第15話 ギオーム・ブラン少尉
昼休みの時間を狙って、エルストナーは旧官庁街にある軍の情報部の建物にやってきた。
受付で手続きをすると近衛将校の制服の効果もあってか、すんなりと目的の部屋まで通れた。彼は静かな廊下の片隅にある資料室の受付の小窓を叩いた。
「ブラン、ちょっといいか」
小窓を開けたのは細い金縁の眼鏡をかけた面長の男だった。顔色が悪くて一見ひ弱そうに見えるが、彼が見た目より丈夫で劣悪な環境にも耐えられることをエルストナーは知っていた。そして、昼食はいつも資料室の自分の机でパンをかじっていることも。
「カエリム大尉、お久しぶりです」
「同期だろ、相変わらず律儀なことだな」
「そうですが、カエリム大尉は僕より年上でしょう」
エルストナーは困惑して眉根を寄せた。
「知らん、そうなのか?」
「そうですよ。僕は同期であっても年上には敬語を使う主義ですので」
ブランは融通のきかない堅物なのか飄々としているのか、よく分からないところがある。
「妙な価値観だな。しかし、相変わらず情報は種別問わずやたらと押さえているよな」
「何が重要な情報かというのは、分からないものですから。一見無駄に見えることが思わぬ時に役立つこともあるんですよ。……それに、覚えようとするわけでもなく、覚えてしまうんですよね。忘れられないというか」
ブランはなぜ他の者はそんなに簡単に忘れてしまうのかと不思議がるように僅かに首を傾げた。
ブランの返事にエルストナーは苦笑した。
「俺の年齢みたいにどうでもいいことも忘れられないのか?」
ブランは抗議するように片手を小さく挙げた。
「誤解のないように言っておくと、カエリム大尉に個人的な興味があるわけでも、しょっちゅう思い出しているわけでもないですよ。必要になったら記憶から情報を取り出せるだけです」
「便利だな」
「ま、使い道があれば、ですけど」ブランは目を閉じて小さく首を振った。
「それで、ご用件はなんですか。わざわざ僕と世間話をしにきたわけではないですよね?」
「その記憶力を発揮して、この古い遺書の宛先を突き止められないか?」
エルストナーは一通の手紙を取り出すと、小窓越しにカウンターに置いてブランのほうに滑らせた。
ブランは訝しげにエルストナーと手紙を交互に見た。
「……なんですって? 遺書? ここは軍の情報部付属の資料室なんですが」
「古い軍人の遺書なんだ」
「軍関係のものなら何でも押し付けていいと思ってます? ……古いってどの位古いんですか?」文句を言いつつブランは手紙を取り上げるとひっくり返して裏面を見た。
「ずいぶん文字が薄れているようですけど」
「先の大戦のものらしい」
「この国の?」
「もちろん」
「六十年くらい前ってことですか?」
「恐らく」
「一体どんな経緯でそんなものを手に入れたんです?」
「手に入れたんじゃなくて、押し付けられたんだ」
「ご両親に? 親戚? 軍の恩師?」
「どれでもない。見知らぬ”老大佐”に、舞踏会で」
「……僕には縁がなくて分かりませんが、舞踏会ってのは遺書のやり取りをするような場所なんですか? てっきり踊ったり喋ったりする所かと思っていました。……それとも何かの隠語ですか?」
「隠語じゃない。言葉の通りなんだ。いくらお前でもすぐに分かるはずないか。数奇な話なんだ。最初から説明する」
経緯を聞いたブランは目を閉じて眉を上げた。彼の考えごとをするときの癖だ。
「亡くなる前の予兆、なんですかね。しかし、大尉に託すとは見る目があるというか、嗅覚が鋭いというか……」
「たまたま目に入ったんだろ」
「大尉は責任感の塊みたいな方なので、その辺に捨てたりしないでしょうからね」
「そんなことするか、後味が悪すぎるだろ……」
手紙をくるくると弄んでいたブランが言った。
「これ、未開封なんですか? 開封すればいいじゃないですか。中を見ないと分からないですよ」
「いや、ずっと開封してなかったのに、本来の持ち主の手に渡る前に俺が先に見るのは……」
「ずいぶんと感傷的ですね」目の端でエルストナーを捉えて、ブランは冷たく言った。
「……人としての尊厳だ」
「それが失われるのが戦争ですよ。そして、あなたも私も戦場ではそうなるんです」
エルストナーが口元を引き締めたのを見て、ブランは口調を和らげた。
「ま、いいですけど。大尉が読もうが読むまいが、書いた当の本人は何十年も前に亡くなっているんですから分かるはずもないですよ」
「最終手段にする」
「どうぞご自由に。手間がかかるのはあなたですから」
「部隊やおおよその出身地はその封筒に書いてあるから、記録を当たってくれ」
「僕がですか? 大尉がご自分で当時の軍人一覧で探してみては?」
「俺は字とか書類とか、そういうの駄目なんだ」
「ああ、そうでしたね。それに、大尉を資料室に入れる方が申請とか許可とか、色々面倒か。……仕方ないですね」
「今度飯でも奢る」
「後払いでいいですよ。かかった手間によって奢ってもらう内容を考えます」
「……分かった」
「じゃあ、空いた時間にやっておきますから十日くらいしたらまた来て下さい。あと、名前と部隊名はもう覚えたので、この遺書はお返しします」
エルストナーは突っ返された遺書を胸元にしまいながら眉をしかめた。
――どいつもこいつも引き取りたがらないな。




