第4話 美女と魔獣
えっと、これはジェットコースターかな?
苦手なんだよね、絶叫系。見た目は美青年だけど、精神年齢四十五歳だよ。
思ったとおり、魂審官たちの術は荒っぽかった。
もっとふわっと転移させろっての。シンラコウの悪意を感じるのだが、まあ文句を言うのは筋違いだよな。
やっと足が地に着いた感覚があったので、目を開けてみる。
するとそこには――。
透き通るような青い海と白い砂浜が広がっていた。
打ち寄せる小波が心地よい音色を奏で、照り付ける日差しが水面を輝かせている。なんと美しい…。
俺はしばらく、その光景に目を奪われていた。
ああ、やっぱり海はいいね。夏みたいな暑さが逆にいいよ。四季があるのかどうかわからないけどさ。
どうやらビーチに転移していたらしい。って、そのまんまだけど、砂浜の上に立っていたのだ。
ただ、どこまでも続く海岸線というわけではなく、周囲は森になっている。森の奥にある穴場のプライベートビーチという感じだった。
辺りに人も動物もいる気配がない。海にはぽつぽつある岩礁のほかに島は見えないし、森は目視できるだけでも果てが見えなかった。
『いい感じのところ』とは、こういうことだったのか。少しだけシンラコウに感謝しておこう。
ひとまず安心した。もといた世界――地球と感覚的には同じに思える。
荒廃した世紀末都市みたいなところだったら、どうしようと思っていたからね。
でも気持ちいいなあ。俺ってダイビングが唯一の趣味だったんだよね。一人でどこへでも潜りに行ったもんさ。
さすがに器材は具現化できないだろうけど、どんな魚がいるのか気になってくる。
ちょっと泳いでみようかな、なんて思うと、俺は我慢できなくなって上着を脱いでいた。
「ちょーい、ちょいちょい!何してんのさ」
モルがビックリしている。そりゃそうだろうとも。
冥界に海なんてないだろうし、俺だってこんな綺麗な海は見たことがない。脱ぎ始める意味がわからないよな。
「これは海ってやつだ。海水浴だよ。コバルトブルーの海が呼んでる」
「バカなの?ほんとに君は、なんでそんな能天気なのさ!」
「人間はな…海に心がときめくもんさ。ちょっと入ってくるだけだよ」
「そうじゃなくて!ここは君がいた世界とは違うんだよ。魔獣が出てきたらどうするのさ」
こう言われて、さすがに俺も足を止めた。魔獣とな?
「モル、お前はここがどこなのか、わかってるのか?」
「わからないよ。だから、そんな呑気なことしてる場合じゃないんだって。これからどうするか考えないと」
「それは、まあ確かに。でも、ちょっとだけだよ。頭もすっきりするし、見たところ海には魔獣なんていないよ」
モルは呆れたのか諦めたのか、砂浜に胡坐をかいた。
そう、焦りは禁物だ。確かに遭難しているようなものだけど、まずは落ち着くのが肝心だと、何かのテレビで言っていた。
「魔獣が見えるところで待ってるわけないでしょ」
さっさと行ってこい、という感じでぼやいた。それに魔獣がいてもなんとかなる気がしている。
「いざとなったら、ウォータージェイルがあるだろ。そいつで逃げるくらいはできると思うよ」
腕組みなんかして難しく考えるなよ。冗談だから。
「あのね、ダムレイ様にひっそり生きろって言われたよね?それに、海の魔獣に効果があるとは思えないけど?」
「ダムレイ?」
「一番左に座られていた方だよ」
「あいつか!あいつの名前はダムレイなんだな」
ダムレイの名によって、たちまち海への興味を削がれてしまった。もう忘れねえぞ、と心に留めておく。
上半身裸のままモルの横に腰を下ろすと、行かないの?という顔を向けて、また息をついている。
