第11話 地下室
アイビーが意識を取り戻したとき、最初に感じたのは痛みだった。
肌に鈍い痛みと鋭い痛みが連なり、それが全身に伸びていく。
少しして、縛られている、と気づいた。おそらく荒縄。それが食い込んでいて痛いのだ。手だけでは無く身体にまで縄は回されている。
節々も痛かった。床に直接転がされているのが原因だと思われた。床は磨かれた木の板が張られており、そこから考えるに今いるのは一定以上ちゃんとした屋敷の中だと思われた。だが空気に湿り気がある。と言うことは地下室である可能性が高かった。
同じ空間に人の気配は複数あった。
アイビーは意識が戻ってきても身動きをせず耳を澄ませ聴覚だけで周囲の状況を探った。
情報を知り理解し対策を考えておけば、それは次の展開のアドバンテージになる、そう考えているからだ。
だが、
「起きたみたいじゃん?」
という声が突然降ってきた。
しばらく反応しなかったが、相手も反応しなかった。しかし、じっと見られていることだけがわかった。
やむを得ず目を開けると、すぐ横にしゃがみ込んでいた『赤』のアーグスと目が合った。
いったいどういう方法で覚醒を知ったのかわからなかったが、アイビーは諦めて、身体を起こして再度まっすぐアーグスの顔を見た。
「……襲撃をかけてきたのはあなたたちだったのですか? いえ……あなたですか」
「うん。『赤』じゃない。でも僕だけど僕でも無いよ?」
アーグスが後ろを顎で指すと、確かに部屋の隅に二人の人間がいた。部屋はやはり地下なのか窓は無く、燭台の蝋燭の火のみが明かりとなっていて、二人の容姿はよく見えなかった。
「僕は彼の命令に従っただけ。君は僕が君のことを知っていた理由を知りたがっていたけど、それが詰まるところ彼だよ」
彼らでは無く『彼』ということは、あの二人のうちのどちらかがアーグスを動かす力を持っているということだろう。では交渉相手は『彼』か、とアイビーがまだ影の中にいる二人の方を見ると、アーグスは声を潜めた。
「でも彼が出てこない方がいいよ? 彼、僕みたいに優しくないからね」
「……どういう意味ですか?」
「うーん。まぁ、優しさってさ、次にその相手に優しくしてもらうために、振りまくものじゃない? 彼はそういうのが必要ないんだよね。むしろ不要とされている。そういう立場の人だよ。だから交渉相手が僕のうちに交渉をまとめた方がいい」
「交渉も何も……まだ何も要求されていませんが」
「それは君が聞かなかっただけだよね? シンプルな話さ。君の力を彼のために使ってほしいんだよ」
「……無理です」
「そんなこと無いだろ? 生得スキルを使うだけで、今の生活を抜け出せるんだぜ? 橋の下で寝る必要なくなるよ?」
「関係ありません」
「うーん。でも今回は従うのが一番無難だよ? だって痛くないよ?」
「痛い……?」
「うん。もちろんだよ。僕もたぶん殴られる。君も殴られる……だけですむかなぁ」
突然、アーグスに対して影の中から声が掛けられた。
弱々しいが命じることに慣れ、強い意志を感じる声が、
「少し、いいか?」
アーグスは慌てて影の方に小走りで向かった。
アーグスと同じくらいの身長でアーグスよりもさらにほっそりしている影にいきなりアーグスが殴られた。
アイビーはその肉が肉を打つ音に震え上がった。
床に倒れ込んだアーグスが立ち上がり、何事もなかったように人影からいくつか命じられ、それに対して何度か頷き、それからアイビーの元まで戻ってきた。
殴られたときに切れたのだろう。唇から血が流れていた。
アーグスの顔は血に気づいてないような笑顔が張り付いていた。
「……まぁ、こんな目にあいたくないよね? さっきの話だけど再検討してくれないかな? 君と、そして僕のために」
笑顔でそういうアーグスが恐ろしかった。
なぜ毎回こんなことになってしまったのか、とアイビーは絶望した。生得スキルは神の祝福だと言われている。訓練によって得られるスキルとは異なる特別なものであるが、アイビーにとってのそれは呪いだった。
その呪いのせいで、家族を失い、家を失い、今、恐怖に怯えながら命を失いかけている。
恐ろしかった。
そして何もかもが嫌だった。
アイビーは顔を伏せ、世界から距離をとるように身体を縮めた。
押し黙って胎児のように丸くなったアイビーの前で、『赤』のアーグスは参っていた。
実に面倒な状況だった。
何しろ臨時のボスである相手は、頭がおかしいのである。
