第3話 社交界デビューの夜
エルストナーに送ってもらった夜は伯母様にこってり絞られた。付き添いのないパーティーへの参加は禁止され、門限が設けられた。あんなパーティーはもうこりごりだったし、伯母様が私を心配してのことだとよく分かっていたから、私は粛々とその罰を受け入れた。
翌日の朝食の席で、まだ眠気の取れない私に伯母様は言った。
「マルゴ、昨夜の騒ぎで伝えそこねていたけれど、あなたが旧都の社交界へデビューする日が決まったわ。十日後の軍主催の舞踏会よ」
「デビュー、ですか?」
「やだわ、マルゴったら。うちの子たちは皆デビューしているんだから、あなたも、もちろんそうするのよ。ああ、楽しみだわ。身内の贔屓目を抜きにしても、あなたは本当に可愛らしくて魅力があって、着飾り甲斐があるもの。今年の社交界の花はあなたに間違いなしよ」
――褒めてもらえるのは嬉しいけれど、ちょっと大げさじゃないかしら。
「衣装は我がカエリム家の総力を挙げて、あなたの瑞々しい愛らしさをより一層輝かせるものを仕立てますからね。社交界で有名人のエルが付き添うし、あなたは鳴り物入りでデビューするのよ」
伯母様はそう言うと高笑いをあげた。
――すごく優しくて良い方なのに、まるで悪役みたいになっちゃってるわ……。
社交界デビューの夜、私は最新流行のドレスを着てエルストナーに付き添われていた。エルストナーは金の刺繍がされた深緑の軍服を着ていて、胸にはなにかの勲章が付いていた。驚いたことに彼は帯剣までしていた。
「それ本物よね? 剣を腰に下げたまま踊るの?」
私が馬車の中でそう聞くと、エルストナーは少し目を見開いて私を見た後、自身の腰元の剣へ視線を移した。
「まさか。剣は会館に着いたら預けるよ」
「それで決闘なんてしないわよね?」
彼は眉をかすかに歪めると苦笑した。
「血なまぐさい決闘を見たいのなら、残念ながら今夜は期待外れだろうな。ただ友好的に踊って会話を楽しむだけだ。……最近流行しているとかいう、過激な展開の本の読みすぎなんじゃないか?」
その言葉に私は思わず赤面した。旧都では若者の生き死にを劇的に描いた小説が大流行している。もれなく私も読者の一人だった。
従兄とは言え、十も年齢の離れた彼とは旧都に来るまでほとんど面識がなかった。私は子どもっぽい従妹と思われないように姿勢を正した。……あんな騒ぎを起こした後では手遅れかもしれないけれど。
舞踏会の会場である連隊会館は見事な石造りの建物で、続々と馬車が到着しては立派な軍服姿の男性と着飾った女性たちが降り立っていた。会場も参加者たちも、私の想像よりずっときらびやかで豪華だった。
――都会はやっぱりこうでないと。あんなパブには、金輪際行きたくない。
エルストナーが先に降り立って私に手を貸してくれた。
私が馬車から降りると、周囲から集中砲火のごとく視線が浴びせられるのを感じた。感嘆のため息のような声さえも漏れた。落ち着きなく周囲に目を彷徨わせると、その視線は私というより隣の人物に注がれていることに気がついた。
私は傍らのエルストナーを見上げた。確かに彼はすごく見栄えがした。それは目立つ赤毛のせいだけではなかった。
真っ直ぐな鼻筋、下顎のラインは直線的でありながらゴツゴツした感じがなく、しっかりとした首までなめらかに繋がっている。全てのパーツがバランス良く整っていて、男性的な美しさがあった。気だるげに目を伏せ気味にした横顔はどこか妖しげな色香さえ漂わせていた。
私は彼の横でお仕着せを着せられた子どもみたいになっているんじゃないかと、落ち着かない気持ちになった。ホールへ続くポーチの階段を登って軍人たちの前を通り過ぎた時、「綺麗な子だね」という声が聞こえた。
――私のこと? ちょうど私が通ったときに聞こえた気がしたけど。勘違いだと恥ずかしいし。
知っている人は誰もいないのに、目の合う人が多い気がした。エルストナーは周囲の視線に全然気がついていないみたいだった。
ホールに入った所で従僕に剣を預けながらエルストナーが言った。
「評価は上々ってところか、よかったな」
「?」
「君のだよ。『綺麗な子』って言われたのが聞こえただろう? まさか、あれほどあけすけな称賛の目に気が付かなかったなんて言わないよな?」
「ああ、あれ……」
――やっぱり私のことだったんだ。そうなんだ……。
今更ながら、不慣れな称賛に胸が早鐘を打った。
「聞き慣れていて新鮮味がないか?」口の片端を上げてエルストナーがからかうように言った。
