第8話 エレナの研究室
エレナの後を歩く。
軋む廊下は、アイルから突如、「明日、結婚式だ」と告げられたルナが逃げ回った廊下だ。
一瞬、横目にアイルの自室が目に入ったので「アイルの部屋を見て良いか」とエレナに聞く。
「まぁ、少しくらいなら―。」
「私が見張っております。」
と、麗が言い、麗の見張りの元でアイルの部屋を覗く。
アイルの部屋は、横浜の旧伊藤博文金沢別邸の居間棟をイメージした物だ。
畳敷きの8畳間が二部屋と言う部屋で、手前の部屋には押入が2つ。奥の部屋には床の間と床脇がある。手前と奥の部屋の合間に襖があり、ルナが遊びに来た時には、恐らくルナは襖を閉めようとしたのだろうが、アイルに押し切られて、隣同士に布団を並べて寝たのだろう。
畳の匂いのする部屋の押し入れの中には、アイルの紅い着物や半纏や外套が入っているのだろうが、さすがにそこまで見るのは、アイルに失礼と思い、あくまで廊下から眺めるに留め、エレナの研究室に向かう。
「もう良いのですか?」
見張りの麗が意外そうな顔をして言う。
「ええ。いいのです。例えこの物語の作者であっても、入っていい場所、いけない場所とありますので。」
「そう、ですか。エレナ様は、貴方がなぜ「スペーシアクロスロード」という物語を描いたのか、物凄く興味を持っております。しっかりと、話しをしてくださいね。」
「そのつもりですよ。麗。」
私は微笑みながら、エレナに「もう良いです」と言う。やはりエレナも意外な顔をしたが、エレナは廊下を進み、逃げ回るルナが落ちた3段の階段を降り、渡り廊下を通って、蔵を改装したらしき研究室の扉を通った。
小さな二階建ての蔵で、二階部分はロフトになっており、そこには小型の倍率450倍の望遠鏡が窓の外の空を向いていた。
近くには付属品のレンズもある事から、更に倍率を上げられるのだろう。
一階部分を見ると、机の上には資料が乱雑に積まれ、そこにノートパソコンやデスクトップパソコンが並んでいる。
机の下には、小型の冷蔵庫や食器類を入れた棚がある他、通信机もあり、モールス信号が置いてある他、引き出しを開けると1933年に開発された3号自動式卓上電話機。いわゆる黒電話が入っていた。
複数あるホワイトボードには数式が描かれており、ルナはこの数式が一瞬でケプラーの方程式であると分かった。また、その隣には星座早見がかかっていた。
部屋の隅には折り畳み式の洗面台があって、これでこの部屋の食器を洗っているようだ。
「里緒菜さんもこの部屋で寝るんさ。ロフトには2つベッドがあるんだけど、里緒菜さん、寂しがり屋でいつも私を抱き枕にする。逃げようとすれば、シーツやタオルケットでクルクルと巻き上げられるか、手枷と鎖で繋がれてしまう。」
と話すエレナだが、それを嫌がっているようでは無かった。
エレナは応接用の机の向かいの椅子に腰を下ろし、里緒菜から預かった盆を机に置いて紅茶を淹れる。私はその向かいに腰を下ろした。
「このモールス信号は―」
「使えるさ。「スペーシアクロスロード」では黒電話までしか描かれていなかったね。私の元居た世界では、非常事態は起きないから備える必要なしと考えられていたが、いざと言う時に使える物は残せと言うのが、里緒菜さんの考えでね。故に、ここまで過剰になってしまった。」
そう話すエレナは、赤子の時に親に捨てられ、JAXAや国の研究機関が開発したAIL10000型人工知能によって育てられた人造人間。だが、話していると本当に、機械によって育てられた人造人間なのかと疑いたくなる。
「里緒菜さんには、私が人形としても、弟としても、ちょうど良い存在だったのさ。そして、恋人としても―。私も、里緒菜さんに人の心を与えられてから、里緒菜さんと一緒にいると安心するようになった。故に、縛り上げられていじめられても構わないさ。ところで―」
エレナが何を求めているか分かった。
なぜ、私が「スペーシアクロスロード」を描いたのかという理由だろう。
「話すと、長くなります。」
「いいさ。どうせ私が、里緒菜さんにいたぶられるだけだから。」
エレナは笑いながら言う。
もう少し、里緒菜に反抗する描写を入れるべきだっただろうかと思うほどに、エレナは里緒菜を愛していると見える。
かくいう私と来れば、私の空っぽの心や理想を、月詠ルナというキャラクターに押し付けたのだ。
「では、この写真について聞きたい。」
エレナはノートパソコンに写真を写す。それは、ルナとアイルの世界が交わるきっかけとなったとされる写真として「スペーシアクロスロード」で描かれる、SL大樹とスペーシアXが本線上で横並びになった写真だ。
「これは、実際に見た物なのか?それとも、空想上の物なのか?」
「実際に見た。」
私は言いながら、スマホで同じ写真を見せる。違うのは、物語では2023年6月3日撮影なのに対し、実際に私が見たのは2025年8月19日と言うことだ。
「おう。同じだな。この時、なんでこれが撮れたか理由は分かるか?「スペーシアクロスロード」でルナは原因不明と言っていたが―。」
「事故です。この日の「SL大樹ふたら71号」の入換作業中に蒸気機関車の―。車で言うところのサイドブレーキ?が故障してしまい、立ち往生してしまったのです。そこへ後ろから特急「スペーシアX」がやって来てこれが撮れたのです。この時、これを捉えたのは、私だけでした。そして、この写真を撮った直後、この日のSL大樹は運転中止とアナウンスされ、アテンダントのお姉さんから乗車記念証だけ貰いました。また、事故により撮影出来た物のため、SNS等に載せることは控えました。しかし、その後、別日にSL大樹に乗った際、アテンダントのお姉さんに見せて「レアな写真だ」と言う評価を得たので、事故の事は伏せつつ、SNSにちょっとだけ載せました。」
「君は随分とSL大樹に入り浸っているな。」
「はい。実は、この時、ここまでバカみたいに通い詰めていたら、その内、何かトラブルに出くわすかもと思ったのです。そしたら、本当に出くわして―。冗談でもこんな事SL大樹の関係者に言ったら殺されましたね。」
私は苦笑いを浮かべるが、子供のような見た目であるエレナの目は、冷酷非情な科学者の目になっていた。こちらの方が、エレナらしい。
「いずれにせよ、この写真が、「スペーシアクロスロード」の原典となったのか。過去の蒸気機関車と、未来を行く新鋭特急「スペーシアX」が時を越えて出会った瞬間を、君だけが見た。」
「ええ。いや、元から大正浪漫な世界の小説を書きたいとウロウロしていたのですが―。これを見て、一気に話が繋がって書き始めたのです。」
「怪我の功名。しかし気になるのが―。それなら、なぜ、ルナはこの写真が撮れた日である2025年8月19日ではなく、2023年6月3日に撮影したと言うことになっているのだ?」
当然、その話題が出て来るとは覚悟していた。
私にとって、その日は因縁の日でもあるのだ。




