第8話 モルのブローチ②
築四十年って感じかな。ところどころ床がギイと鳴る。
上品な都会っ子なら我慢できないだろうけど、俺は田舎生まれ田舎育ちだから、逆に落ち着く。
部屋というよりも、物置に近い屋根裏部屋をあてがわれたのだが、それがまた雰囲気があるというか。
モルには悪いけど、ちょっとテンションが上がっていた。当然ベッドなんてものはなく、傷んだソファが置いてあるだけだった。
そういえば、電気ってどうなってるんだろう。店には明かりがついていたけど、この部屋には明かりがない。小さな窓からほのかに月明りが差し込んでいるだけだ。
外を見てみると、粗末な継ぎはぎだらけの屋根が広がっていた。この家は上等なほうだ。
空には地球と同じように大きな満月が輝いている。もう間違いないな。環境は元の世界と同じのようだ。
「いやあ、モル君。なかなか楽しそうなところじゃないか」
ハハハと笑ってやると、モルは涙目で睨んできた。
「君ね、なんでボクがこんな目に合うのさ。こんな暗くて埃っぽいところに閉じ込められてさ」
「閉じ込められてはないだろ。明日はどっかに連れてってくれるらしいし」
「だから、なんでそんなに能天気なのさ!さっき刺されたよね?もしボクだったら死んでたよ」
まあまあ。そう興奮しなさんな。もしそうなら冥界に戻れたのにな、と言うのはやめておいてやるから。よしよし。俺はモルを膝の上で撫でてやった。
そういえば、モルを撫でたのは初めてだったな。可愛いといえば可愛いよな。なんて思っていると、「悪い悪い」と言いながらミートクさんが入ってきた。
モルは恥ずかしいのか、俺の膝からぴょんと離れていく。
「そういや、明かりのつけ方もわからないよな」
しばらくすると、天井がボワっと明るくなった。ランタンのように黄色く弱々しい光だ。
ミートクは壁に描かれている小さな魔法陣のような模様に手をかざしていた。コンセントスイッチみたいなものかな。
「この模様に三秒間、手をかざしていると明かりがつくよ」
「へえ。でも、魂液が必要なんじゃ…」
ミートクは豪快に笑った。
「王都のホテルみたいにチマチマ取ったりしないよ。三秒間体温を感知すると発動する」
「でも、どうやって…?」
「公共サービスなんかないからさ、皆で出し合って使ってるんだ。王都なんかだと、きっちり毎月の使用量が請求されるけど、ここじゃ適当さ。毎月皆で集魂してるんだ」
とりあえず頷いてみたが、何を言っているのかさっぱりだ。
「集魂…ですか?」
「ああ、うーん、そうだな」
ミートクは考え込んだ。説明が難しいんだろうね。
「例えば、この明かりは発光の術式を天井に書き込んでいるわけだけど、それだけじゃ発光させるたびに魂液を消費するし、すぐに尽きちまうだろ。だから、少量ずつでも魂液を送り続ける必要があるんだ。そこで、ここら一体を魂液線で結んでいるのさ。皆から集めた魂液を使ってるってわけ」
「はあ、なるほど。電線みたいなものですね」
「電線?なんだいそりゃ」
「あ…いや、じゃあ、明かり以外にも装置みたいなものがあるんですか?」
ミートクは、ふむと考える。
「あんた、今までどうやって生きてきたのか知らないけど、相当ヘンピな国から来たのかねえ。アタイの店じゃ火力がいるし、水も必要だろう?まあ、水は川から引き込んでるけど、火の術式は同じ要領さ」
「なるほど。じゃあ、誰がどのくらい使ったかわかるんですか?」
ミートクはまた考えながら、ちらりと視線を向けた。
「それは言いっこなしさ。IDがないからねえ。だから、皆の善意で成り立っているんだよ。性善説ってやつ?」
灰淵街で性善説ですか。俺、さっき刺されましたよね?
