第14話 次の旅路へ
翌朝。
私は6時にベッドを降りた。
普段から仕事で朝4時や5時に起きる私にとって、6時に起きたのはゆっくり起きた方。むしろ寝坊の類に入る方だ。
だが、里緒菜とエレナは既に起きているようで、隣のベッドは空っぽだった。
エレナの研究室のロフトから階下へ降りようとすると、里緒菜が研究室へ入って来た。今日は白衣を着た看護師のようにも見えたが、よく見るとバスローブだった。
「エレナと一緒に、朝風呂浴びてたのよ。」
研究室の水道で顔を洗い、寝癖を直す私に里緒菜は言う。
「エレナさんは?」
「朝食作ってる。」
里緒菜は続けて、「今日、発つのよね」と口の中で言った。
「エレナさんの言いたい事はなんとなく分かりました。未来の話の事。」
「-。どう思う?」
「「未来は明るいよ」とか「未来は笑っているよ」などと、中身も根拠もないテンプレのセリフを言われるのと違って、身に沁みました。あんな中身の無い言葉は、もう聞き飽きてます。むしろ、腹が立ちます。」
「中身の無い言葉を聞きに来たのでは無いって事は、私の目にも分かったわ。あぁ、ちょっと失礼。お着換えしてくるわ。」
里緒菜はロフトへ上がって行った。
「実際にそんな事があったと見えるね。」
ロフトから里緒菜の声。
「ええ。コロナウイルスの感染拡大時、能登半島地震の時、どいつもこいつも同じ事を言いました。私は、そんな中身のない事はどうでもいい。今この状況を何とかしろ!って怒鳴り付けました。」
「感情を抑えられず怒鳴ったり、パニックになったり、貴方は、ルナとアイルの要素が半分半分ね。」
「-。」
「もし、昨夜、あの場でエレナがそんな事を言ったら、殴り飛ばしたでしょう。貴方がエレナをではなく、私がエレナをね。」
微笑みながら、里緒菜は普段着のビジネススーツのようなえんじ色の服を着て降りて来た。
居間に行くと、白百合姉妹や霧積博士とネルラも起きて来たところだ。
この家の朝は早いらしい。
御勝手を見ると、エレナが朝食を作り終えたところだった。
里緒菜は紅茶を淹れる。
「ホットケーキだけど―。」
エレナが言う。
「朝食として最高です。」
本当の事だ。
朝、私は大量に食べると腹を下す体質であるが、ホットケーキなら食べられる。
しかし、前の職場に居た時、その体質と知らない同期の奴等に、変な芸人のネタと掛け合わされてそれをいじられて、月に一度の隔日勤務明けの集合会議の後の朝食会と言う物には一切顔を出さなくなった。
(結局、他人のせいで自分を隠して生きることになってしまう。だったら、一人孤独に生きる方がラクだ。でも、孤独はつらい。もうすぐ、「スペーシアクロスロード」の世界の栃木市と、キャラクター達とは―。)
どこか私は寂しく思いながら、パンケーキを口に運ぶ。
エレナも私の気持ちを察したと見えて、今日のこの家の仕事の話を避けているようだ。
麗が今日の話をしようとしたが、エレナは「今は―」と首を横に振った。
「あっ―。」麗が私に視線を飛ばすと、気の毒な顔になる。
妹を溺愛する鉾根も「ダメ」と冷たく言った。
朝食を終えると、もう私の出発時刻が迫っていた。
霧積博士とネルラ、白百合姉妹、そして里緒菜とエレナが見送りに出る。
後ろ髪を引かれるが、この世界の住人では無い私は、元の世界へ、孤独の中へと帰らねばならない。仮にこの旅の先でルナとアイルが待っているとしても。
そもそも、ルナとアイルが本当に待っているかも、下今市駅へ行かねば分からない。
空の色は鉛色だった。
玄関を出て、私は自分のHONDA S660へ向かう。
東京スカイツリーの高さと同じ、634ナンバーを付けた軽スポーツカーで、私と一緒に駆け抜ける相棒。
一時期、月に一度はサーキットに行っていたが、今はそんなことは出来ず、1年に2回行ければいい方だ。
F1も走った富士スピードウェイも走り、国内最高峰のレースカテゴリーであるスーパーフォーミュラや、スーパーGTのマシンとも共演した事もあるが、今やそんな怪力モンスターと共演することは無い。
共演する相手は、怪力モンスターの10分の1の速度も出ないSL大樹。
「今、連絡を取った。」
エレナの声で現実に戻る。
「二人とも待っているってさ。下今市で。」
「-。」
「いつも並走するから、アテンダントさん達から「推し活君」って呼ばれているらしいな。ならば、変に気取るな。いつものように並走してやれ。」
引き留める事も無ければ、励ますことも無いエレナ。
しかし、その視線だけはまっすぐだった。
私は一礼する。
「お世話になりました。」
「あぁ。気を付けてな。」
ふと、隣に気配を感じた。
「ヤマト―。」
柔らかい声に振り向くと、里緒菜はそっと私を抱きしめた。
「えっ―。」
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
だが、その温もりは、すぐに身体へ伝わって来る。
現実逃避に行った女の子のお店で、金で買った見ず知らずの女に抱かれた時は、何も感じなかった。
だが、里緒菜の抱擁は違った。
強くも無く、弱くも無い。
ただ、包み込むような抱擁。
「大丈夫。ヤマトは歩けている。」
その言葉に、胸の奥で何かがほどけた気がした。
「私達は、ここにいる。」
その意味は分からなかった。
私はただ、その温もりを受け止める事しか出来なかった。
やがて、里緒菜が静かに身体を離すと、鉛色の空から雪が舞い始めた。
何もなかったように、里緒菜は微笑みを浮かべている。
「いってらっしゃい。」
「-。行ってきます。」
私の声は少し震えていた。
寒さからだろうか?
もう一度だけ、エレナを見る。
エレナは何も言わない。だが、その沈黙が、私の背中を押しているようにも感じた。
私は踵を返すと、S660に乗って、イグニッションボタンを押す。
沈黙していたS07Aエンジンが目覚める。
セレクトノブをDレンジに入れると、小さく、クラクションを鳴らし、アクセルを弱く踏み、日光例幣使街道とは反対に道を出て幸来橋を渡って、巴波川の対岸から、庄屋を見る。
それはもう、あの庄屋ではなく、塚田歴史伝説館の蔵だった。
そして、栃木市の町は元の町になっている。
ルナが元の世界へ戻された時を見ている気分になった。
ミツワ通りに出て、再度、庄屋の前を通るが、あの庄屋は見えなかった。
「行かなきゃ。」
私は日光例幣使街道へとS660を向かわせる。
日光例幣使街道も大正浪漫の景色では無く、元の世界の物。
駅へ向かう学生、ビジネスマンの姿。
東武資本が入ったデパートが同居する市役所に出勤する公務員の姿。
行き交う車はS660と同世代の車。
そんな車の流れに載せて、私は日光例幣使街道を北へ向かって進む。
ちらりと、東武日光線の立体交差で南栗橋車両管区新栃木派出所を見ると、SL大樹用の茶色客車が寂しげに止まっているのが見えた。