「ほんとに失礼だね、君は。とにかく君の魔法は普通じゃないんだから、見境なくぶっ放したりしないでよね」
「わかってるよ。ところで、魂審官はなんで四人なんだ?誰が一番偉いの?」
「東のカルマエギ様、西のシンラコウ様、南のアンピル様、北のダムレイ様、その四方で全方位を管轄されているんだ。誰が偉いってことはないよ」
「ほう。管轄ってことは、俺のいた地球の様子を見たりしてたのかな?」
「それは無理だよ。異世界に干渉はできないんだ。魂審官の御方だけが、書庫で記録を読むことができるんだけど、細かいことはわからないみたいだよ。ボクはカルマエギ様から教えてもらったことしか知らない」
「あの本みたいなやつな。じゃあこの世界のことも、ほとんど知らないわけか」
「残念だけど、そういうこと。だからわかったでしょ?のんびりしてる場合じゃないって」
「で…お前は監視ってことだけど、どうやって報告するんだ?」
モルはまた黙った。俺はモルが口を開くのを待つ。海がキラキラと輝いている。
「…カルマエギ様から持たされた日記帳があるんだ。それに書くと、カルマエギ様が読まれる」
なるほどね。俺は立ち上がった。差し当たってやることは決まった。
「泳ぐ。お前も水浴びしろ」
ブッっとモルが吹き出した。
「君…頭、大丈夫なの?ボクの話、聞いてた?」
「どうにもならないことは、どうにでもなっていいことってな。あの世に名曲があるんだよ。さあ、行こうぜ」
モルはやれやれといった感じで頭を振った。ようやく俺の性格を理解してくれたみたいだね。
これは大事な儀式なんだよ。水浴びで身を清めるのだ。俺とお前が真の相棒となるために。
俺はズボンを脱ぎ棄て、パンツも放り投げて海へ走った。
「来い、モル!」
背中を押してやらないとモルは動かない。そういう性格だと理解しつつある。
吹っ切れろ。そう、マントを脱いで飛び込め。
心が通じたのか、それともまんざらでもなかったのか、モルが四本足で駆けてくる。俺とモルは海へダイブした。
気持ちいいー!
「どうだね?スッキリするだろ?」
「ま、まあね!なんかモヤモヤしてたんだけど、もういいや!」
「そうだろ!俺もお前も、もう戻れないんだ。諦めろ。わはは」
モルの気持ちはわかっているつもりだ。だって、俺も同じだから。
「だよね、もう戻れないよね!ニャハハ」
モルの瞳が潤んで見えるのは、波のせいということにしておこう。
こうして、俺とモルは海でバカみたいにはしゃいだのだった。
ところが――。
「あなた、そこで何してるの?」
人の声が聞こえた。俺とモルは砂浜に目を向ける。
立っていたのは、若い女性だった。
カールしたロングヘアーのポニーテール。遠目だけど美人に見えるね。
だからこそ焦る。近づけないし、海から上がることもできない。だって、すっぽんぽんだから。
とりあえず、モルを行かすか。いや、喋る猫はまずいかもしれない。
うーん、どうしよう。モルと目配せする。モルは高速で頭を振っていた。どういう意味だ?
クッ、コンビとして絶対的に経験値が足りない。意思疎通ができぬ。
「ちょっと、聞こえてる?」
女性が業を煮やしている。仕方ない、少しだけ近づこう。
首から下を出さないように、スイーっと砂浜に近寄っていく。
モルはいつの間にか上陸していた。体をブルブル震わせて水を飛ばしながら、普通の猫を演じているようだ。
女性がモルに意識を向けているうちに、水中で正座の態勢になる。
「あなた、いったい何してるの?その猫も、なんだか普通じゃないわね」
さて、どう答えるべきかな。考えても上手い返答は思いつかないのだけど。
「海水浴ですかね」
「………」
女性はしばし固まった。やっぱり、変なこと言ったかな?