「あんたが明日行く、ソウデルさんのところで集魂してるんだよ。まあ記録なんて残らなくても、だいたいわかるからね。いろんな目があるのさ。無駄遣いするんじゃないよ」
そう言い残して、ミートクは部屋をあとにした。
まあいいか。それで成り立ってるみたいだし、どうせ抜け道みたいな裏技でも使ってるんだろう。
さて、と。
「モルよ。もう寝るかい?」
返事はなかった。モルは遠い目で窓の外を眺めている。何を考えているのか手に取るようにわかるよ、君は。
「だよな。お前にはまだ仕事があるもんな。俺もちょっと考えたいことがあるし」
すると、モルは静かに口を開いた。
「笑わせてくれてるの?君が考えごとなんてさ」
ふむ、どうやら聞く耳だけは持っているようだ。
「さすがに俺も考えるさ。刺されても死なないし、俺の体ってどうなってるのかな?」
モルはまた息をつく。そして、トコトコと歩いてきて俺の前に座った。
「さあね。魂液がない時点でボクにはお手上げだけどさ、君の魂が普通じゃないのはわかるよ」
「魂ねえ」
「前にも言ったけど、魂と生命は別なんだ。君の魂には少なくとも二人の生命が宿っているんだよ。一人は余部哲雄、もう一人は今のその姿の人間。仮にベルマとしようか。だから、ベルマが使えた術式も使えるんじゃないかな」
「えっと、待てよ。それって、この世界の話だよな?ベルマはこっちの世界で死んだ人間ってこと?」
モルは考え込む。
「たぶん、そうなるだろうね」
「あの光の魔法も、さっきの治癒魔法も、ベルマが使っていた術式ってことか」
「わからないけど、君はすでにフレアジェイル、ウォータージェイル、樹氷、光の魔法、治癒魔法を発現させているよね。そのすべてをベルマが使っていたとは思えないんだよ。だから、まだ他の人間の生命も宿っているのかもしれない」
「オイオイ、それってなんかやだな」
「ジルも言ってたけど、魔法は術式を理解して魂に定着させないといけないんだ。ウォータージェイルや樹氷を、君は見ただけで理解したんだ。そんなことは普通じゃ絶対にありえない。でも、光の魔法や治癒魔法は見ていないよね?だから、この仮説はかなり有力だと思うよ」
むう…わかるようなわからないような。モルってやっぱ賢いのかな。
「でもよう、あの光の魔法ってやつはどうなんだろ。余部哲雄の記憶しか読み取れなかったからさ」
「わからないけど、もしかしたらベルマの記憶も復元できるかもね」
それは、まあ確かに。
「でもな、俺ってちょっと念じるだけじゃ魔法が発動しないんだよ。追い詰められるっていうか、マジになるっていうか。そういうのって苦手でさ。精神的にしんどいじゃん?」
モルはまた息をついて、俺を見る。
「そんなことはわかってるよ。でもね、この仮説じゃ説明できないこともあるんだ」
「へ、何かな?」
「君が冥界でアイコスとスマホって機械を具現化したでしょ?あれは、ボクが知ってるどんな術式でも説明できないんだ。もっと何か、他の階層に干渉するような法則があるのかもしれないね」
うーん、言われてみればそうだな。この世界にも冥界にも存在しないアイコスを具現化できる術式なんてあるわけがない。しかし、考えれば考えるほど頭が痛くなってくるな。
「あー、もうやめようか。明日も忙しそうだし」
「そう言うと思ったよ。だから、黙っていたんだ」
モルは立ち上がって、また窓辺に向かった。
「ところで、そのブローチは宝石なの?じつは、ルピートだとか言わないよな?」
「これ?」と言って、モルはブローチに肉球をかざした。
「じつはね…ルピートみたいなものなんだ」
「は?」
「魔法石と言ってね、カルマエギ様の魂液と術式が封入されているんだ。ヒロコのペンダントと似ているかな」
モルのブローチが淡い光を放ち始めた。魂のように青白く儚い光を。
「ただし、ボクの魂液にしか反応しない。魂審官筆頭従者にだけ与えられる秘宝さ」
モルがカッコいい。って、そんな凄いものだったのかよ。
