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第5話 魂液端末ルピート

 俺は、ヒロコを覆う淡い光に目を奪われていた。


 いや…光を纏(まと)ったヒロコに、というのが正解かな。

 まあ美人だし、悪い人ではなさそうくらいに思っていたけど、紅に輝きながら揺れるポニーテールに凛とした顔、決意を秘めた瞳の三点セットは反則だった。超絶的に美しいのだ。

 どう転んでも余部哲雄(あまるべてつお)とは釣り合わない至高のレベルだった。

 でも、いまの俺の顔ならどうだろう?なんて、妙な妄想を膨らませる俺がいた。


 わかってるんだけどね、ハイタンが猛烈に迫ってきてるのは。

 実際のところ、もう数秒で嚙まれそうな距離にいるから、ウォータージェイルを放つにしても、集中して発現させる時間がない気がしている。

 モルの視線もヒロコに釘付けになっているし、いま打てる手はないと言っていい。

 だからまあ、任せるしかない感じ?


 最悪、この美しい女性がガブリとやられたら、その間にウォータージェイルを発現させようと思う。

 決してバスタオルを貸してくれなかった仕返しではないのだ。

 走馬灯のような思考の中で逡巡していると、ヒロコは両手をハイタンに向けて突き出していた。

 同時に、その可憐な口へ空気が吸い込まれていく。ひと呼吸ほどの間を置いて、静かに発声した。


「積層型結界…樹氷(じゅひょう)」


 すると、掌の前の空中に魔法陣のような模様が現れた。

「ハッ!」と強く発声すると、魔法陣は拡大しながら、ハイタンを中心に土星のような環を形成していく。

 すでにハイタンは動きを止めていた。様子を見ているというよりも、動けないようだ。「ギギギ…」と、おぞましい奇声を発している。

 ヒロコはさらに呪文を詠唱する。流れるように魔法陣が縦四つに分裂し、ハイタンの頭より上の空中と地面までを監獄のような円筒で囲んでしまった。

 さらに、足元から上に向かって凍っていくようだ。断末魔のような咆哮を最後に、ハイタンはその檻の中で活動を停止したのだった。


「ふう…」


 ヒロコが息をついて、額の汗をぬぐった。

 終わったのかな?


「お、お疲れさまでした」


 タオルがあれば貸してあげたい。そう思いながら近づくと、また冷たい視線で俺の動きが封じられた。


「あなた、まだいたの?」

「そりゃあ、もう。素晴らしい魔法が見られて僥倖(ぎょうこう)でした」


 ヒロコはさらに疑いを強くしたようだ。美しい瞳がそう言っている。


「ずっと思ってたんだけど、なんか喋り方がジジ臭いのよね。あなた何歳なの?」

「えっと…」


 モルに助けを求めると、モルはヒロコの膝に飛びつき、胸元まで駆け上がっていった。ヒロコが優しく抱きとめる。


「ベルマには年齢の記憶もないんだ。だからこの際、ヒロコに決めてもらえないかな?」

「えっ?」

「ベルマは本当にバカだから、年齢を決めとこうよって言っても、俺は四十五歳だって言い張るんだ。もうヒロコが見た目で決めてくれるほうがいいかなって」


 ヒロコはまた冷たい視線を俺に向けて、モルに頬ずりした。


「モル君…苦労してるのね。主人がバカだと始末に負えないわ。記憶までない主人なんてね」


 もういいから、そのドヤ顔は。というかモルのやつ、じつは賢いのかもしれない。なんだかんだで、ヒロコを言いくるめてしまっている。

 そうか、年齢ね。生前の俺――余部哲雄は――オジサン道まっしぐらなわけだが、今の外見はなかなかイケてると思っている。うん、ここはひとつモルを見習って。

 チョコレートかなんかのCMに出てたアイドルがいたな。それをイメージしてポーズを決める。

 さあヒロコ、決めてくれ、俺の年齢を!


「………」


 モルがふわっと地面に着地した。ヒロコの瞼がゆっくりと落ちていく。


「あなた、本当に頭のネジが飛んでるみたいね。心の底から関わりたくないわ。でも、モル君がかわいそうでならないのよ。私が引き取ってもいいけど、どうする?」


 ヒロコはモルに問いかけた。

 はあ?と俺が驚くよりも先に、モルは満面の笑みを浮かべていた。まさかこいつ、即決?

