第3話 現世のベルマ
感覚でいうと一週間くらいかな。
昼も夜もないから時間の流れがわからないし、時計もないので冥界には時間の概念がないのかもしれない。
でも、俺にはスマホがあるんだよね。先週買った最新機種だと思っていたのに、一年落ちだったのはショックだけど。
まあ、こいつがあれば正確に時を教えてくれる、ハズだったが、充電もできなければ電波も届かない。それに気づいたのが二日目あたりだった。
つまり、アイコスも使えなくなっていた。これには正直まいった。苦悶の業をじわじわと受けている感じだった。なんせやることが何もないのだから。
しかし、その先に光明が差した。三日間タバコを吸わなければやめられるというのは、本当だったらしい。マジにタバコが欲しくなくなったのだ。空気はうまいし体は軽い、食事もうまいときてる。
死んでから健康になるとはね。人生って面白いものだと思う。そう思うと気が楽だ。
考えてみれば、タバコを吸うメリットは一ミリもないし、スマホだってなければないで困ることはないのだ。
ちなみに、冥界の猫たちも食事をする。魂の道とは隔離された猫たちの生活の場があって、それが雲の下に広がっていた。さすがの俺にも見えなかったわけだ。
カルマエギの机のずっと後ろのほうに、魔法陣のような模様を描いた床があり、そこからエレベーターのように身体だけが降りていく感じだった。城も道もスケルトンのようになって、通り抜けていく感じがとても気持ちよかった。
そこは、まさに別世界だった。
雲の下にあるはずの空が、太陽の光が差しているように明るいのだ。
地球と同じように、山があり川があり、家があり畑がある。都市のようなコンクリートの建造物は見当たらないが、田舎のほのぼのした風景というか、自然の中に溶け込んで生活が営まれている感じだった。
といっても猫しかいないのだけど。
俺はモルの家に案内された。カルマエギは別室とか言っていたけど、モルに丸投げなんだな。
「仕方ないから、ボクの家に案内するよ」と、嫌そうな顔で言っていた。
だから、モルに合わせたお菓子の家みたいなのをイメージしていたのに、俺の実家よりも立派な一戸建てだった。
ヨーロッパ風の赤い屋根が可愛い。カルマエギのような巨大な猫もいるのだから、このくらいの家が必要なんだろうな。
モルは一人暮らしだと言った。もともと両親も兄弟もいないらしい。冥界では、死ねばまた猫として生まれ変わるのだそうだ。
家族という概念も、オスやメスの区別もないのかもしれない。俺の感覚では、ここも天国とは言えないな。地獄でもないけど。
食事は主に魚と野菜、果物のようだ。冥界に動物は猫しかいないので、畑の作物と、森や川の恵みに頼っているらしい。
まあ、美食なんかとは程遠いのだが、モルは料理が上手だった。
コンロのような装置はなくて、魔法陣のような模様の上でモルが肉球をかざすと、その模様が熱を発した。鍋をそこに置いて、コトコトと煮込み料理をするモルの後ろ姿は、なんとも可愛らしかった。
こうして、モルと寝食を共にするようになったわけだが、いつしか、ご近所の猫たちも遊びに来るようになっていた。俺が珍しいのだろうけどね。
それからは退屈せずにすんだ。俺の魂液がゼロってことに皆して驚いていたが、アイコスを出してやると、まるで人間の子どものように目を輝かせていたのが愉快だった。
だが、おかげでもっと出せもっと出せと面倒なことになったものだから、とりあえず、魔法で遊ぼうという話で落ち着いた。
精神年齢四十五歳の男には、普通の遊び方がわからないからね。遊ぶといえば、夜のお店という世代だし。
そんなわけで、モルの家の裏庭で魔法を見せ合うことになったのだった。
モルだけは乗り気じゃなかったけど、黒猫のジルというやつが、えらく乗り気だった。
こいつが、シンラコウという魂審官付きの猫らしい。
ジルは見てろとばかりに、右手の肉球を前方にかざして何やら唱えると、空中に炎を出現させた。
敵に向かって放つような代物ではないのか、焚火ほどの炎が、ジルの肉球の先でブワっと燃え盛って消えた。
どうよ?みたいな顔をしているから、こいつも可愛い。でもなんに使うんだろうね、その魔法。
「本気を出せば、モルの家を炭にしちゃうからさ」
とかなんとか。その前に、お前の上司のシンラコウが黙っていないよ。
で、俺の番になるのだが、実際、魔法なんて使えない。というか、使っているつもりはない。アイコスとスマホを取り出せたくらいだ。
