第7話 老軍人との出会い
「お嬢さん、知っているかね。まさに六十年前この国で戦争が起きたのだよ」
ダンスが終わって伯母様のいる席に戻ろうと、部屋の壁に沿って歩いていた時、杖を支えにして椅子に
座っている老紳士に突然こう言われた。
「え?」私は思わず足を止めて老紳士に顔を向けた。
「貴族のご令嬢か、良家のお嬢さんか、それとも……」
「ただの学生ですわ」
「ああ、女学生さんか」
女学生だなんて古めかしい言い方をするその老人の胸には、これでもかと言わんばかりに勲章が沢山ついていた。
「ならば、歴史は勉強しているだろう?」
「ええ、まあ」
私の専攻は歴史じゃないんだけど。
「ほら、ここにおかけなさい」
彼は自身の隣の椅子をぽんと叩いた。
そうまでされると「嫌です」とは言えなくて、私は大人しく腰掛けた。優しそうな眼差しをした人だし、こんな公衆の面前で変なことはされないだろう。いよいよ困ったときには、エルストナーを探すふりをして席を立てばいい。
「そう、ちょうど六十年前、戦争が起きたんだよ。あの時代は総徴兵制だったんだ。私は今踊っている彼らみたいに若かった。開戦の年にちょうど二十歳だったから」
——じゃあ御年八十歳ということ? でもどうかしら、お年寄りって年を誤魔化すことが多いから。
「つけてらっしゃる勲章はその時のものですか?」
「ああ、大体はな。これは初めてもらった勲章で、こちらは長年の軍務を認められて……」
老軍人はいつ何の経緯で授与された勲章だとか、部隊証だとか、一つ一つ事細かに説明するのだった。
約束したダンスが全部済んでしまった私は、ひたすら彼の話に相槌を打っていた。
*
そろそろダンスが終わる頃だと思ってマルガレーテを探したが、姿が見えなかった。
——部屋の外に出たんじゃないだろうな。
今日の会場は社交館の二階だから、庭や温室に出られるわけではない。片っ端からバルコニーを覗いてみたが、見知らぬ若い男女が柵にもたれて話し込んでいる所に出くわしてしまった。
「失礼」
非難めいた目を男から向けられたが、俺のせいじゃない。勝手にいなくなるマルガレーテが悪いんだ。
——まさか、どこか小部屋に連れ込まれたりしてないだろうな。
椅子に腰掛けてダンスを見ている母の元へ足早に向かった。
「マルガレーテの姿が見えないのですが」
「さっきまで踊っていたのよ。あちらの壁際を歩いていたから、てっきりこちらへ戻ってくるんだと思ったのに……部屋の外には出てないと思うんだけど」
俺はため息をついて辺りを見回した。
――本当に目の離せない子どもだな。
母に言われた壁沿いへ慎重に目を走らせると、踊る人々の隙間から椅子に座って何か話しているマルガレーテがちらりと見えた。
「ああ、いましたよ。全く、心配をかけて。……座って誰かと話しているな」
「どこ?」
「向こうの壁際、二番目の柱の近くの椅子に座っています」
「ああ、本当ね、よかったわ。でも、どなたと話しているのかしら……あら、退役軍人みたいに見えるけど? あなたのお知り合いなの?」
母の言葉に俺は目を凝らして、マルガレーテのそばに腰掛けている老人の顔を確認した。
「いや、知らない顔です」
「引退した名士、かしら?」
「ここから見ただけでは何とも言えないですね」
「誰かから紹介されたのかしら」
「どうでしょうね、母上も俺も知らないのなら、紹介されたんじゃない気がしますが」
「紹介もされていない人と話したりしないほうが良いのだけど」気遣わしげに母が言った。
俺は肩をすくめて言った。
「行って、様子を見てきますよ」
「エル、お願いね」
「失礼いたします」
踵を鳴らして俺は老人に声をかけた。
「共和国近衛騎兵連隊の大尉、カエリムです」
老人の胸の勲章は軍に関連したものに見えるが、現行とは大分違った。外国のものか、もしくは相当古いものか。
「こちらは私の従妹でして。マルガレーテ、紹介してくれるか?」
マルガレーテは俺の顔と老人の顔を交互に見た。そして、困惑した表情で再び俺の顔を見つめた。
――おいおい、名前も知らずに話していたのか?
俺は内心呆れ返ったが、顔には出さなかった。
老人は杖に力を込めてよろよろと立ち上がると、背筋を伸ばして俺に手を差し出した。
「私は王国陸軍第十一歩兵連隊、上級曹長のアロイス・ライナーだ」