ただでさえアーグスの立場は複雑だ。『赤』のスポンサーであるラスターン子爵家の血族ではあるが、正式に一族として認められている訳ではない。しかも嫡子である長兄からは嫌われている。そんな状況の中で成果を出して、正式に一族に入ることを目指しているわけで、『赤』はその格好の手段になるはずだった。
突然父に呼び出され、
「この方の指示に従うように」
と引き合わされたのは、護衛を伴ったアーグスと同世代と思われる線の細い少年だった。もちろん父親の命令に逆らう選択肢は無く、否応なく了承した。
チュランと名乗ったその少年の人間性にはすぐに絶望した。
チュランは高位の人間にありがちの人を人と思わぬ思考と自分の願望を実現するために手段を選ばない独善性があった。また人を従える一番効率的な方法が暴力であると認識していて、それを振るうことにためらいが無かった。
アーグスはラスターン子爵家当主である父の紹介でチュランの下についたわけで、貴族の端くれと認識されていたはずだ。にもかかわらずその暴力は簡単にアーグスに届いた。
暴力のプロであると思われる護衛の手こそ出させなかったが、チュラン本人はことあるごとにアーグスを殴った。拳を鍛えているわけではないようなので平手打ちであったがそのことがさらにアーグスの自尊心を傷つけた。そして、そのことをチュランは分かっていると思われた。
チュランがラスターン子爵家を通じてアーグスに命じたこと。
それは、一人の少女の捜索だった。
その少女は弱小貴族の妾腹出で、生得スキルを持っているのだという。
三年前にその少女を巡って、貴族の派閥間で暗闘が行われ、結果としてその弱小貴族家は罪を得て滅んだ。
その生家であるミズーオ子爵家を滅亡させた少女が生き残って孵化街にいるはずと聞いて驚いたが、実際探し始め、間違いなくそこにいたことにさらに驚いた。
滅んだとはいえ貴族の係累が孵化街にいるとは思っていなかったからだった。アーグスは孵化街に出入りはしているが、基本的に寝床は街中に確保している。壁や寝具がない場所ではとても寝ることは出来なかった。文明を知っている人間に、孵化街での生活はきつい。貴族であればなおさらだった。
だから最初は人違いだと考えた。何らかの情報伝達のミスでその少女に似た誰かが孵化街にいるだけだろう、と。だが直接見て、間違いなく貴族の係累だとわかった。
全ての所作が訓練を長年受けた人間のみが持ち得る気品に満ちていたからだ。
さらに言えば、少女の傍らにいた少年にも似たような気品があった。
とりあえず少女を発見した事実をチュランに報告したところ、チュランは気取った仕草で指を顎に当て少し考えたあと言った。
「可能であれば本人の意志で我らへの協力を得たいな」
「なぜでしょう?」
チュランは馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「君は知らないのか。くだんの子爵家が没落した理由は、娘のコントロールに失敗したからだ。娘は父親の命令を拒否した。つまり生得スキルの実行を拒否した。そのことで、まず生得スキルの実在が証明できず、派閥同士の争いで自分を売り込む術を失ったミズーオ家は、混乱の責を負わされたのだ」
「……なるほど」
「つまり娘がその気にならなければその生得スキルは使われない、ということだ。父親の没落さえ彼女を動かさなかったのだからよほど強情なのだろう。娘の生得スキルを使うためには、娘が進んで私たちに協力しようとするか、あるいは父親であればこそ出来ない手段が必要だということだな。ふむ。それならば方法はあるか。ミズーオ家が没落したことが私には功を奏したということか」
それからチュランは酷薄そうな笑みを浮かべながら再び沈黙した。
チュランが何か言うのを無表情で待ちながらアーグスは内心うんざりしていた。
チュランは派閥の長としては最悪の人間だ。
まず人を人と思わない酷薄な人間であるうえ、攻撃性が高い。つまり、ストッパーが無い獣のような存在なのである。その上、父親であるラゾーン公爵が支配する犀竜騎士団という暴力装置まで持っている。完全に自由とは言えないまでも、次代の主君であるから犀竜騎士団の騎士達はチュランの指示にある程度従うし、それだけでは無く犀竜騎士団から最強と呼ばれる一人の騎士を自分の専従として引き抜いた。以来、その元騎士ダブソンはチュランの手足として主に残虐行為に手を染め続けている。そして文句を言わずチュランの意志に完全に従っているように見えるそのダブソンでさえ、しばしばチュランに打擲されているのだ。
つまり配下の者にもチュランの攻撃性は届く、ということを意味していた。
それでも、とアーグスは表情を消しながら考える。