 待て待て!今しがた相棒として認め合ったばかりじゃないか!

 そんな俺の視線に気づいているはずだが、モルはヒロコと見つめ合っていた。


「ごめん、ヒロコ。本当はヒロコのところへ行きたいよ。心の底からそう思う。でも、ベルマを放っておけないんだ。ボクも記憶を戻したいし、ベルマもボクの助けがいると思うから」


 モルの瞳が潤んでいるように見える。いや、俺の瞳が潤んでいるのか?

 モル…お前ってやつは。よく見ると、モルはマジで泣いていた。えっと…本当にそっちへ行きたいのかな?


「わかったわ」


 ヒロコはモルを優しく抱き上げた。


「本当に賢い子。こんなバカが主人だなんて不憫でならないけど、これからは私も相談に乗るわ」

「え、これからは…って」


 ヒロコの視線が俺を刺す。


「とりあえず、街まで行きましょう。この国にはあなたのようなバ…じゃなくて、記憶喪失でも受け入れてくれる場所があるから」

「それって…刑務所か何かですかね?」


 恐る恐る尋ねると、ヒロコは笑った。初めて笑顔を見せてくれた。これがまた可愛いーーんだけど、逆に怖いな。


「当たらずとも遠からずってところかしら。だってあなた、個人IDも持ってないんでしょ?」

「IDですか…ないんじゃないでしょうか。それがないと、刑務所行きってことですか?」

「刑務所じゃないから大丈夫よ、たぶん。それだけ能天気なら、受け入れられるでしょう」

「はあ…」


 ヒロコはそれ以上、何も語らずクルリと背を向けた。


「暗くなる前に行きましょう。モル君、行こ」

「あの…」


 俺が呼び止めると、不機嫌そうにヒロコが振り返る。完全に俺には興味がないみたいですね。


「何よ?」

「いや、ハイタンは…このままでいいんですかね?」

「あっ」


 テヘペロですか?古いっすね。


「もう、あなたのせいで忘れてたじゃない。サンプルを採取しておかなくちゃ」


 それは俺のせいではないですよ。うっかりさんなのかな。

 ヒロコはショルダーバッグをゴソゴソと漁って、ペンケースのようなものを取り出した。

 カチリと音を立てて開くと、中から注射器が出てきた。それを手にハイタンへと近づいていく。


「だ、大丈夫ですか?動き出しません?」

「大丈夫よ。『樹氷』の結界は最低でも二十四時間有効よ。血液を採取するだけだもの」


 そう言って、ヒロコが注射器の針をハイタンの皮膚に刺した時、ガル…という声が聞こえた気がした。


「ヒ、ヒロコさん?そいつ、喋った気がするんですけど」

「え?そんなわけないでしょ。ハイ、おしまい」


 採取した血液をケースに戻すヒロコ。ちらりと見えた血液が赤いことに、なぜか安堵する俺。

「ちょーい、ちょいちょい!」と、叫ぶモル。

 へ?どうしたモル。ふとハイタンを見ると、ギロリと目玉が動いた。


「ガルルル…」


 ほらね!めっちゃ声が聞こえるし、明らかに口も動いてるよ!


「ひゃっ!」


 これには、さすがのヒロコも驚いて悲鳴を上げた。その拍子によろめいて、俺にもたれかかった。

 次の瞬間、耳をつんざくようなハイタンの咆哮とともに、結界『樹氷』が砕け散った。キラキラと魔法陣の残滓が金粉のように宙を舞う。

 ヤバイ!俺は咄嗟にヒロコを抱きかかえた。

 ハイタンはその牙を突き立てるべく、裂けるほどに口を開いて襲い掛かってくる。

 モルが何か叫んでいるが、ウォータージェイルなんか出せねえって、そんなすぐに!

 でも、このままじゃ確実に死ぬ。俺がなんとかしないと!そう強く思った時、胸の奥が燃えるように熱くなった。

 だが、ウォータージェイルもフレアジェイルも発現しなかった。くそっ、どうなってやがる!

 牙が迫ってくる。もうダメか、と目を覆いかけた時、ヒロコのペンダントが眩い光を発していることに気がついた。

 そして、時間が止まったようにハイタンが動きを止めていた。


「まさか…ルピートに魂液が、補充された?」


 ヒロコが呟く。よくわからんが、なんか復活したっぽい。

 これって、たぶん俺のせいだよね?

