第2話 燃ゆる赤毛の大尉
エルストナーが拍子抜けして言った。
「『帰れなくなった』……?」
衛兵達の視線を集めていることに気がついたエルストナーは、私の腕を引いて詰め所の外に連れ出した。カタリナと先ほどの将校も後を付いてきた。
「どうしてこんな時間にここへ来たんだ? 家から来たのか? 母はどうした? 『帰れなくなった』というのはどういうことだ?」
エルストナーは立て続けに質問した。
「学校の懇親パーティーが下町のパブであったんだけど、帰ろうとしたら外は暗くて……浮浪者はいるし迷子になるしで、家に帰れなくなってしまって」
そこまで言った所で、私たちの様子を見ていた将校が盛大に吹き出した。私が視線を向けると彼は目を逸らして口元を手で隠した。エルストナーは呆れたのか、天を仰いで赤毛の髪を掻き上げた。
「アンナ伯母様にはパーティーに参加することは伝えてあるけど、今何時なのかさえも私たちは分からないのよ」
「……」
額に手を当ててため息を漏らしたエルストナーの肩を将校が慰めるように叩いた。
カタリナは半ば口を開けて呆然とエルストナーに見入っていた。
「エル、本当にお前の従妹なんだな」
「……残念ながらな」
――残念ながら、って何よ。
「最初はまたお前の付きまといかと思ったんだ。でも、お前と似た赤毛だし。それに、二枚貝のことを言っていたから」
エルストナーの動きがぴたりと止まって将校を見ると、次に責めるように私を見据えた。
「……マルガレーテ、セスに一体何を言ったんだ?」
「従妹だと証明するために、家族構成と食べ物の好き嫌いを言っていたよ。お前の好物がチーズケーキだとは知らなかったな」
私より早く、セスと呼ばれた将校が答えるとくっくっと笑った。
エルストナーは苦々しげに口の片端を歪めた。
「君が帰れなかろうが何だろうが、俺はまだ任務があるんだ」
「いつ終わるの? 待ってるから、私たちと一緒に帰ってくれない?」
今度こそ遠慮なくセスが声を立てて笑った。顔を背けて肩を震わせている。対するエルストナーは目を伏せ気味にして、なにかを堪えるように唇を噛んだ。私は憮然とした表情でセスを見た。それに気がついた彼は真剣な顔を取り繕おうとしたようだった。
「いや、笑ったりして失敬。……エル、実は俺はこれから市街の巡回に出るところだったんだ。でも、お前がどうしてもと言うのなら今夜の当番を代わってやっても良いよ」
「セス、お前まで……」
「ここでずっと待たれる方がいいのか?」セスは私を手のひらで示した。
エルストナーは広い肩を落とすと盛大にため息をついた。
「……少し待っていろ、馬を準備してくるから。セス、巡回のペアは誰だ?」
「ザイデルだ。あいつはもう厩舎にいるだろう。お嬢さん方は俺が見ていてやるから馬を連れて来いよ」
エルストナーはセスに小さく頷くと私たちに背を向けて歩き去った。
彼の姿が闇に見えなくなると、セスが言った。
「ハルマン嬢でしたね、君はいつから旧都にいるんですか? 迷子になるということは、ここの生まれではないんでしょう?」
「一月ほど前です」
「その前は?」
私は田舎の名前を告げた。セスは納得したように眉を上げて「ああ……道理で」と頷くと、私のそばにぴったりとくっついているカタリナに目を向けた。
「そちらの方もエルの従妹なんですか?」
カタリナがかろうじて聞き取れる小さな声で答えた。
「いいえ、違います。マルゴの従兄のお顔どころか、お名前も知りませんでした」
セスは意外そうな声を上げた。
「おや、”旧都の紅大尉”をご存じない?」
――紅大尉? もしかして、エルストナーのこと?