「あなた…気は確か?」
「まあ」
「ここは立入禁止の樹海なのよ。そんなところで裸になって泳ぐなんて…」
女性は眩暈でもしてきたのか、目頭に手を当てた。
とりあえず、こちらから発言することは何もないので、女性をまじまじと観察する。
薄手の長袖を羽織り、黒いズボンにパンプスという、俺とは対照的な出で立ちだ。
首から名札のようなものをぶら下げているので、仕事中なのかな。彼女も立入禁止区域にいるわけだから、普通の仕事じゃないのだろうけど。
それにしても可愛らしい人だ。年齢的には娘みたいな若さだけど、俺の見てくれも同年齢くらいなんだよね。まあこの状況からみて、お友達にはなれそうもないのだが。
「あのね、ここは魔獣の巣みたいな場所なのよ。どうやってここまで来たの?トラベラーには見えないし、ラウネの住民じゃないわよね?」
「どうやって…ですか。ラウネ?えっと、わかりません」
「あなた、本当に大丈夫?」
「ええ、大丈夫なんですが、説明が難しいというか…」
女性はついに頭を振った。
「まあ、いいから上がってきなさい。さっき森で魔獣を見かけたわ。早く避難してちょうだい」
「森…ああ、魔獣はそっちからですか」
「何言ってるのよ。早くして」
そんなこと言ったって、ねえ。立ち上がったら丸見えになるわけだし、そういう感覚はこの世界にはないのかな。
「バスタオル貸してもらえませんかね?」
「あなた、イカレてるの?魔獣が出るって言ってるじゃない。バスタオルなんて持ってないわよ。ていうか、持ってても貸すわけないでしょ。あなたみたいな怪しい人に」
もうわかったよ。転移して早々、女性に裸を見せることになろうとは夢にも思わなかったよ。
意を決して立ち上がると、さすがに女性は視線を外してくれていた。
しかし、体を拭くものがない。
「モル、モル!」
小声で相棒を呼ぶ。
「体を乾かす魔法とかないの?それか、お前の毛で拭かせてくれ」
「冗談じゃないよ!そんな魔法あるわけないでしょ」
「あのジルが使ってた火があるだろ」
「フレアジェイルのこと?ここでボクが魔法なんて使ったら、怪しまれてどうなるかわからないよ」
「むう…そうだな」
諦めよう。俺はシャツで体を拭いてパンツとズボンを履いた。シャツはびしょびしょになったが、下半身が濡れているよりマシだ。ともかく、これで落ち着いて話ができるな。
「お待たせしました。まさか、ここが立入禁止区域だったなんて思いもしなかったですよ。ほんとにシンラコウ…じゃなかった、頼りにならない案内人がいましてね。アハハ」
女性とモルが冷たい目で見つめている。
「何を言ってるのかわからないけど、あなた何者なの?ここに来られるだけでも普通じゃないわよね。それに、その子も言語を理解しているようだけど?」
女性の視線はモルに向けられていた。さっそくバレちゃったかな。
モルはオドオドしながら、知らん顔をしている。演技下手っ!もうバレバレじゃんよ。
「わかるんですか?」
「私は魔獣調査局の人間だから。言語を操る動物は珍しいわ。あなたが与えたの?」
「与えた?さあ…」
女性はフッと笑った。
「あくまでとぼける気ね。もしかして、某国のスパイか何かかしら?」
「いやいや、ちょっと待ってくださいな。本当にですね、説明が難しいんですよ。決して怪しい者じゃなくて、初心者というか…なあ」
もう言っちゃう?という視線をモルに投げかけると、モルは激しく頭を振った。
じゃあ、お前が言えよ、という視線を送り続ける。すると、モルは諦めたように息をついた。
ふむ、相棒らしくなったもんだ。やはり男は裸の付き合いが大事だな。
「ボクの名前はモル、彼の名前はベルマだよ。言葉はベルマが与えてくれんだ」
女性は目を見開いたかと思うと、フルフルと震えているようだった。
そして――。
「かわいー!」
いきなりモルを抱き上げて頬を寄せた。
「やっぱりそうなのね。モル君、話がわかるわ。私の名前はヒロコよ。よろしくね!」
どうよ?という目でモルが見てくる。なんだかとても悔しい。
それにしても、ヒロコか。いい名前だな。懐かしいというか、逆に新鮮というか。