アーグスが今の状況、生家に飼い殺しにされている状況を抜け出すにはこのチュランの、ラゾーン公爵家の力を借りるしかないのだ。
そのためならばチュランに殴られるなど何でも無かった。
だからうんざりしながらも、自分の将来のためアーグスは黙って耐える。
長い沈黙のあと、薄笑いを浮かべてチュランは言葉を吐いた。
「周りの人間が次々と殺されていったら驚くと思わないか? 隣にいた人間たちが一人一人、名誉も慈悲も無く残虐に殺されていくのだ。そうすれば次は自分かもしれないと考えるだろう。恐怖と絶望できっと自分を守ってくれる力にすがるようになる。どうだ? 貴族という盾を失っていればこそ、このような手も打てる」
顔を見たが冗談でも何でも無く完全に本気の顔だったからアーグスは深々と頭を下げた。
「……私などでは到底思いつかないお考えです」
「よろしい。ではあとはお前がやれ。ダブソン、手を貸してやれ」
ダブソンはうっそりと頭を下げて了承を示した。
そして現在に至る。
つまりチュランの計画は失敗したのだ。
ダブソンは予定通り孵化街の孤児達を一人、あるいは二人、残虐に殺していったが、それでもアイビーの心は折れなかった。アイビーのグループの一人を殺しても尚、変わらなかった。むしろ自衛のための組織化に動いた。その動きを把握するために、アーグスもその動きに乗ったのだが、そこでも怯えよりも抵抗心の方が強かった。貴族よりもよほど誇り高い人間だったわけだ。
チュランが次に命じたのはアイビーを攫ってくることだった。
ダブソンがその命令を実行した。
その結果、チュランの獲物を確認する視線がずっとアイビーに注がれている。その視線は執拗でありながら、楽しげで、好奇心と嗜虐心を濃密に孕んでいた。その視線は、アイビーがチュランにとって新しい玩具であることを示していた。
一方、アイビーは完全に殻に閉じこもっているが、その目はまだ死んでいなかった。
怯えよりも嫌悪。
受け入れよりも排除。
話に聞いたことがある別の大陸に棲む外に向けた針で全身が覆われた鼠のように感じた。
アーグスがアイビーをどう説得するか、と考えていると、
「もういいだろう。では次の段階に移ろうか」
影からチュラン本人がぬるりと出てきた。爬虫類のような動きだった。
燭台の光に照らされた白い顔は、アルピノの爬虫類か、人形のように見えた。
アーグスは天井を見上げた。こうならないための説得が無駄になったことがわかった。
空気が変わったことを理解したのか、アイビーの視線がチュランに向かった。チュランの横には当たり前の様にダブソンが寄り添っている。
「お前が生得スキルの持ち主か。お前の力を巡って弱小貴族家が一つ滅んだという」
「……」
「ボロを身体に巻いて、とても元貴族には見えぬな。やはり没落するとここまで落ちぶれるか。答えよ。断絶された貴族など本来なら私に口も利けない立場であるが、直答を許す」
アイビーは口を開かなかった。目だけで反発を示す。
チュランの口が笑みの形に歪んだ。
アーグスの方を向き、
「スキルとやらを使わせてみせろ。実際に私の目的に役に立つのか見てみたい。これだけ手間暇を掛けて意味が無かったとあっては腹立たしいが……とはいえ答えは出さねばならぬ」
「それが……なかなか言うことを聞きませんので」
「下民如きいくらでも言うことを聞かせる方法などあるだろう」
「弱小とは言えミズーオ子爵家の係累だったので、意地はあるようです」
「滅んだ貴族家など下民と変わらぬ。まぁよい。どこまで意地を張れるか私自ら試してやろう」
チュランが顎をしゃくると後ろに立っていたダブソンが前に出た。
アイビーの視線はチュランに据えられたままだった。
「こいつはラゾーン犀竜騎士団でも持て余す剣士だった男だ。攻撃性が高すぎてな……だが、ダンジョンで出てきた魔剣にただ一人適合した戦士でもある」
ダブソンの兜のスリットから声が漏れた。
「こまりまする」
アーグスも初めて聞くダブソンのそれは思いがけなく、か細く甲高い声だった。
「私は決してそのようなものではありませぬ。本当に精一杯命令を果たしているだけで……」
「これだからこの怪物はよいのだ。心の底から人と異なる。だがそこがよい」
チュランは笑みを浮かべたまま、
「やれ」
とダブソンに命じた。
それから、アーグスの方を向き、
「ここから先は我が家の秘事だ。お前は出ていけ」
「よろこんで」
願ったり叶ったりだった。知っている人間が、しかも女が切り刻まれる姿など見たくはなかった。
アーグスは心の底からの謝意を深々と頭を下げることで伝え、それから部屋を出た。