カタリナが戸惑って私を見た。私は「さあ?」と首を傾げた。
私たちの様子を見たセスは顎を撫でながら呟いた。
「驚いたな、本当に何も知らないらしい」
私がセスに尋ねようとしたとき、複数の蹄の音がして馬に乗ったエルストナーともう一人の軍人が炭のような闇からぬっと現れた。エルストナーが私を見下ろして言った。
「マルガレーテ、馬に乗せることは出来ないから我慢して歩くんだな」
「……もちろん分かってるわ」
後ろに続いていたエルストナーの部下と思しき若い軍人は、控えめではあるが興味を引かれたように私たちを見ていた。
「エル、交代した俺は何をすればいい?」セスが尋ねた。
「俺は休憩時間だった。寝るなりなんなり好きにしていいぞ」
「了解」
「……行くぞ」
エルストナーの言葉に従って馬は歩き出した。私には彼が馬にどのように指示したのか分からなかった。騎兵隊ともなると馬さえも言葉を理解するのだろうか。
私とカタリナはエルストナーの馬の脇を歩いた。馬はまるで私たちに合わせるかのようにゆっくりとした歩調だった。鞍に付けられたサーベルや短銃がカチャカチャと音を立てて、ランタンの光が踊るように揺れていた。
「マルガレーテ、ご友人はどちらにお送りすればいいんだ?」
「カタリナは旧市街の学校近くの寮に入っているの」
「ご友人を先にお送りするから、君が道案内をしろ」
「カタリナ、寮はどこ?」
「えっと……地番でもいいですか?」おずおずとカタリナがエルストナーを見上げた。
「構いませんよ」
そうエルストナーが答えるとカタリナは薄闇の中でも分かるくらい真っ赤になって、地番を伝えた。
エルストナーは何の迷いもなく道を右へ左へと進むと、あっという間に寮までたどり着いた。カタリナは見知った場所を目にした安堵でほっと息をついた。
「あの……ありがとうございました」
カタリナのお礼にエルストナーはゆったりとした目礼を返した。
「また明日ね」
「うん、じゃあね」
エルストナーはカタリナが玄関のベルを鳴らして管理人に扉を開けてもらうのを確認すると、馬の向きを変えた。
「さあ、次は君の番だ。ザイデル、悪いが新市街まで付き合ってもらうぞ」
「はっ」ザイデルと呼ばれた部下は背筋を伸ばして応えた。
沈黙を持て余した私はエルストナーに尋ねた。
「エルストナー、”紅大尉”って何?」
「……誰から聞いた」
「先ほどのセスさんよ」
「ベルンハート中尉と呼べ。……余計なことを……」
一瞬、私が余計なことをしたと怒られたのかと思ったが、彼がこう続けたので、それはベルンハート中尉に向けられた言葉だったのだと分かった。
「俺の不名誉なあだ名だよ。目立つ赤毛だから”紅大尉”だとさ」
「……不名誉ではないんじゃない?」
「俺は気に入ってない」
「私も”紅学生”って言われたら、ちょっと嫌かも……」
「ただの学生にそんなあだ名は付かないから安心しろ」彼は口の片端を上げた。
彼の不機嫌が長く続かなくて、私はほっとした。
「しかし、こんなに遅くなる前に帰るべきだったな」
「パーティー会場に時計がなかったの」
「携帯用の時計を持っていないのか?」
「ないわ」彼はやれやれといった表情で私を見た。
半刻ほど歩いて私の今の家、エルストナーの実家でもあるカエリム商会に着いた。
エルストナーは馬から降りると、手綱を部下に渡した。
「ザイデル、少しの間ヴェントスを頼む」
「はっ」
――エルストナーの馬の名前は風の神の名なのね。
彼は二階の住居への階段に通じる細道を先に進んだ。私はその後をついて行った。階段の前で彼は立ち止まると、腰につけた何かの鎖を外した。その鎖を私の頭を通しながら彼は言った。
「今後は首から下げておけ」
それは銀色に輝く懐中時計だった。時計を手に取ると、蓋に施された浮き彫りが玄関のランプの明かりを受けて影を落としていた。
人の気配に気がついた使用人が階段上の扉を開けた。
「マルガレーテ様! 奥様が大変心配されて……エルストナー様、本日はこちらにお帰りで?」
「母上に、マルガレーテが迷子になって俺の職場まで来たから送り届けたと伝えてくれ。俺はまだ任務があるから城に戻る」
「承知いたしました」
「マルガレーテ、母上にあまり心配をかけるなよ。それに明日も学校があるんだろ、寝坊するんじゃないぞ」
そう言うと彼は足早に来た道を戻っていくのだった。