「それでね、ヒロコ。ボクたちは本当にどこから来たかわからないんだ。どこかの研究施設にいたと思うんだけど、記憶もなくされちゃって。ボクもベルマもほとんど記憶がないんだ。たぶん、魔法で転移させられたんだと思う」
「そうだったの…」
ヒロコはモルの言葉をあっさり信用したようだ。
「だからね、ベルマは頭はよくないと思うけど、責めないでほしいんだ」
「わかったわ」
ヒロコはまたモルを抱きしめた。どうよ?という顔がとにかくムカつく。
「それにしても、記憶をね…どこの国かしら。そんな技術があるなんて」
「わかっていただけましたか」
俺が口を挟むと、ヒロコは冷たい視線を向けてきた。
「ベルマだっけ?あなた、モル君に助けられたわね。言葉を理解するまでに知能が発達するケースは珍しいのよ。とっても優秀な子じゃない。モル君がかわいそうだから、ここから出ましょう。私が案内するわ」
「ええ、それはもう。ところで、ヒロコさんはお一人ですか?」
「は?あなた誘ってるわけ?状況を考えなさいよ」
「いやいや、そんな危険なところに、どうしてあなたはお一人で…と」
「だから、魔獣調査局員って言ったじゃない。生体反応を隠蔽できる装置を持ってるのよ。言ってもわからないでしょうけど、魂液の波長を抑え込んでいるの。魔獣は私を見つけられないわ。偶然出会わない限りね。でも、あなたはそうはいかないでしょう?」
ほう、魂液の波長ね。そういう技術があるんだな。
待てよ。じゃあ俺、大丈夫じゃん。
「あの…俺、魂液ないんで大丈夫ですよ」
「バカなこと言わないで。そんな人間いないのよ。赤子でも魂液はあるの。でも、魔獣や動物は魂液を持たないわ。魂がないもの。だから、人間が襲われるのよ。魔獣が魂液を取り込んだら、とても厄介なの。疑似的な魂を形成すると考えられているわ。魔獣固有の能力が強化されてしまうのよ」
ほんとに大丈夫なんだけどな、と言いたいが、まったく信用されていないので黙っておこう。
とりあえず、頷いておく。
「じゃあ、行きましょうか」
ヒロコはモルを抱いたまま、森のほうへ向かおうとした――その時だった。
森の中から物音がした。ガサゴソという音がして、ドンと地面が響くような振動が起こる。
なんだ?と思う間もなく、祟り神みたいに、どえらい勢いで何かが飛び出してきた。巨大な化け物が!
爬虫類のような姿かたちで、全身から木の棘のような突起物が無数に突き出している。
まさに魔獣と呼ぶにふさわしい異形なのだ。身震いするほどのおぞましい咆哮を上げ、その鋭く長い牙を見せつけてくる。
うっわ!とビックリするしかない。マジにグロい感じで怖いし、噛まれたら100%死ぬ未来しか見えない。
「ハイタン!」
ヒロコが叫んだ。と同時にモルがヒロコの腕から飛び降りた。
全速力でとりあえず逃げる。
「ハイタン?」
「Aクラスの凶暴な魔獣よ!それも超デカいわ!だから言ったじゃない!」
だって俺、魂液ないよ?あんたの装置が故障してるんじゃないですかね?と言いたいが言えない俺。そんなことお構いなしに突進してくるハイタン。
やっぱ、俺に向かってきてるような…。
いや、もしかしてと思い、俺はモルを見た。
モルも気づいているようで、コクコクと頷いている。ハイタンはモルの魂液に反応しているのだ。
まあ、姿を見られたからには、俺もヒロコも襲ってくるんだろうな。
しかし、どうする?緊急避難的にウォータージェイルをぶっ放すか?
やっちゃっていい?という視線を投げかけると、モルはコクコクと頷いていた。
さすが相棒よな。出し惜しみして死んだら意味ないしね。
よーし、と思って意識を内に向けようとした時、ヒロコが立ち止まっていた。
「ヒ、ヒロコさん?」
「構わず行きなさい」
どこか落ち着いた口調だった。胸からペンダントを取り出して、青い宝石のようなものを握り締めている。
「無駄に魂液を消費しちゃうけど、やるしかなさそうね」
ヒロコは振り向いてハイタンと対峙した。
呟くように呪文を唱えると、ペンダントから光が溢れ出してくる。
そして、ヒロコの全身をオーラのように包み込んだ。




