
アーグスが瞬間に何か言いかけ、アイビーはそれに気づいていたが敢えて無視した。
そのまま難しい顔をして酒を嘗めていたボリバスを見つけて、声を掛けて連れだって橋の下に戻る。
ボリバスがしきりと『赤』の幹部とどういう話をしたのか聞きたがったが、うやむやにして答えなかった。
急ぎ考えなければならないことがあった。
今の状況からどうやって逃げ出すか、だった。
夜は更けており、既に皆寝ている雑魚寝の端に加わって横になったままアイビーは目を閉じ考える。
アーグスの誘いに乗るつもりは無かった。
一方で自分の過去を知っている人間ーーしかもその人間は自分と同じような境遇で、今の寝床まで把握されている。極めて危険なのである。
その人物が貴族家に関わる、ということは、自分の異名だけで無く、自分の能力までが知られている可能性が高い。ならば、この孵化街を舞台にそれを求める者たちで再び争いが発生する可能性もあった。
腕を掴む手に力がこもった。
自分が悪いのだろうか。郷愁と良く分からない衝動で実家に行ったのがよくなかったのだろうか。
確かにその折り帰路に自分の顔を知る人間ーーミズーオ子爵家の出入りの商人であるワランと偶然にも出会ったが、少なくともワランは今の寝床までは把握されていないはずだ。
つまり自分の存在と今の寝床を結びつけた人間がいるのだ。
そこで別の不安がアイビーの心を蝕んでくる。
自分の過去と今を知る人間が一人いたことを思い出したためだった。
もしかして、アーシュがこの情報を『赤』に共有したのだろうか。
アーシュが『敵』だったということだろうか。
頭の中に黒い思考がぐるぐると回る。胃の辺りがひどく軋んだ。
父親が影で何をやっていたか知ったときと同じ感覚だった。
(……ああ、ダメです。私にはやはり人を見る目がなかったようです。いえ、私が愚かなので、その愚かさを利用しようとする悪い人間が集まってくるだけなのかも知れません。とにかくこれではもう私はーー)
アーシュの顔が脳裏に浮かび、それを意志で強く闇色に塗りつぶす。
橋の木板の隙間から差し込んでいた月光が弱まった。
雲が出たのかと思ったが、違った。
橋から何かが下りてきた。土手を下りてきたのでは無かった。橋から飛び降りたのだ。にもかかわらずほとんど音を立てなかった。一瞬、意味が分からず、次の瞬間、アイビーは跳ね起きて叫んだ。
「襲撃です!!」




