第21話 対峙のとき
数日後、父と俺はマルガレーテの父親と、彼の宿泊している宿で会うことになった。
約束の日時に宿へ赴き父がフロントで取り次ぎを頼もうとしたとき、ロビーにマルガレーテの父親がいることに気がついた。俺は父に目で合図した。
父は義理の弟を見た。その眼差しはいつになく厳しかった。
「こちらで話しましょう」
そういって案内されたのは個室ではなく共用サロンだった。
――デリケートな話をするというのに、こんな他者の目がある場所を選ぶというのか。
父も同様に考えたのは明らかだった。
「ここはあまりふさわしくない場所のように思いますね。応接間などはお取りでないのですか?」
「いや、妻に疑われかねない行動はできないよ」
そう言うなりマルガレーテの父親は椅子にさっさと腰掛けて、俺達にも座るよう促した。
サロンの中に人はほとんどいなかった。だが、どこで聞かれているか分からないものだ。
気が進まなかったが、父は口元を引き締めて腰掛けた。俺もそれに倣った。
挨拶などせずに父は単刀直入に尋ねた。
「テオ、なぜ旧都に来たんです?」
「なぜって……観光ですよ」
「私たちがここに住んでいるのは知っていたでしょう? 私たちが後見人をしているマルゴがここにいることも」
「いや、知らなかったですよ。本当に驚きました」
俺は叔父の浅はかな言葉に思わず耳を疑った。
彼は全く悪意なさそうに付け加えた。
「分かっていたら来ていないですよ、もちろん」
「……私たちはもう何十年もここに住んでいるし、マルゴは祖父母を亡くしたのだからここにいることは必然でしょう?」
「そうなんですよね、言われてみればそうだ。でも、本当に気がついていなかったんです」
完全に姉家族のことを忘れていたのだろう。マルガレーテのことも全く気を払っていなかった。それを平然と『気がつかなかった』と表現する叔父は、小賢しいと言うより何かの感覚が欠如しているように思えた。
「先日、あなた方が参加された舞踏会にマルゴもいたんですよ」
「ええ? まさか……だってあの子はまだ子どものはずですよ、そんな年じゃないでしょう?」
「マルゴは今年十八になりますよ」
――自分の娘の年齢も覚えていないのか?
「もうそんなになるのか。いや、時の流れは早いものですね。なんだ、あの子もあそこにいたのか。ちょっと見てみたかったな。美人になったでしょうね? あの子の母親も外見はとてもきれいだったから」
――『見てみたかった』? 「会いたい」ですらないのか?
聞くに耐えない言葉の数々が朗らかと言ってもいいほどの口調で語られるので、怒りを覚えるというより訳がわからなかった。こいつは本当に同じ言語を話しているのか? 言っていることは聞こえるが、理解ができない。
「……マルゴに会いたいと?」父の声が低くなった。
「いや、会うのはちょっと難しいかな。妻には娘のことを言っていないんで」
父と俺の視線に気がついたのか、彼は弁解するように言った。
「妻は男爵夫人だからね。子どもがいると分かったら、爵位とか財産分与とかそういうものが面倒なんですよ」
マルガレーテがそんなものを要求すると思っているのか? それを警戒して、マルガレーテの存在をなかったことにしようとしたのか? そもそも調べようと思えばいくらでも調べられるし、いざ相続となったら誤魔化せる事柄ではない。後々かえって面倒なことになるというのに、こいつはこれまでの人生をその場しのぎの対応で乗り切ってきたのだろうか。
「では、マルゴに会いに来たわけではないのですね」今まで聞いたことがないくらい冷たい声音で父が尋ねた。
「だって、ここにいるのを知らないのに、会いに来るわけがないだろう?」
名ばかりの父親はいけしゃあしゃあと言い放った。
無意識に拳を握ったが、ぶん殴るためではなかった。どうしようもない虚無感を耐えるためだった。
なんて身勝手なやつなんだろう。殴る価値もない。ただただ情けなく、やるせなく思う。
まともなことを言ったところで、仮に殴りつけたところで、こいつには何も伝わらない。
こんなやつのために、マルガレーテは子ども時代を一人で過ごしたというのか?
