第10話 俺がゆく
ボリバスは年齢ははっきり覚えてないものの十五歳の可能性が高く、孤児の中では珍しく両親二人の記憶があった。それは周囲からはうらやましがられるが、自分の中では悲惨な記憶として残っていた。荒れ狂う父親と酒と男に溺れ続ける母親との生活は地獄めいた日々だった思っている。しかも最後は父親が母親を刺し、自分にも迫る血まみれの刃を躱し、そのまま逃げたのだ。母親を助けることも、父親に逆らうこともせず、全てに背を向けて、逃げ出したのだった。
その後は実家に戻っていない。だから母親がそのまま死んだのかも、父親がどうなったのかも知らない。
その逃避の記憶はいつもボリバスを圧迫する。自分は本当にここにいていいのか。大事な時に逃げ出す人間なのでは無いか。
だから虚勢を張る。
幸い、父親譲りの身体は大きく、力も強かったため、孤児の中では周囲を圧することが出来た。
だがいざという時には動けなかった。恐怖を感じると、狂気を目に溜めて迫る父親の姿が脳裏に浮かび、その度に身が竦むのだ。
今もまた身体がこわばっていた。
動けないボリバスの目の前で橋から飛び降りた襲撃者は剣を抜き、慌てて橋から飛び出してくる孤児ーーマクラスを文字通り上下に両断した。
悲鳴が上がる。マクラスの上半身が転がり、内臓がだらりと溢れる。一瞬あとに下半身が頽れた。
目を閉じる間さえなかった。
(動け……! 動け俺!)
ボリバスの身体が動く前に、棒を構えた人影が飛び出した。
「みんな! 気を付けてください!!」
皆を背後にかばうように前に出たのはアイビーだった。
手にした棒はスープをかき混ぜるための木の棒で武器でもなんでもなかった。
少なくとも人間を一振りで両断できるような相手と相対できる道具ではない。
侵入者に相対するアイビーはまるで巨大な魔物に相対する子供のように、無様で滑稽でさえあった。憐れさも感じた。
侵入者も何か感じるものがあったのか剣をだらりと下げたまま首をかしげてじっとアイビーを見た。それは戸惑いなのか、あるいは別の感情なのかわからなかった。
侵入者はやや大柄の身体を頭まで黒い金属製の鎧兜で完全に覆っていた。
騎士のような姿であったが、見たところどこにも紋章が入っておらず、正式な騎士で無いことははっきりしていた。
アイビーの言葉に孤児達の混乱が多少収まり、手に持てる武器か、武器が無ければとにかく棒状のものを持ってアイビーの背後に次々と並ぶ。
男女、年齢関係なく皆必死の顔をしていた。
大勢並んでその圧力で邪悪を祓おうとするかのように、皆こわばった顔を侵入者に向ける。
それを見てボリバスの身体の奥底で何かが砕けた。
それは恐怖だったかもしれない。あるいは生存願望だったかもしれない。
ボリバスは叫んだ。
喉を震わせ獣のような声で叫びながら侵入者に向かって走り出した。
自分を縛っていた鎖は切れて、無限の力が湧いてきていた。
武器は持っていなかったから、素手で殴りかかる。
侵入者が肩を動かしたのがわかった。
剣の平の部分がボリバスの右脇にぶつかり、肋骨をへし折りながら、ボリバスを七ガルデほど吹き飛ばした。
ボリバスは木の葉のように宙を舞いそのまま川に落ちた。
大きな水しぶきが上がる。
あとは大混乱だった。
マクラスが両断され、グループで一番強いボリバスが一撃でやられ、グループの面々は悲鳴を上げながら逃げ惑った。
侵入者は、一人だけ棒を構えたまま立つアイビーに近づき、左手一本で棒を奪い取り左手だけで無造作にへし折ると投げ捨て、アイビーの襟元を掴み引き上げ、顔を近づけた。
黒い兜の面頬のスリットからアイビーの顔をじっと見た後、何かを唱えた。瞬間で、アイビーの全身から力が抜けた。
アイビーの身体を左手で兎の死体のようにぶら下げたまま、侵入者は背を向けて歩き出した。
しばらくして川の中から濡れ鼠でボリバスが身体を何とか引き上げてきたとき、皆は泣きながら動けないでいた。
アイビーが連れ去られたことを聞き出したボリバスは、今度は迷うことなく救い出すために行動することを決めた。あの瞬間、かつての父親の狂気はボリバスの中で力を失っていた。それ以上の恐怖が父親の恐怖を打ち砕いていたのだった。