青白い光がさらに膨張し、その中から一冊の古めかしい本が現れた。カルマエギが『書庫』から取り出したような本だ。
「それって…」
「うん。日記帳だよ。これは今日ボクが体験したことが偽りなく記されちゃう。だから、君の行動はカルマエギ様に筒抜けだからね」
モルは日記帳を床に置いて肉球をかざすと、パラパラとページが捲れて、文字が自動的に書き込まれていく。
「そうだな。ダムレイに伝えてもらってくれ。さっそく刺されて樹氷ぶっ放したって」
「ニャハハ。いいね、それ。どんな返事が書き込まれるのか楽しみだよ」
ようやく笑ったな。元気になって何よりだ。やっぱり男同士、腹を割って何でも話し合うことが大事だよな。
だが、モルは冗談で言っていなかったようだ。
「君のことをしっかり報告して、魂審官様たちの御力で君の謎を解いてもらわなきゃ。もし本当に異階層に干渉できるような法則があるのだとしたら…ボクも冥界に戻れるかもしれないからね」
ほう。そういうことね。
「よし。そっちは任せた」
「そっちも、でしょ」
こうして少しだけハイになった俺とモルは、ほとんど眠れずに朝を迎えたのだった。
そして、翌朝――。
「よう、よく眠れたかい?モル」
元気よくミートクさんが入ってきた。俺には興味ないみたいですけど。
ニャハっと愛嬌を振りまくモル。寝てないくせによくやるよ。どうせ、ろくでもない返事が返ってきたんだろう。
「朝飯の用意ができてるから、降りてきな」
「ありがとうございます。すぐ行きます」
モルを無視して降りていくと、店のテーブルに朝食が並べてあった。
黄色い切り身の焼き魚と、黄色い液体の飲み物だった。気持ち悪い色だけど、ありがとうミートクさん。
そして、テーブルにはミートクさんの他にマーロウ爺さんが座っていた。
「今朝はワシも一緒じゃ。もう少ししたら、迎えが来るからの」
「あ、はい」
俺とモルは席について『いただきます』と手を合わせる。
この作法は、モルの家で俺がやったところ、たちまち冥界の猫たちの間でブームになった作法だ。
昨夜はそんな余裕なかったから貪り食ったけどね。
「なんだよ、それ」
ミートクさんが首を傾げている。まあ、地球の――それも日本だけの作法だから。
「俺の国じゃ、こうやって命をいただくことに感謝するんですよ」
「へえ、なんかいいじゃん。アタイもやってみようかな」
こうして、三人と一匹で合掌する。朝食は変な色だったけど、とてもおいしかった。さすがミートクさんだ。
「それで、今日はどこへ行くんですかね?」
マーロウに尋ねると、「ホッホッホ」と面白そうに笑った。
「迎えが来るんじゃよ。じゃから、待っておればよい」
「迎え?」
「そうじゃ。お前さんはもう有名人になっとるからの。VIP待遇じゃ」
「はあ?」
爺さん、とぼけてるのかなと思ったが、よく考えたら自分の捲いた種だった。
そうだったな。俺が樹氷なんてぶっ放した挙句、刺されてもケロっとしてるんだから仕方ないか。
「ここらで起きたことは、すぐにソウデルさんの耳に入るんじゃ。ワシが言うまでもなかったわい」
「まあそういうこった」と、ミートクさんが続けた。
「昨日の二人もソウデルさんに引き取ってもらったのさ。じつはね、あんたを紹介するって条件で色つけてもらったんだ。どうせ行くんだから、いいだろ?」
「それは、まあ…」
そういうことね。どおりで機嫌がいいはずだよ。宿泊代と朝食代は請求されずにすみそうだ。
モルもなぜか機嫌がいい。ミートクとマーロウ爺さんに撫でられて気持ちよさそうにしている。昨日はこの世の終わりのような顔をしていたのに、どういう心境の変化だよ。
ミートクさんが食器を片付けていると、表のほうがガヤガヤと騒がしくなった。
「来たようじゃ」
マーロウ爺さんが席を立つ。お迎えってやつか。
慌ててミートクさんもやってきて、表に出てみると、凄いものが停まっていた。
流線形の輝くボディ。スラムに似つかわしくないそのフォルムは、周りの野次馬を圧倒するオーラを放っていた。というより、光ってるな。