「悪いんだけど、妻が帰って来る前に引き取ってほしいんです。こんなところを見られでもしたら大変だから」
よくもそんなことを言えるものだ。だが本人はいたって真剣で、必死な様子が滑稽なくらいだった。
――これ以上何を言っても無駄だ。耳が腐るような戯言を余分に聞かされるだけだ。
父はマルガレーテの父親を見切ったのだろう。現実的な問題の解決に取り掛かった。
「それでしたら、マルゴをこちらで正式に引き取っても構いませんね?」
「ああ、もちろん。もうそうしていたつもりだったんですよ」
「何の手続きもなく、そんなことができるはずないでしょう」
「そうなんですか? よく分からないけど、全部そちらに任せますので」
「書類を提出する必要がありますから、サインだけして下さい」
事務的に伝える父にマルガレーテの父親はやきもきした様子で言った。
「その書類はすぐに用意できます?」
「いえ、手続きが必要ですから準備でき次第、新都のご自宅へお送りします」
「それは、ちょっと……」
「……カエリム商会としてお送りしますから、奥方の目はかわせますよ」
「ああ、そういうことなら……こちらにお願いします」
やつは満足したのか微笑んで名刺を差し出した。
父は名刺を直接受け取らなかった。微動だにしない父を前にして、マルガレーテの父親は手持ち無沙汰に手を彷徨わすとテーブルに名刺を置いた。テーブルの上の名刺を手に取ると、父は厳しい口調できっぱりと言い放った。
「マルゴにあなたの姿を見せたくありません。すぐに旧都を発っていただきたい」
「すぐにと言っても、先週着いたばかりだから……」
「奥方に知られたら困るのでは?」
「それはそうだな。うん、なんとか予定を早めて発ちますよ」
父には黙ってそこにいるだけでいいと言われたが、どうしても聞かずにはいられなかった。
「あなたは……これまでに、マルガレーテを思い出したことはあったのですか?」
はじめて口を開いた俺に、やつは驚いて視線を向けた。俺が誰なのかも知らないのだろう。
「そりゃもちろん……手紙を書いたこともあるよ?」
まともな答えなど得られるはずがなかった。愛しているのか、と聞かなくてよかった。マルガレーテの父親は適当に肯定するだろう。そして本人は自身の発言を裏付けるつもりで、俺たちには真逆の事実の証明になるとしか思えない残酷なことを平然と言うだろう。
「では、私たちはこれで。見送りは結構」
「アンナとマルガレーテによろしく伝えてください。新都から彼女たちの幸せを祈ってると」
なんとも白々しい微笑みだった。
父と俺は席を立った。もはや話すことも聞きたいこともなかった。
こんなに早く面会が終わるとは思わなかった。マルガレーテの父親を問い詰めるつもりだったが、もはやそんなことは微塵も思わなかった。
あんな人間と血がつながっているなんて心底気分が悪かった。特に同じ赤毛だなんて。わずかでも共通点を持つ自分に嫌悪を感じてしまうほどだった。
帰り道、父がため息をついて言った。
「付き合わせて悪かったね。今日エルが一緒に来てくれて私は本当に救われたよ。一人だったらあまりにやるせなくて……。こんなひどい話は聞いただけでは、とても信じられないだろうからね」
「役に立ったのならよかったです」
「共に分かち合う人がいれば理不尽なことにも耐えられるのだと、今回改めて骨身に染みて思い知ったよ」
いくら信頼して心を許していても、父がこんなことに母を立ち会わせるとは思えなかった。
兄のバルトがいつもはこういう役を担っていた。だが、今回はきっと俺で良かったのだ。
兄弟のどちらにも、こんな汚れ役をやらせたくなかった。
優しい兄は憤るだろうし、マルガレーテを妹のように大事にしているレイは傷ついてしまうだろうから。
母とマルガレーテは簡単にあいつを切り捨てられないだろう。複雑に根付いてしまっているから、どうやったとしても切り離す時に彼女たちが傷ついてしまう。
俺と父にとって、それが一番恐れていることだった。




