第29話 大きな機関車
翌朝早く、馬車から港町の駅に降り立つと、私はその立派な石造りの駅舎を見上げた。最新式の大きな時計を備えた塔がついていた。
大きな入口から中に入ると、忙しく荷物を運ぶ人たちや大きな声で呼びかける新聞売りがいて、何か聞き慣れない音が遠くから聞こえていた。
「入場券を買ってくるからちょっと待っていてくれ」
そう言うと、見送りに来てくれていたバルト兄様はエリーをエルストナーに預けた。片手に荷物を持ったエルストナーは反対側の腕で軽々と姪っ子を抱きかかえた。
「エリー、髪は掴まないでくれ」
「だって、おちちゃう」
「落ちないよ。俺がしっかり掴んでるから」
「エルおじちゃまが?」
エルストナーの口元が引きつった。
「……”エル兄様”、な」
私は吹き出して笑ってしまった。
「言っておくが、お前も”マルゴおばちゃま”って呼ばれることになるんだぞ」
それを聞いた私は間髪入れずに真顔でエリーに言った。
「エリー、”エル兄様”と”マルゴ姉様”よ」
バルト兄様がえびす顔で入場券を手に戻ってきた。
「私も開業時に招待されたときの一回しか乗ったことがないんだよ。今回、エリーに機関車が出発する所を見せたくてね」
「バルトは招待されたのか、さすがだな」
「物資を提供したからね。いずれ、うちの商会専用の貨車を買って広告を出したいんだ。それが新都から旧都まで走るなんて、待ちきれないくらいだよ」
「まだ旧都には繋がってないだろ?」
「もうすぐだよ、あと二年はかからない。そうしたら馬車で行くよりずっと早くなるぞ。物流だって変わる。レイの所までつながるかもな」
「あんな田舎に線路なんてこないだろ」
「分からないぞ、十年後くらいには……」
「とりあえずエリーを受け取ってくれ。髪を掴まれているんだ」
「ああ、ごめんごめん」
エリーをバルト兄様に引き渡すとエルストナーは言った。
「あと、エリーに”エル兄様”って呼ばせるようにしてくれ」
「私は”マルゴ姉さま”で」
バルト兄様は片眉を上げて「……分かった」と答えた。
彼が”おじちゃま、おばちゃま”呼びに抵抗する私たちに呆れているのは分かったけれど、これだけはどうしても譲れないのだった。
駅員にチケットを見せて内部に入ると、そこにはガラスと鉄で精密に構成された空間が広がっていた。私は天井の高さと、透けて見える青空に感嘆の声を上げた。エルストナーでさえ、驚きの表情を浮かべて天井を見上げていた。
「すごい……人間がこんなものをつくることができるなんて……」
「よく支えられるな。ガラスは割れないのか?」
「稀に割れることもあるらしいが、交換できるんだそうだ」
「とーさま、おうちのなかなのに、おそらがみえるわ」
「そうだね、ガラスの天井だからだよ」
突然シューッという音がして白い蒸気が吹き出して、私は首をすくめた。エリーが悲鳴を上げて父親にしがみついた。
大きな黒い塊に見えるものが機関車なのだった。それはずっと唸り声みたいな低い音を立てていて、近づくと石炭の匂いがした。
ストッパーを外されるのをいまかいまかと待ち構えているぜんまい仕掛けのおもちゃみたい。まるで、じっとしていられない子どもみたいだ。
――ちょっとエルストナーに似てるかも。
私は傍らのエルストナーを見上げた。彼は興味深そうに機関車の車輪や車軸のあたりを眺めていた。
「いずれ軍にも応用されるかもしれないな」
「そうだろうね。願わくば、平和的な利用に留めてもらいたいものだね」
「それは政治家にしっかりしてもらうしかないな」
「ここだ」
ずらりと連結された客車にそってホームを歩いていると、指定された席を見つけたエルストナーが扉を開いた。中は小さな部屋のようなスペースに向かい合わせにベルベットの生地が張られた座席があった。私たちは手荷物を持って乗り込んだ。
「わたしものりたい」
そう言うエリーをエルストナーが持ち上げると、座席に座らせた。
「ちょっとだけだよ。そのまま出発してしまったら大変だから」
「やだ。まだおりない」
そのとき、また蒸気の音がしたので「ほら、汽車が出てしまうよ」とバルト兄様がからかって言うと、エリーは慌てて父親へ向かって両手を広げた。エルストナーが彼女を抱えてバルト兄様に差し出した。その大事な宝物を受け取るとバルト兄様は笑顔で言った。
「じゃあ、エルとマルゴ、汽車の旅を楽しんでおいで」
*
汽車が動き出すとその大きな音にエリーは耳をふさいだ。汽車の姿が小さくなってほとんど見えなくなると、その手を外してエリーが言った。
「すごい、もうあんなにとおくにいっちゃったわ。ねえ、とーさま、こんどはわたしものれる?」
「ああ、いつかエリーも乗るよ。あれに乗ってずっと遠くまで行けるんだ」
「どこでも?」
「ああ、どこまでも。お前は私たちがまだ見たことのない世界を見るはずだ」
――自分の生まれ育った場所に囚われず、自分の居る場所を選んでくれ。世界は広いのだから。
ヴィリバルトは祈りに似た思いを胸に、エリーの額にそっと口づけた。




