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宛先のない手紙 ~私と旧都の紅大尉に託されたもの~  作者: 井ノ上 杏
第三章

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第25話 社交シーズンの終わりと決意

 社交界のシーズンは終わった。学校はもうじき長期休みに入る。呑気に社交を楽しむ気になれなかったし、ある決意を固めた私にとっては全てが好都合だった。

エルストナーと外出する機会はなくなったが、彼はたまにこちらへ顔を出して夕食を共にする。私は彼が訪れる機会を待っていた。


 ある晩、ついに彼が来た。夕食の間ずっと私はいつ切り出そうかと迷っていた。デザートが提供されて使用人たちが一度下がったところを見計らって私は口を開いた。


「私、学校の長期休みにやりたいことがあるんです」

「あら、何かしら?」伯母様が場を盛り立てるように明るく反応した。

「ちょっと行きたい所があって、休みを利用して行っても構いませんか?」

「どこへ?」


 私はある街の名前を挙げた。

その地名を聞いた伯父様が顔を上げて私をまじまじと見た。伯母様はただ驚いて「そんな遠いところへ何をしにいくの?」と尋ねた。エルストナーは私をちらりと見た後、伯父様と伯母様を目の端で確認して再びデザートに目を落とした。


「私の母に会いに行きたいんです」


 その言葉にダイニングが静まり返った。

「マルゴ……」伯母様が絞り出すように言った。

「どうやって居場所を知ったんだい?」伯父様が聞いた。

「市庁舎の登録情報をさかのぼって調べました」

エルストナーは目を伏せ気味にしてデザートをスプーンでつついていた。でも、それを口に運ぶ様子はなかった。


――皆が食べ終えてから言えばよかった。

誰か先に席を立ってしまったらと思うとつい気が急いてしまったのだった。


「この間手紙を出したら、返事が来ました。会ってくれると言っています」

「そうか……」

伯父様は椅子の背にもたれて考えていた。

伯母様は戸惑って尋ねた。

「あなたのお母様から返事が……?」

私は頷いた。伯母様が知らないのは当然だった。私はカタリナの寮の住所を借りて手紙のやり取りをしたのだった。


「マルゴ、書斎で話そうか」

伯父様は席を立つと私を促すように手のひらでダイニングの扉を示した。部屋を出た私の後に伯母様も慌ただしく続いたが、エルストナーは変わらず座ったままだった。

私は、エルストナーが何も気にせずデザートを食べ終えてくれるといいけれど、と場違いなことを考えていた。



 書斎での話し合いは平行線を辿っていた。伯父様と伯母様の懸念はこんなものだった。

まず、母がこれまで音信不通だったことから、期待するような対応はまず得られないだろうということ。会えば、恐らく父のとき同様に私が傷つくことになる。

それに、私一人でそんな遠くまで行かせられないということ。馬車で行くにも途中何泊かしなくてはならないだろう。彼らはそう言って私の考えをなんとか引き留めようとするのだった。


 大体予想していた通りの反応だった。私は無鉄砲に言っているわけでないと証明するために、汽車に乗ると説明した。一番近い駅のある街まで馬車で連れて行ってもらえたら、その後はそこから列車で新都に行く。そこを拠点に宿泊して母の住む街まで乗合馬車か辻馬車で行く。鉄道の旅なんてとても許可できないと伯母様はその案を一蹴した。


「なぜですか?」

私の冷静な問いに伯母様は虚を突かれた様子だった。

「なぜって……鉄道なんて、まだできたばかりでどんなものかも分からないのよ? 事故があったら? 途中で止まってしまったら? 何かあった時にとてもあなただけで対応できないと思うわ。それに新都には……」

「そんなこと滅多にないと思いますわ。新都にいる父に鉢合わせしたとしても、向こうは私の顔さえ知らないんですもの。そもそも人がたくさんいて、そんな奇跡的な偶然なんて万が一にも起きない気がしますわ」

「それだけじゃなく、他にも色んなことが起こりえるわよ。無茶だわ。だって、あなたは一人旅なんてしたことないじゃないの」


「一人旅じゃなければいいんですか?」


 そう答えたのは私ではなかった。私は声のした方を振り返った。いつの間に話を聞いていたのか、書斎の戸口にエルストナーが立っていた。

「エル?」

伯母様は戸惑っていた。まさか彼が私の後押しをするなんて思ってもみなかったのだろう。


「俺が付き添ってやってもいいですよ」


 彼は戸口にもたれて自分の爪先を気だるそうに弾きながら、事もなげに言った。

「エル、それは別の問題が生じるよ。世間の目があるからね」伯父様が眉を下げて首を振りながら言った。


 エルストナーは伯父様の座っている書き物机に歩み寄った。

「十も年の離れた親戚ですよ、保護者にしか見えないと思いますけどね。泊まらなきゃ何の問題もないですよね。港町にいるバルトの所に前泊して、そこから朝一番の汽車で新都に行って馬車でマルガレーテの母親のいる街へ……いや、無理か。たどり着けても日帰りで帰るのは無理だな。新都か街で一泊はしないと厳しいか……」

彼は前もって考えていたのではなく、考えながら提案しているようだった。

「そうだよ、向こうで一泊はしないと」

伯父様はエルストナーの提案を具体的に検討しているような口ぶりだった。


「部屋は別ですよ、当然」

エルストナーが眉をひそめて、迷惑そうな雰囲気さえ漂わせて言った。

「それはそうよ、当たり前じゃない」伯母様もそう言ったが、エルストナーが付き添うこと自体には反対しなかった。


 エルストナーが現れた途端、無謀だと反対されていた私の計画に現実味が帯びてきた。皆が本当にできるかもしれない、と考え始めていた。

私に父の姿を見せてくれたときから、彼の判断が一番信頼できると思っていた。エルストナーが駄目だといったら本当に駄目だろうけれど、反対されなかったらきっとできると思った。今回のことも「行けばいい」と言ってくれそうな気がしていた。自身が付き添うとまで申し出てくれるとは想像していなかったけれど。


――やっぱりエルストナーがいる時に話してよかった。


「一泊なら、まあ許容範囲じゃないですか?」エルストナーが顎に手を当て、思案して言った。

「部屋を建物の端と端にしてもらってもいいですよ。いや、意味がないか。知り合いはいないのだから誰か証人になってくれるわけじゃないし。ということは言い換えると、誰も知っている者はいないのだから周囲の目を警戒する必要はないのかもしれません」

「一泊か……」

伯父様は考え込んでいた。伯母様もどうしたものかという表情だったが止めようとはしなかった。


 エルストナーは落ち着いた声で言った。

「最も重要なのは、”マルガレーテにはその権利がある”ということです。マルガレーテが実の母に会うのを止めることなど誰にもできないですよ。手紙に返事を寄越したんだし、あの父親よりは期待できるかと。傷つくかもしれないですが……それは覚悟の上なんだろ?」

最後の言葉は私に向かって言われた。

私は目に強い意思を込めて頷いた。

エルストナーは伯父様と伯母様に向き直ると言った。


「父上と母上の心配も分かりますが、傷つかないように守ることだけが愛情ではないかと」


 伯父様も伯母様も黙っていた。

まだ許可されたわけではなかったが、気が進まないながらも彼らが私の望みを認め始めているのを肌で感じた。

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