第12話 女優のサロン
久しぶりに一人で知り合いの女優の主催するサロンの夜会に出席した。何と言っても情報は早いし、提供される酒と食べ物は上等だ。シャンパンを手に最近の社交界の流行だの金融の噂だのを聞いていたが、しばらくすると主催者の女優が寄ってきた。
「近頃、全然顔を出してくださらなかったわね」彼女が言った。
「ああ、色々忙しかったものだから」
俺はシャンパンを近くのテーブルに置くと女優に向き直った。
「……ひょっとして、君は”老大佐”を知っているか?」
いきなり本題に入った俺に、彼女は大げさに目をくるりと回してみせた。
「”老大佐”?」
「舞踏会とか夜会に出没して、王国時代の軍人を名乗っては昔話をする老人だよ」
「……ライナーさんかしら」
「そう、それだ」
さすがだな。どんな情報でも一通り揃えてるんだな。
「あの方なら確か、亡くなったわよ」
予期せぬ答えに俺は一瞬黙り込んだ。
「いつ?」
「本当につい先日よ。新聞にも載ってたんじゃないかしら」
新聞か、俺は読まないからな。
沢山並んだ細かい文字を読むのは子どもの時から苦手だ。
とにかく読むのに他人より時間がかかるし、長い綴りは読み違えるし、どこを読んでいるかも見失うことさえあるのだ。
「君は親しかったのか? そのライナー上級曹長と」
「いえ、私は直接お会いしたことはないのよ。あなた、上級曹長って言った? そういう階級も知らなかったわ……ライナーさんのことがどうかしたの?」
「以前、舞踏会で会ったんだ」
彼女は先を促すような眼差しを向けた。
「頼み事をされたんだ。その返答をしようと思っていたんだが……」
「亡くなってしまったということなのね。でも相手方がこの世にもういないんですもの、亡霊との約束なんて反故になるんじゃなくって?」
「まあ、そうだろうな」普通なら、と俺は胸中で付け加えた。
「孤独な老兵に乾杯ね。今ごろ、天国でかつての戦友と再会して思い出話をしているのかしら」
彼女は笑ってシャンパンを掲げると飲んだ。あまり知らぬ相手とは言え孤独な老人の最期を笑う気にはなれず、俺は自分のシャンパンを手に取ると静かに口をつけた。
「現世に生きている私たちに話を戻しましょうよ。……あなたは最近可愛らしいお嬢さんと舞踏会に出席しているそうじゃない?」
彼女のシャンパンのグラスには口紅の跡が付いていた。舞台では映えるだろうが、近くで見ると化粧が濃すぎるように感じた。
そんなことを考えていたので、つい返事がおざなりになった。
「ああ、そうだな……」
彼女はどこか挑発するような顔つきで顎を上げた。その表情は演技っぽくなくて嫌いじゃなかった。
「……『色々忙しかった』というのは、それでなの? そのお嬢さんとの恋の鞘当てで忙しくて?」
俺は内心、老大佐の死と残された遺書のことでいっぱいだった。
新聞に載っていたか誰かに確認しないと。
俺の私邸には新聞なんて取ってないから、帰りに実家に寄るか。
こんなことなら早く遺書を突っ返せばよかった。
だが、住所が書かれていなかったのだ。
――彼女は今なんて言っていた? 『恋の鞘当て』とか、何とか聞こえた気がする。
「”恋の鞘当て”? ずいぶんありきたりな表現をするんだな」
俺はからかうように微笑んで言った。
「……その噂は、本当なの?」
女優の声音が変わったことに気がついて、俺は意識を彼女に向けた。
「何の噂だって?」
「そのお嬢さんとあなたが特別な関係だって噂よ」
お嬢さん? 最近、夜に出歩く時は大抵マルガレーテに付き添わされているから、多分そのことだろうな。
「従妹のマルガレーテのことか?」
彼女は口元をピクピクさせた。今にも爆発しそうだ。警戒する一方で、これからどうなるのか、ちょっとしたスリルを感じているのも事実だった。
「名前は知らないけれど、重要なのは関係性じゃなくて?」
——すでに関係性は従妹だと言ったが……。ああ、そういうことか。
「俺が連れているというより、従妹の社交界デビューに俺が付き添っているんだ。……焼きもちを焼いているのか?」
俺は余裕を見せて笑いかけた。
「誤魔化さないで!」彼女が大きな声を上げたので、部屋の何人かがこちらを見た。




