第11話 託された遺書
数日後、ダイニングの窓際に椅子を寄せて小説を読んでいると、唐突にエルストナーが現れた。任務を終えた直後に立ち寄ったのか、軍服姿のままだった。
「エルストナー、そう言えば……」彼は私を遮って、硬い声音で言った。
「お前、あの時計を街中で見せびらかしたか?」
「時計? ……あ……」
私は思わず席を立って、読んでいた本をテーブルの上に伏せた。
――まさか、この間のカフェでのこと?
あの時くらいしか他の人に見られたことがない。もうエルストナーの耳に入るくらい噂になっているというのだろうか。思い当たる節のある様子の私を見て、エルストナーは憮然とした表情になった。
「時計の紋章を見せていたらしいが、俺の隊はお前の虚栄心を満たすためのくだらない見世物じゃないからな」
「そんなつもりじゃないわ。私じゃないの、カフェで時間を見ていたら友達が……私、止めようとしたんだけど……」
エルストナーは言い淀む私を静かに見つめていたが、ふいに視線を外すと小さく吐息をついた。
「事情は分かったが、気をつけろ」
「……ごめんなさい」
「もういい」
彼の声音はここへ来た当初より穏やかになっていた。
気まずい沈黙の後、彼が尋ねた。
「学校生活はどうだ?」
「……ちゃんと勉強してるわ。友達もできて、楽しく過ごしてる」
注意されたばかりだというのに、いかにも浮かれて友達に時計を見せびらかしたみたいな返事をしてしまった。
”そうだろうな”と冷たく言われるかと思ったけれど、返ってきた言葉は意外なものだった。
「嫌味を言われたりしていないか?」
「? ……なんで? そんなことされないけど……」
「別に。それならいいんだ」
テーブルに置かれた本に彼は目を向けた。以前彼が揶揄した例の劇的な展開の小説だったから、今度こそからかわれるかと思ったが、彼はそれを端に寄せただけだった。私は本をこっそり回収しながら言いかけていた用事を彼に伝えた。
「エルストナー、数日前にあなた宛の手紙がここに届いたのよ。伯母様からあなたが来たら渡しておいてって言われていたの」
「こっちに手紙が?」彼は怪訝そうに私を見た。
「ええと……ここに置いておくって」
私は暖炉に近づくとマントルピースの上のレターホルダーに立てかけてあった手紙を彼に差し出した。エルストナーはちらりと封筒の表書きに目を落とすなり、吐き捨てるように言った。
「駄目だ、これは俺には読めない」
宛名に書かれていたのは流麗な筆跡だった。思いがけない彼の強い拒絶にちょっと驚きつつ私は同意した。
「そうね、読みづらいくらいの達筆ね」
「バルトだったら難なく読めるだろうな……兄貴はいっとき昔の家系図を読んでたから」
エルストナーは兄の名前を挙げた。
「バルト兄様は博学なのね」
「子どものときから本好きだからな。図鑑どころか、辞書を読んでることもあったな」
「……それは変わり者かも」
彼の兄弟はどちらも本が好きだが、さっきの本に対する反応といい、エルストナーはそうでもないらしい。
「お前、読めそうか? 読めるなら代わりに読んでくれ」
いつの間にか私は”君”ではなくて、”お前”と呼ばれるようになっていたが、弱みがありすぎて文句を言うこともできなかった。
「あら、差出人の住所も名前も書かれてないわ。やんごとなき方からの恋文かしら。それか果たし状とか」
エルストナーは私の軽口に呆れたように肩をすくめて椅子に腰掛けた。
手紙の封を開けると、便箋とさらに封筒が入っていた。
――封筒の中にさらに封筒?
奇妙に思ったが、まず便箋を開いた。達筆な上に文章が昔の小説みたいで、私はところどころ詰まりながら読み上げた。
『拝啓
カエリム少尉殿
(「大尉だ」とエルストナーが忌々しげに呟いた。私は「だって、そう書いてあるのよ」と弁明した)
先般の夜会では小生の意志を引き継ぎ
我が旧友の遺書の本来あるべき場所を探し求めんとする
その若き魂に感銘を覚え候。
然れば、旧友の遺書を貴殿に送付いたし候。
深甚なる謝意を捧げつつ
我が人生の終焉を迎えるに相応しき結果を待ち望み候。
敬具
王国陸軍上級曹長 アロイス・ライナー』
私は手紙から顔を上げてエルストナーを見た。彼も信じられないという表情で私のことを見つめていた。瞬きもせずにお互いに見つめ合った後、エルストナーの怒声が部屋に響いた。
「マルガレーテ! どうするんだ、一体!!」
――え、私のせいなの!?