考えようによっちゃ炎よりはるかに凄い気もするけど、イメージしたものがなんでも具現化できるわけではなかった。
スマホとアイコスだけなのだ。気合いを入れてみても湯気すら出てこない。シラーっとする猫たちの反応が辛かった。
そこで考えた。たぶん、日常的に使い込んだものしか取り出せないのだろうと。
自分の愛車をイメージしてみる。中古だが外車だ。ちなみにハイオク。両手を前方に向けて、ハッと気合いを放ってみたが、出たのはお寒い空気だけだった。
フム、たぶんこういうことじゃないんだろうな。使い込んだものなんて、ほかに思いつかなかったし。
「ジル君さあ、そもそも魔法ってどうやって使ってるの?呪文みたいなやつが必要なのかな?」
ジルに問うてみる。すると、ジルは得意気な顔で教えてくれた。
「そうね、初心者には難しいかもしれないけど」
なんて前置きして。どうもモルとは相性が悪いっぽい。聞くまでもなくわかるけど。
「魔法には術式が必要なんだよ。魂液を術式で特定の現象に変換させるのさ」
「術式って?」
「現象を発現させる設計図みたいなものかな。でも、術式は魂に定着させないと意味がないんだ。術式を理解して、魂に定着するまでイメージ修行が必要だね。そのイメージに詠唱が有効だから、唱えるのが普通だね」
「なるほど。じゃあ、術式ってやつがないと魔法は使えないわけだ。どこでゲットできるのかな?」
「そりゃあ…」と何かを言いかけて、ジルは口ごもった。
「まあ、いろいろさ。オレはシンラコウ様に伝授してもらえるし」
ふと、モルがジルに視線を向けていることに気づいた。それ以上言うな的なやつだ。そういうことなら仕方ない。
「そうか。なんとなく理解できたよ。術式ねえ」
ここで俺は思う。口には出さないが、猫が理解できるくらいの術式なら、それほど大したことなかろうと。
おそらく、イメージする対象が違うのだろう。発現させるモノ自体をイメージするのではなく、自分の姿をイメージするのだ。
モノであればそれを使う自分を。自然体で空気を吸うように、体に馴染んだものだけが具現化できる、気がした。
もう一度、両手を前に出してジルの姿を自分に重ねてみる。心に語り掛けるように意識を深く向けていくと、また胸の中心が熱くなってきた。
あっ、できそう!と思って目を開けたとき、巨大な火柱が出現していた。
モルの家の屋根を超えるほどの高さの火柱が、渦を巻いて燃え盛っていたのだ。
猫たちは大人しくその火柱を眺めていた。
えっと…アレ?
なかなか大きな火が出てるけど、それほどでもない感じかな?
なんて、リアクションに困っていたが、そうではなかった。猫は固まっていたのだ。
「あ…」と、モルが我に返る。
「ちょーい、ちょいちょい!何やってんのさ!ヤバいって!早く消してよっ!」
え?やりすぎた?って状況になっていることに俺も気づく。
「おお…こいつはスゲーや」
家が燃えそうで慌てているモルとは対照的に、ジルたちは素直に感心していた。
「哲雄ってさ、なんで術式も知らねーのに、こんなことができるんだ?魂液もないのに」
ジルが炎を見ながら呟く。どことなく顔が嬉しそうに見えるのは、たぶん気のせいだろう。
「それがわかったら苦労しないよ。ところで、魔法ってどうやって消すんだい?」
「現象が発現しちゃったら消せないよ。燃え尽きるのを待つしかないかな」
「ええっ?じゃあ、コレどうすんの…」
「別に燃えても…じゃなかった、仕方ない。お前たち」
ジルがほかの猫たちに合図を送ると、合計五匹の猫が炎を囲むように陣取った。
そして、猫たちは同じ呪文を同調させてブツブツと詠唱を始めた。
「ウォータージェイル!」
ジルの発声に合わせて、猫たちは水を放出させた。それは、氾濫する川のように大きな渦となって炎を包み込んでいく。
激しい水流に飲み込まれ、一瞬のうちに炎は消えた――かに思われたが、ダメだった。
炎は小さくしぼんで消えたように見えたが、水が引いた途端、ボンっと音を立てて火柱が復活したのだ。
「………」
ジルたちは言葉を失っていた。ウッソ、みたいな顔をして固まっている。
モルが真面目にやれと文句を言っているが、耳に入っていないようだ。
仕方ない。これは自分の蒔いた種だし、後始末はきっちりしておかなくては。
俺は同じように意識を集中させて、ジルたちの姿を自分のイメージに重ねる。
「ウォータージェイル」
言葉にした瞬間、地響きとともに津波のような黒い水が地を割って溢れ出してきて、炎を一瞬のうちに流してしまった。
その後、長い沈黙が流れた。
ええっと、俺って一体?