 この状況で、戸惑うヒロコに対してかける言葉が見つからない俺。ここは相棒に任せよう。

 モルに視線を送ると、わかっているとばかりに叫んだ。


「ヒロコ!もう一度、『樹氷』だよ。早くっ!」

「ええっ、樹氷…?」


 だよね、そういう反応になると思う。だけど、モルが言ったのは俺に対してなんだよね。

 なんとなく、で(・)き(・)る(・)気(・)が(・)し(・)た(・)。この感覚は間違いない。フレアジェイルの時と同じだった。

 俺はヒロコの体をクルっと回してハイタンに向けた。


「ちょっと、何を…」


 何って、二人の初めての共同作業ですよ。


「さあ、もう一度、樹氷を…」


 と俺が口にした時、ヒロコのペンダントから光が溢れ出し、魔法陣が出現した。

 樹(・)氷(・)と口にしてしまったことで、魔法が発動してしまったらしい。あっ、ヤベ!と思ったのだが、上手く丸め込む必要がある。


「ヒロコさん、さすがですね!」


 俺はヒロコの肩を支えながら、ダンディに言い放つ。


「えっ、そんな…」


 ヒロコは動揺しているが、大丈夫だよ感を出して肩を支えておく。

 たぶんだけど、完全に術が発現するまでは手を離したらダメだと思う。

 そう、ヒロコを通して樹氷を発現させているのだ。

 その力は強大だった。一度目の樹氷の比ではなかった。

 魔法陣が十六個。はるか上空まで積層が積み上がった。その半径は、ハイタンを中心に急激に広がっていく。

 巨大な円筒の檻となり、俺たちを含まないように海のほうへ移動しながら、内部のすべてを凍らせているのだ。

 その檻はまるで台風のように、ハイタンを乗せて、砂浜と海を凍らせながら沖へ進んでいった。

 終わったかな?


「あ…ああ…」


 ヒロコは声にならないのか、その場にうずくまった。

 モルは物言いたげな視線を向けている。いや、力の制御なんてできないんだって。

 とりあえず、しらばっくれるしかないかな。さようなら、ハイタンってことで!

 俺は、そっとヒロコの肩から手を離した。


「なんなのよ…これって」


 ヒロコはわけがわからない様子で、ペンダントを握りしめていた。


「いやあ、素晴らしい魔法でしたね!さすがヒロコさん」


 勢いで誤魔化しにかかると、ヒロコは鋭い視線を向けてきた。


「まさか、あなたが何かしたの?」

「とんでもない!俺はただの記憶喪失ですよ」


 イヤイヤと手を振る。


「怪しいわね。モル君なわけないし、これは調査局員への貸与なのよ。あんな術式が発現するわけないじゃない」


 ヒロコは握りしめているペンダントに視線を落とした。

 うむ、困ったな。そう言われても説明できないし、話をすり替えよう。


「綺麗な宝石ですね。モルのブローチとそっくりで。なんですか、それは?」


 しばし沈黙が流れる。ヒロコは疲れた様子で、モルの頭を撫でた。


「ほんとね。でも、これはルピートっていう装置なのよ。宝石じゃないわ」

「これが、装置なの?」


 モルが自分のブローチと見比べながら尋ねる。


「そうよ。『樹氷』の発動に必要な術式と魂液が封入されているの。魂液の波長も消してくれるし、自分の魂液を消費しなくてすむのよ。調査局員の護身用に配布された携帯装置ってわけ。さすがに今ので、魂液は空になったみたいね」


