第10話 旧都を駆け抜ける噂
ある日の放課後、私とカタリナとルーカスは一緒に学校近くのカフェにいた。ルーカスは同じクラスの男子学生だが、姉と妹がいるからか女子の中に紛れても全然違和感がない。
時間を確認しようと、私は懐中時計を取り出した。
「それ、なあに?」カタリナが気がついて私に尋ねた。
「時計よ。この間遅くなったでしょ? あの件があってから門限ができたし、時間を確認しろって従兄がくれたの」
「ああ……”旧都の紅大尉”ね。今まで会った人の中で一番美しい男性だったわ……。立派な体格と整った顔立ち、まるで広場に立つ若き軍神の像みたいだった……」カタリナがため息を漏らした。
カタリナがエルストナーのことをそんな風に思っているなんて知らなかった。ルーカスも同様だったらしい。
「紅大尉って、あの有名な近衛将校の?」
「よく知ってるわね」ルーカスは情報通だ。試験の過去問も各種取り揃えているし、あの懇親パーティーも雰囲気が良くないらしいと聞いて参加していなかったらしい。
――そういう情報はちゃんと教えてよね。
「何か彫ってあるのね。ね、ちょっとだけ見せて、お願い」
エルストナーに憧れている様子のカタリナが熱心に頼むので、私は手の平に乗せた時計を彼女の方に向けた。
「はぁ……これをあの大尉が身につけていたのね……。これは紋章? 家紋なのかしら?」
「家紋じゃないわ。彼の部隊の紋章かも。彼の制服にこんな感じの刺繍がされていた気がするから」
「僕にも見せてよ」
向かいの席にいたルーカスが手を伸ばしてきた。彼にだけ見せないというのも意地悪な気がして、ためらいつつ彼に時計を手渡した。カタリナが名残惜しそうにその様子を見ていた。
ルーカスは通りかかった女店員に時計を見せた。
「これ、何か分かります?」
私は落ち着かない気分になった。
――なんでお店の人にまで見せるのよ。見せびらかしてるみたいじゃない。
「さあ、何かの紋章じゃない?」店員は気もなさそうに言った。
「そうです、ちょっとした有名人の部隊の紋章ですよ」
「ルーカスったら……止めてよ」
「マルゴのものよ」カタリナも止めたけれど、ルーカスには聞こえていないみたいだった。
「カエリム大尉ですよ、近衛騎兵の」
「紅大尉?」女店員が興味を惹かれたように近寄ってきた。
「そうです。すごいな、やっぱり皆知っているんだ」
「そりゃそうよ。騎馬で街を巡回している姿なんて思わず振り返って目で追っちゃうわよ。あなたたち、見たことないの?」
「僕たちは田舎から出てきたばかりだから……でも、この子は見ているどころじゃないんですよ」ルーカスが私を手で示した。
「ねえ、もう返してったら」
私はテーブルに身を乗り出すとルーカスから時計を取り返した。
だが、会話はそこで止まらなかった。
「見ているどころじゃない、って?」女店員が尋ねた。
「この子、”紅大尉”の従妹なんですよ」
「あら、そうなの」女店員にじろじろと足元から頭まで見られて、私はなんだか落ち着かない気分になった。
「確かに、あなたも赤毛ね」
「でしょう?」なぜかルーカスが自慢げに胸を張った。
「ねぇ、早く注文しましょうよ。私はミルクティーをお願いします」私は口早に言った。
「私も」カタリナが言った。
「待って待って、僕、まだ決めてないよ」
「じゃあ、早く決めたほうがいいんじゃない?」慌てたルーカスに私は冷淡に言った。
――なんとか誤魔化せたわ。
このとき私は旧都の噂話が、それこそ風の神が駆け抜けるがごとく広がるということを知らなかったのだ。




