第9話 2023年6月3日
「私は、前橋に住んでおります。」
「知っている。」
エレナは頷いた。
「東京の職を捨てて前橋に移住したのは、当時の職場での人間関係と賃金形態の変化で収入が落ちた事。そして、コロナウイルスの蔓延が追い打ちを掛け、現実逃避に群馬をS660で走っていたところ、この地域で同じように車趣味をやっている方々と繋がった事。この方々と過ごすうちに、群馬で運転の仕事をしながらこの方々と楽しく過ごしていきたいと思った時、東京の職場でケンカして辞めることに決めて、自分でバスの免許を取得したら、運良く、バス会社に拾って貰えて、移住しました。」
「ふむ。それで?」
「最初の半年は楽しかったです。初めての一人暮らしや、慣れないバスの仕事に戸惑いながらも、いろいろな方のサポートもあって、楽しく過ごせました。休みの日には、車仲間の方と遊んだり、わたらせ渓谷鐡道のトロッコ列車と追い掛けっこをしたり―。」
「それで?」
エレナはその後、何が起きたのかを早く聞こうとしているようだ。
きっと分かっているだろうに。
「2023年の4月から、ストレスが溜まる割に金にならない路線に固定されてしまい、トンネルに入りました。休みも少なく、貴重な休みの日も、仲間と休日が合わず、一人で行動するようになり、そうした中でも、わたらせ渓谷鐡道の列車と追い掛けっこをして過ごし、2023年6月に別路線に勤務することになって、休みも増え、賃金も増え、「あぁ、トンネルを抜けた」と思えたのです。そして、6月3日はいつも行く草木ドライブインで、久しぶりに、車仲間たちと会おうとしたのです。しかし―。」
私は眼を泳がせた。
話す事が怖いからだ。
「出発直前、こんな連絡が来たのです。「お前、同じ車の女の子をストーカーしただろう?そんな噂を聞いたんだよ!」と。それから「ストーカーだ!」「ストーカーが来るぞ!」「あぁー!」って。立て続けに。違うと否定したのですが、「否定するって事は肯定するって事だ!あぁあぁーーーーーっ!」って、もう話にならず―。それで、逃げ出したのです。」
「逃げ込んだ場所がSL大樹―。なぜ?」
「偶然ですね。目の前が真っ暗になって、そんな中、蒸気機関車の煙の匂いが欲しくなったのです。何故か分かりませんが―。それも、ガキの頃に何度も通った秩父のSLでもなく、群馬のSLは噂の渦中にあって何されるか分からず、かといって新潟のSLばんえつ物語号は遠く、おまけに新潟に台風が接近しており、危険と考えて、でも、とにかくSLを求めてひた走って―。走り始めた方角的に真岡鉄道に向かっていたのだと思うのですが、真岡鉄道の沿線にも噂を流す仲間がいた上、過去に真岡鉄道はSLに関してトラブルを立て続けに起こしており―。それで、栃木市の蔵の町のあたりでしょうか―。日光例幣使街道を見付け、日光例幣使街道を北へ北へ―。流れ着いた場所が、下今市駅―。SL大樹の走る場所だったのです。」
エレナは淡々と、私の話を聞いているようだった。
「続けて。でも、嫌な記憶にぶつかったら、休んで。」と言うように。
なので、私は続けて話した。
「何も見えない、霧の中を歩いているように、ただふらふらと、下今市駅の駅舎が見えた時―。短い汽笛と蒸気機関車の息遣い似たドラフト音が聞こえました。あれは確かC11‐123号機でしたか―。その時、凛と一つの道が見えたように思え、気が付くと、身体は勝手に、駅舎の中へ吸い込まれて行き、ホームに行くとそこに、蒸気機関車が牽引する列車が止まっていたのです。」
馴れ初めの話だ。
それでも、エレナは頷いている。
私は続けた。
「東武で蒸気機関車が走り始めた時は、「やれるものならやってみろ!」と、小馬鹿にしてました。と言うのも、SL大樹が走り始めた当時、同じような事例で、蒸気機関車を走らせようとして頓挫すると言うことが相次いでおり、どうせ東武鉄道も同じ事になると思っていたのです。ところが―。ボロボロにされた私は、不思議なことに、流れ着いた東武鉄道の下今市駅には、確かに蒸気機関車が居たのです。汽笛を鳴らして、SL大樹が走り始めた時、そのドラフト音と共に、私の胸が高鳴り、元気になって、つい、切符を買ってしまい―。」
ここで私は歓喜余って涙が流れ始めた。
「喪失と再生。それが2023年6月3日。車の世界を追われ、放浪して、辿り着いた場所に、幻影になって消えちまうと思った蒸気機関車が確かに存在していた。その日から、ヤマトはSL大樹の走る世界へ通い詰めるようになった。」
エレナは頷いた。
「ルナがSL大樹の走る日光鬼怒川地区へやって来て、アイルと初めて会ったのは、その経験からか。物語の中で、ルナは「地球のようなヘッドマークを見たい」とアイルに言ったが、これも何か?」
「207号機です。この時、下今市機関区に207号機が居なかったのです。207号機は、私が、ガキの頃に北海道に行った際に、生まれて初めて乗ったSL列車の先頭に立っていた機関車で、もし会えるのならば会いたいと思ったのですが、この日は南栗橋で車検を受けていて、会えなかったのです。」
「物語でルナは最初、ヘッドマークが見られないならば帰ると考えたが、アイルに案内されて、見ることが出来た。そして、それ以来、ルナはSL大樹の走る日光鬼怒川地区に通い始めた。」
「私は、207号機が南栗橋から下今市に帰って来る日を待って、通い詰めている内に、アテンダントのお姉さん、車掌さん、機関士さん、駅員さんといった方々に覚えられて―。そして、帰って来た207号機と北海道以来、15年振りに再会できたのです。」
「物語で、アイルがルナに触れようとしても、そして、ルナがアイルを探しても、互いに遭えなかった時間はそれからか。」
エレナが言うのに、私は小さく頷いた。
「では、アイルがルナと、東京天文台分室で再び会った日が7月20日とあるが、これは月詠ルナと言う、月を冠した名前から、何か予想が付く。」
エレナは呆気なく、その日が、アポロ11号による人類初の有人月面着陸と言い当てる。そして、ルナがアイルの世界を認識し、ルナがアイルと再び会ったと認識した日である9月11日が、アメリカ同時多発テロの日とも言い当てた。
栄光の日と暗い影の日。
「スペーシアクロスロード」には、この二つの日がコインの裏と表のように存在している。
物語のきっかけ、そしてSL大樹通いを始めた日。
その日もまた、栄光の日と暗い影の日。
それが現れていると私が思うのは、今、目の前に居るエレナとルナが、この部屋の中でチェスをやった場面だろうと思う。
ルナはアイルと言う驚異の中で、自らの道を探そうとエレナの部屋へ逃げ込み、エレナは自ら悪役として、黒い影となって、ルナと対峙しながら、ルナに道を指し示したのだ。