まるで王族のロールスロイスとスーパーカーを組み合わせたような、俺の想像をはるかに上回る車がそこにあったのだ。
黒塗りのボディには金の模様が描かれ、ヘッドライトやテールライト、ホイールの中心部がルピートのように青く輝いていた。
そして、黒い礼装に身を包み、白い手袋をはめた銀髪の男が、観音開きのドアを開けて待っていた。
それはそれは、とてもスラムの人間とは思えない神々しい立ち姿で。
俺は言葉を失った。ただ、周囲には驚いている人もいたが、多くは見慣れているのか、足を止めようともしなかった。
「何を呆けておる。乗るんじゃ」
「あ…これに?」
マーロウとミートクに押し出されるようにして近づくと、銀髪の男性に恭しく一礼された。
「さあ、お乗りください。ベルマ様」
「様?えっと…ありがとうございます」
俺はモルと車に乗り込んだ。えげつないほどに豪華な内装だった。シルクのように滑らかな白い革製のシートに腰を下ろす。すると、ドアがバタンと閉められた。
「え、爺さん行かないの?」
窓から外を見ると、マーロウはミートクと笑顔で手を振っていた。モルも慌てて窓に額を押し当てている。
ドアにはハンドルも取っ手のようなものもなかった。まさか――。
「オイオイ、もしかして売り飛ばされたのかな?」
「ええっ?」
ヤバいよヤバいよ、なんて猫が言うと面白いな。
まあでも、売り飛ばされたのと、たいして変わらないだろう。それでミートクさんや爺さんに魂液が入るなら悪くないと思う。どっちにしろ、宿無し文無しの身の上なのだから。
そう思ってシートに身を委ねると、モルがいきり立ってきた。
「ちょっと、なんでそんなに落ち着いてるのさ!絶対におかしいよ。こんな車でさ。どこかに連れて行かれちゃうよ!」
「今日はやけに情緒不安定だな。さっきまで調子よさそうだったのに」
「何言っているの!そんな場合じゃなくない?」
「まあ落ち着けって。ホラ、あのお兄さんも二人と知り合いみたいだし、話くらいは聞かせてくれるよ」
お兄さんが二人に頭を下げて、車に乗り込んできた。
飛びかかろうとするモルを押さえる。お兄さんはハンドルの横にあるタッチパネルのようなものを操作しているようだ。仕切りがないので丸見えだ。
そして、お兄さんが座っている前のシートがぐるりと回転して、俺と向き合う形になった。
モルがシャーっと威嚇するのを押さえつつ、俺も密かにドキドキしていた。
なんせ、車が走り出したのだから。
「驚いているようですね」
お兄さんが笑顔で言う。
「そう見えますか?」と、とりあえず強がってみる。
見たところベルマのちょい上くらいな感じだし。物腰は柔らかそうだ。
「フフフ。大丈夫ですよ、ベルマ様。それにモル君も。あなたたちがこれから向かうのは、ソウデル様のお屋敷です。危険なところではありません」
そういう意味じゃないんだけどな。
「いや、そんなことはどうでもいいんです。車が事故らないかなって」
「は?」
これに、お兄さんは驚いたようだ。
「運転はお兄さんがしてるんですよね?まさか自動運転ですか?」
「ああ…そういうことですか。記憶をなくされているというのは本当みたいですね。センサー術式とマッピングで自動運転が可能なのですよ。私が操作することもできますが、通常の移動ならこのほうが安全ですから」
「なるほど。もっといろいろ聞きたいことがありますけど、裏があるとしか思えないですね。俺なんかにこんな待遇なんて」
ハハハと笑って見せると、お兄さんはごもっともといった感じで頷いた。
「これはソウデル様のご指示です。私は一介の使用人。意図ははかりかねます」
「本当に使用人なんですか?そんな気配ではないですよ」
カマをかけてみる。すると、これが功を奏したのか、お兄さんは黙り込んだ。
「あなたも大物のようだ。面白いお話ができそうでしたが、残念です。もうそろそろ到着です」
お兄さんは俺の左側の窓を指差した。
「あの塀の向こうが、ナコントンパークの首領、ソウデル様のお屋敷です」