肋骨にヒビが入っていると思うが、不思議と痛みを忘れていた。
もっとも行動することは決めたが、どこに行けばいいのかわからなかった。
月が濃い雲に隠れ暗い中、辺りを探すが当然見つからない。
どこに行くか困っていると、肋骨の痛みがじわじわと意識に登ってくる。
暗闇の中から人影が近づいてきて、それに気づいたビナートが騒ぎ始めると、ちょうど雲が切れて月明かりがその人物の姿を顕した。
テンキーだった。アイビーに憧れていて実際賢い、正確にはずる賢い少女だった。
「ビビらすなよ。ってかアイビーが攫われたんだ! どうしよう!?」
「知ってる」
「……は?」
「あの黒いのの後をつけてた。だからアイビーがどこに連れて行かれたかわかる」
「おまえ……すげぇな」
「アイビーの世話になってるんだから当たり前でしょ」
「どこなんだよ? すぐに取り返しに行くぞ!」
「それが……」
「なんだ? 見失ったのか?」
「そんなことはない!」
「なんなら『互助会』とか『赤』とか全員の力を借りてもいい! 協力してくれるってことになってたはずだ」
「無理だよ」
「なんでだよ!?」
「だって……本当は私たちが行っちゃいけない街の中で立派なお屋敷だった」
その言葉に全員が押し黙った。
行っちゃいけない街、というのはつまり孵化街の外、市街を意味することはすぐにわかった。
孤児はそこに行ったら騎士団に捕まる。考えられなかった。
街が、市街が自分に襲いかかってきたような気になった。
「どうした?」
振り返ると新入りーーアーシュだった。すかしたその顔にボリバスはハッとした。
「くそっ、何ビビってんだよ俺は。本物の武器の準備しろ。行くぞ。アーシュ、お前も恩を受けただろ」
「む? どういうことだ?」
ボリバスに代わってアーシュにはテンキーが説明を始めてくれた。
その横でボリバスは準備を進める。
「とにかく武器だ。本物の武器を用意しろ! 『互助会』と『赤』に声を掛けろ! あ、でも一人で行くな」
ちらっと見えたアーシュがテンキーの話を聞きながら遠くを見たその目が、なぜかひどく気になった。
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ダンジョン攻略から帰った直後にアイビーが攫われた、と聞いたとき、俺は痛みに似た感情を覚えながらも覚悟を決めた。
一般的に戦争で捕虜を確保した場合、それは情報の引き出し、または交換材料として使われる。
そうならないのは、排除したほうがメリットがある戦力を手にした場合だ。敵の決戦兵力やあるいは相手の作戦を立案していた参謀を捕らえた場合、返さずに殺す。返した場合、将来のこちらの被害が大きくなる可能性があるからだ。
そしてアイビーはこの集団の指揮官である。
アイビーを失うことによって集団は戦力として機能しなくなる。
つまり、相手にとって最重要目標だ。
特別な理由がない限り、生かされる可能性は低い。
アイビーの喪失を思い、俺は瞑目した。
哀しみが胸に満ちた。俺の記憶に残っているアイビーの姿が次々と浮かんで消えた。そこで俺ははたと気づいた。
アイビーは実際強いのだ。俺ではアイビーのデバフからは逃れられない。ならば、そのデバフを使えば、生き延びる術があるのではないか。
一方でアイビーがデバフで身を守っていたとしても、無限にできるわけではないだろう。
アイビーがデバフの盾で身を守りながら、助けを待っている可能性は高い。
直ちに後詰めに向かわなければならない。
俺は自分の身体を確認する。仕事の疲労はあるが問題は無い。たとえ筋肉が断裂していても動けるように鍛えてきた。信頼に足る剣が一本あれば、精鋭十名と戦える。普通の兵士であれば二千までは斃せるだろう。
剣を抜いた。
構えて、振った。
破裂音が発生した。問題なく音速を超えている。いつもの通りに身体は動く。
「な、何したんだお前……」
驚愕した顔のボリバスの質問に、
「剣の具合を確かめていた。問題ない」
「そ、そうか」
俺はテンキーが教えてくれたアイビーが連れて行かれたという方角を見た。
時間がなかった。
まずは俺が尖兵として行こう。