「そんなことないわ。嬉しいけれど、それよりもびっくりしてしまって」
「デビューはそんなものか、じきに慣れるよ」
エルストナーみたいに人の視線を集めても平然としているなんて、私には何年かかっても到底できない気がした。
眩しいほどのシャンデリアと驚くほど厚みのある絨毯。舞踏室の壁は鏡張りになっていて、余計に人が大勢いるように錯覚した。
「エル」
背後から男性の声がした。先日のベルンハート中尉だった。彼は艶のあるミルクティー色の美しい髪をした若い女性を伴っていた。
「セスも来ていたのか。アシュトン嬢、お久しぶりです」
「今夜のお連れは……ああ、先日お会いしましたね。マルガレーテ嬢、明るい所では一段と麗しいですね」
前回会った時は薄暗かったし慌ただしくて気が付かなかったが、ベルンハート中尉は高い鼻と横に長い目をした爽やかな容貌の青年だった。彼はエルストナーと同じような軍服を着ていたが、縁飾りの色や勲章がエルストナーのものと若干異なっているのだった。
「これがマルガレーテのデビューなんだ」
「ねえ、私だけ蚊帳の外みたいだわ。まず紹介してくださらないこと?」
ベルンハート中尉の連れの女性が柔らかな笑顔で言った。
「そう言えばお互いに自己紹介がまだでしたね」ベルンハート中尉は目を細めて笑った。目が線みたいになって不思議と魅力のある笑顔だった。
「ハルマン嬢、セス・ベルンハートと申します。共和国近衛騎兵の中尉をしております。あなたの従兄のエルにはよくいじめられているんですよ」
エルストナーが呆れて目を天井に向ける様子から、ベルンハート中尉はいつもこの調子らしい。
続いて、中尉はエスコートしている女性を愛嬌たっぷりに紹介した。
「こちらはプリシラ・アシュトン嬢です。男爵のお嬢様で、私のようなただ古いだけの家の次男坊が付き添えるのは極めて幸運なのです」
「ベルンハート中尉、変な冗談はやめて」
アシュトン嬢が優しく微笑んで彼を嗜めた。中尉は丁寧に目礼をしてそれに応えた。
「アシュトン嬢、セス。こちらは私の従妹のマルガレーテ・ハルマン。まだ旧都に慣れていないからよく見てやってほしい」エルストナーの言葉に合わせて、私は膝を折ってお辞儀した。
中尉とアシュトン嬢はそれを好ましげに受けると、それぞれ会釈とお辞儀を返した。
「お前自身の紹介がまだだぞ、エル。従妹殿に見本を見せなくちゃ」
中尉はいたずらっぽく言った。アシュトン嬢も笑顔で頷いて同意を示した。
エルストナーは眉を上げたが、大人しく従った。
「……エルストナー・カエリムと申します。近衛騎兵第三連隊大尉、年齢はもうじき二十八、独身。趣味は鍛錬と水泳、嫌いなことは美術鑑賞と根拠のない悪口」
——根拠のある悪口はいいのかしら。
「ずいぶんと赤裸々に暴露したな」中尉が歯を見せて快活に笑った。
「これは悪い例ね。ハルマン嬢、真似しちゃ駄目よ」アシュトン嬢が小さく首を振りながら私に言った。
「やるなら徹底的にやった方がいい」エルストナーは平然としていた。
「じゃあ、紹介も終わったことだし、私たちだけで話しても構わないわね」
アシュトン嬢は中尉から離れて私の腕を優しく取ると、「あちらに素敵なお菓子が用意されているのよ、一緒に行きましょう」と案内してくれた。
「デビューは緊張するわよね」
「ええ。それに私は田舎にいたものですから、こんなに人が沢山いる所には慣れていなくて」
「まあ、そうなの。こんなに可愛らしいお嬢さんが田舎にいたのではもったいないわね」
私は彼女の褒め言葉を素直に受け入れていいのか分からず、曖昧な笑顔を浮かべた。
「あら、あの”紅大尉”の横にいて霞まないなんてすごいことよ。大抵、彼の引き立て役になってしまうんだから」
――エルストナーは本当に社交界で”紅大尉”って呼ばれているのね。
「あなたの最初のダンスはきっとカエリム大尉と踊るわね。セスも素敵よ。大尉には敵わないかもしれないけれど彼も社交界の花形の騎兵だし。……それに、とてもいい人なのよ」
「ええ、とても素敵な方だと思いますわ」私は彼女に合わせて褒めた。
「あらそう?」彼女は私の瞳を覗き込んだ。
――彼女自身がベルンハート中尉のことを素敵だと言ったのに、なんで私が同意したら意外そうにされるんだろう?
アシュトン嬢は小さな玩具みたいな色とりどりのお菓子を前にして目をきらきらさせると、ユーモアを交えて言った。
「さあ、ダンスの前の腹ごしらえってところね」