そんな思いを内に秘め、ただ大惨事になったモルの庭と畑を眺めていた。
その沈黙を破ったのは、天の声だった。
「お前たち、何を遊んでおる」
どこからともなく聞こえる声だった。たぶん雲の上から。なんか全館放送みたいで面白い。
「あっ…シンラコウ様!」
ジルが慌ててかしこまる。
「余部哲雄よ、聞こえておるな?お主の審議が終わった。結果を伝えるゆえ、モルを連れて幽審殿まで来るがよい」
「ハッ」と、モルが返事をした。
「幽審殿?」
シンラコウは答えなかった。もう通話が切れていた感じだ。一方的だな、オイ。
「法廷…みたいなところかな。たぶん、ここでお別れだよ」
ジルが少し悲しそうに答えてくれた。
「そうか。じゃあ死刑になったら、また会いに来るよ」
そう言って笑うと、ジルはニャハハと笑った。
いい別れだな。こんな気持ちのいい別れなんて人生であっただろうか。
俺は猫たちに手を振って、モルと判決の地へと向かうことになった。
歩いて数分の教会のような建物の中に、城へ通じる魔法陣が描かれた床がある。
「もし、ボクの家のどこかが燃えてたり水浸しになってたら、責任とってもらうからね」
道中にモルが何か言っていたが、気分が台無しなので無視しておいた。
その魔法陣エレベーターによって、再び天上の城に到達する。
モルのあとに続いて見慣れない通路を進んでいくと、聖堂のような建物にたどり着いた。
モルが魔法で何かしているのかもしれないけど、いきなり出てくる建物とか、この城の構造のほうがよっぽど凄いよな、と思ってしまう。
しかし、そんな思考を打ち破って、モルは躊躇なく扉に肉球をかざして開けてしまった。
いやいや、深呼吸するとか、さあ行こう!の掛け声とかやらないの?って感じでちょっと残念だった。
そもそも、モルはまだ俺を信用していない。必要最低限のことしか言わないし、冗談を言うこともなかった。
だから、ここへ俺を連れてきてお役御免だろうし、やれやれという気分に違いないと思う。
俺としても、死刑なんて言われたら、ウォータージェイルをぶっ放すつもりだしね。モルには共犯になってほしくない。
心の中でありがとうと言っておく。とりあえず、判決を聞くとしますか。
扉の向こうは、神秘的な空間が広がっていた。
床にある井戸のような円形の輪の中で、光がボコボコと湧き上がっていた。無数の魂たちが寄り集まって戯れているようにも見える。
その井戸の向こうで、四体の巨大な猫が机を並べていた。
全員フードを被っているので判別はできないが、カルマエギは右端の猫のような気がする。
彼らの対面に二脚の椅子が置いてあった。
「かけたまえ」
右端の猫が言った。やっぱりカルマエギさんだった。軽く頭を下げて着席する。
モルは立っていたが、カルマエギに促されて並んで着席することになった。
「どうだね、体調は?」
ああ、そのパターンですか、とすぐに察知する。
死んだ人間に言うセリフじゃないよね。でも、重要なのはそこじゃない。
こういう入り方をしてくる面談は、決まってヤバい宣告をされるものだ。ここでビビったら負けだ。
「絶好調ですよ。いまならウォータージェイルを全力でぶっ放せますね」
わはは、と笑ってやると、モルが怒りに満ちた顔でパンチを繰り出してきた。
「ふむ…やはり魂液は無のようだな」
カルマエギの隣の猫が言った。
「そうであろう?なぜ魔法が使えるのか、それは冥界の理を根底から覆す事実やもしれぬ。シンラコウよ、もはや議論の余地はあるまいて」
「ふむ…」
カルマエギに言われて、シンラコウは黙った。アンタら、困ったら『ふむ』しか言わないよね。
