第9話 ”老大佐”というあだ名
それから数日後の晩、俺とセスはそれぞれマルガレーテとアシュトン嬢を伴って劇場に来ていた。例のマルガレーテの迷子事件のときに巡回の当番を代わってもらった埋め合わせに、彼らを観劇会のボックス席へ招待したのだった。
セスから埋め合わせは観劇がいいと言われた時には驚いた。てっきり上等の飯を奢れと言われるか、実家の店で取り扱っている小物でも求められるかと思ったのに。
幕間に俺とセスは女性陣をボックス席に残して、ロビーのバーでシャンパンと軽食の調達に訪れていた。
「アシュトン嬢がこの劇を見たがっていてね。我が家は旧家だからコネはあるけど金はないんだよ。いやあ、持つべきは金持ちの友人だな」
セスは悪びれもせずに笑顔で言ってのけた。
「……お役に立ててよかったよ」
俺はカウンターでチケットを見せると注文を済ませた。
「付けにしてくれ」
「言ってみたいね、その台詞」セスが茶化した。
「実家の接待で使うからだ。成り金だって利用される割に見下されて面倒なことがあるんだからな」
「俺は見下してないよ。むしろ見上げてる」
セスは俺の頭を見た。身長のことを言っているんだろう。セスだって十分長身だというのに。
注文が済んでボックス席へ戻りながら、ふと思い出してセスに尋ねた。
「アロイス・ライナーという元軍人を知っているか? 王国陸軍の上級曹長だったらしいんだが」
セスは何かの謎解きだと思ったらしい。
「王国陸軍? なんだって? 教本の中身なんてとうに忘れてしまったよ」
「いや、現実の人物のことだ。この間、舞踏会にいたんだ」
「舞踏会に王国陸軍の軍人? 一体何の冗談だ?」
セスの反応も無理はない。俺だって信じられなかった。今もかなり疑っている。
「セス、俺は冗談を言ってるんじゃない」
「……何がなんだかさっぱり分からないよ」セスは困惑しきって答えた。
「この間の舞踏会でマルガレーテ相手に大昔の戦争の話をする老人がいたんだ」
「それはそれは……お気の毒なことだ」
「あいつは生真面目なんだ。講義のごとく拝聴してたよ」
「眉唾ものだって教えてやれよ」
「言ったさ。疑うなんて酷いと言われる始末だ」
セスは目を丸くした。
「……今どき珍しくずいぶん純真な娘なんだな。他人を疑うことを知らないのか?」
「子どもだからな。だから俺が付き添ってるんだろ」
「なるほどねぇ……迷子といい、お前も苦労するな」
俺は返事の代わりにため息をついた。
ボックス席に戻るとマルガレーテとアシュトン嬢は楽しそうに会話していた。
仲が良いのは結構なことだ。喧嘩でもされると面倒だからな。
セスがアシュトン嬢に何やら話しかけていた。あいつは最近アシュトン嬢に熱を上げているみたいだ。どのくらい本気かは分からないが。
先ほど注文したシャンパンがボックス席に届けられたので、俺は給仕にチップを渡すとボトルからグラスに注いだ。グラスをアシュトン嬢とマルガレーテに順に差し出すと、アシュトン嬢は受け取りながら言った。
「なんだかその方、かつての”老大佐”みたいね」
「老大佐?」
「ええ、私の姉たちが社交界にデビューしたころ、『”老大佐”に気をつけろ』ってよく言われていたんですって。話が長いからダンスの時間になっても切り上げられなくて、ダンスの約束を反故にしてしまって婚期を逃したら大変だ、って。姉たちが冗談で話しているのを聞いたことがあるわ」
セスはアシュトン嬢にさっきの話をしたらしい。まさか彼女が知っているとは思いもよらなかった。
「君はその被害にあったことがあるのかい?」セスが面白がって聞いた。
アシュトン嬢は首を振った。
「ないわ。だって、私の姉たちの時の話だもの。ご存命だったのね……まさか亡霊だったりしない?」
「いや、確かに話したんです」
「ええ、間違いなく実体があったわ」マルガレーテも同意した。
「すごいわね。あなたたちは生ける歴史と会話したんだわ」
――生ける歴史、か。なかなか上手い例えだが、そんないいものではなかった。
「彼は本当に大佐なんですか?」
「どうかしら、姉たちがつけたあだ名かもしれないわ」
「エル、さっきなんて言っていたっけ、上級曹長? そんな階級、聞いたこともないな。だが、分からないままにしておいた方がロマンがあるかもしれないぞ」
「ロマン?」
俺は怪訝そうにセスを見た。
「古き良き王国時代の遺物だよ。ロマンだろ?」
シャンパンを掲げてセスは笑った。