 ほう。いろいろ聞いてみたい代物だね。でも、俺は質問しないでおこう。

 ここはモルに任せたいのだが、やつめ、ルピートを凝視したまま黙っていやがる。まーた、無駄に考え込んでいるのだろう。しょうがない。


「あの…魂液って自分のやつじゃなくても、利用できるってことですか?」


 ヒロコは穏やかな表情のままだった。どうやら力が抜けてしまっているようだ。


「ええ。魂液は貯めておけるのよ。このルピートは調査局のものだけどね。私個人のルピートはしまってあるわ」


 そう言って、ショルダーバッグから、折り畳み式のガラケーみたいな装置を取り出して見せてくれた。

 ディスプレイのようなものはなく、代わりに青い宝石のようなものが埋め込まれている。操作ボタンも付いているようだ。


「これに貯めておけるのよ。体内の魂液を消費しなくてもいいようにね」

「へえ、コツコツ自分の魂液を注入している感じですか?」

「あなた、本当に何も覚えてないのね」


 ヒロコはルピートをさっさと鞄にしまうと、すっと立ち上がってズボンの砂を払った。


「魂液に個人差なんてないわ。誰の魂液でも同じ。だから、みんな魂液で食料や必需品を買って生活しているのよ」

「え?てことは、この世界にお金はないってことですか?」

「お金って何よ?あなた、本当にヤバいわね。というか、もう疲れたわ。早く帰りましょう」


 ふう、と息をついてヒロコは背伸びをした。海の向こうへ遠ざかっていくハイタンを眺めているようだ。

 俺はモルと見つめ合う。わかった?今ので?という視線を送ると、モルは首を振っていた。

 まあ、ヒロコさんもお疲れのようだし、ここで根掘り葉掘り質問してもいいことにはならないだろう。

 だが、どうしても聞きたいことがあった。


「あ、あの…体内の魂液って言われてましたが、それが尽きたらどうなるんですかね?」


 ヒロコはハイタンに黙とうを捧げるように軽く目を閉じてから、こちらに向き直った。


「それは、大事なことよね。あなた、これから生活していくのに魂液が必要だし、よく覚えておきなさい。体内から失った魂液は、休息や睡眠で時間をかければ回復するけど、魂液が尽きたら、下手をすると死ぬわ。気をつけることね」


 やっぱりそうですか。でも、俺すでにゼロだしね。あ、だから死んでたのかな。


「じゃあ…死んだら魂液はどうなるので?」

「霧散するわね。だから普通はルピートに移して、遺産として生前贈与するのよ。あなたには関係ないでしょうけど」


 なるほどね。やっぱり魂液に区別はないってことだ。お金として使えるみたいだし、金持ちならぬ魂液持ちがいるのかな。

 てことは、魂液ゼロの俺でも、ルピートがあれば貯めておけるってことじゃないか。

 まあ、どうやって溜めるのかが問題になるわけだけど、いざとなったらモルの魂液があるし、お金の心配はしなくてすみそうだ。

 どっちかというと、それが一番心配だったからね。モルには悪いが、俺は無一文だから。


「あなた、よくこの状況で笑っていられるわね」


 あ、笑ってました?


「ところで、あなたの年齢だけどね。私より年上ってのは許せないから、年下にしなさい。二十二歳ってところね」

「二十二歳ですか。いいじゃないですか。では、ヒロコさんは二十四歳くらいですか?」


 この質問は禁句だった。女性に年齢を尋ねてはならぬのは万国共通だったようだ。恐ろしく不機嫌になって、「二十三よ」と冷たく答えてくれた。

 そして、そのまま森の中へ行ってしまった。俺とモルは後に続く。

 おかげで、しばらく無言で歩く羽目になったわけだが、ヒロコは怒っているわけではなく、考え事をしているようだった。

 いつしか樹海の奥深くまで分け入っていた。どこを見ても同じ背丈くらいの木が生い茂り、地面は溶岩のように固い。

 もうすでに、俺が話しかける状況ではなかった。ここは、モルに任せる。


「どうしたの、ヒロコ?」

「うん?ああ…ハイタンのことが気になってね」

「樹氷の力のこと?」

「それもそうだけど…あんな巨大なハイタンは初めて見たのよ。それに、樹氷から抜け出たでしょ。調査局の樹氷が砕かれるなんて、聞いたことがないわ。もしかして、人を食っていたのかも…」

「ええっ?」

「とにかく、サンプルが入手できたのは僥倖…って、ベルマがうつっちゃったわね。早く帰って調べる必要があるわ」


 急ぎましょう、とヒロコは歩みを速めた。

 俺としては、魔獣なんだから人くらい食べちゃうんじゃない?と思うのだが、違うのかな。

 まあ、年齢のことは忘れてくれているようでよかった。


「それで、どちらに向かってるんで?」


 俺が尋ねると、ヒロコはなぜかニヤリと笑った。


「ラウネ王国の王都よ。もっとも、あなたは王都に入れないでしょうから、そこでお別れね」



挿絵(By みてみん)

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