「この世の秩序を守る我ら冥界の魂審官にも知らされざる真理があるのか、それともただのバグなのか…やはり様子を見るほかなかろう」
シンラコウの左隣の猫が言った。
「ふむ…そのようだな」
さらに一番左の猫も同調する。よく一週間も議論できたよね、これで。えっらい時間かかるはずだよ。
まあなんにせよ、始末される雰囲気ではなさそうで安心した。こうなると黙って待つのが吉だ。
「というわけだ、余部哲雄よ」
カルマエギが厳かに言う。どういうわけだよ、とツッコミたいが自重する。
「お主が異質であることは理解しておるだろう。魂液の謎は我らにもわからぬ。ゆえに、お主を第二層に戻すわけにはいかぬ。ウォータージェイルなんぞ使われたら、かなわんからな。そこで、特例としてお主を第一層世界に送り込むこととする。転生ではなく、そのままの状態でな」
「おお!マジですか!さすがに、もとの世界に戻るのはどうかと思ってたんですよ。ありがとうございます」
いやー楽しみだなあ、と言いかけて、さらに被された。
「ただし、お主を自由にさせるわけにはいかぬ。モルを監視につけるゆえ、好き放題はできぬぞ」
えっと、モル?監視ってことは…視線をモルに向ける。
うつむき加減に黙って聞いていたモルだったが、静かに前足で額の辺りをさすっていた。
「え?監視…って、まさか…」
「左様。お前は余部哲雄と基軸世界へ行け。余部哲雄の状態を監視し、何かあれば報告するのだ」
シンラコウが有無を言わさぬ感じで告げた。
「仕事の代役は、ジルたちに任せておけばよい」
フードの奥で薄っすらと笑っているようにも見える。それを感じ取ったのか、モルは歯ぎしりしていた。
「まあ、そういうことになったのだよ、モル。きっと楽しいからがんばってくれ」
あ、匙投げたなカルマエギ。どう見てもシンラコウのほうが上手だもんね。
モルは俺を見上げて息をついた。そんな嫌そうな顔するなって。きっと楽しいから。
「わ…わかりました。この者に付き添い、行動を監視いたしましょう」
「ふむ、ではお主たちを現世へ転送する。心の準備はよいな?」
早っ!そんなあっさり転送って、なんか嫌われてるみたいだよ。
「大王様たち、ちょっと聞きたいことが…」
「申せ」
シンラコウが偉そうに答えた。
「このまま転送って言われましたけど、その世界で俺は戸籍とかありませんよね?どうやって社会に溶け込むんです?」
「あ…えっと、それは…大丈夫だ。いい感じのところに送り込もう」
「は?」
沈黙が流れた。シンラコウの喉がゴロゴロ鳴っていた。
もう絶対アンタらを信用しないよ。なんだよ、いい感じのところって。
「改名せよ。余部哲雄では印象に残り過ぎる。もっとあっさりした名前でひっそりと生きたらよい」
一番左の猫が言った。
ふざけんなよ、お前!と喉まで出かかった声を飲み込む。
「わかりましたよ。じゃあ、子どもの頃のあだ名でどうですか?余部を逆さ読みして『ベルマ』です。今日からベルマとして、ひっそり生きていきますよ」
「ふむ…よいではないか」
もう黙れ、お前。名前も知らないけど、一生忘れねえからな。
「よし。ではベルマ、そしてモルよ。新しい世界で生きるがいい」
カルマエギがそう告げると、四匹の猫は立ち上がって、両の肉球を一斉に俺たちに向けた。
ブツブツと呪文を唱え、一斉に唱和する。
「「「層界転移」」」
その瞬間、視界が揺らぎ、井戸から溢れ出した眩い光に包まれた。
こうして俺は、ベルマとしてモルとともに本当の現実世界へと転移したのだった。




