00
――母の機嫌がなんだか悪い。
そう気が付いたのは、家についてからのことだった。図書館の帰り道は普通だったのに。わたし、何かしたっけ? この間のテストの点数も悪くなかったし……部屋も別に、汚くないよね。クローゼットは……まあ……。
……いくら何でも、もう少し片付けた方がいいかな? 物を一杯詰め込むとしても、ちゃんとしまうのと、何も考えず上から詰め込むのでは、感じる印象も違う。
そう一度思ってしまうと、クローゼットの中がとてつもなく悲惨な光景に見えてくるから不思議だ。漫画を描いているノートを隠せて、そこが取り出しやすければいいや、と思っていたけれど、これは流石に……。
今日は日中に祖父母の家に行くと言っていた。朝、母も一緒に家を出たとき、あまり明るい雰囲気じゃなかったし、何か祖父母と揉めたのかもしれないけど、それはそれとして、眉をひそめたくなる程度にはクローゼットの中、やばいもんな。
よし、折角だし制服を着替えたら片付けるか、と意気込んでいると、ノックをされることもなく、扉が開く。
立っているのは、母だった。
「……マ、ママ……?」
不機嫌だな、というレベルではない。怒っている。腕を組んで、いらだたしげに、指を動かしている。
小指から、人差し指まで、順々に。
「――なんで、勝手に出てるの」
「え?」
出る、出るって……どこから?
――……家、から?
「な、何言ってるの、ママ。わたし、ちゃんと約束守ってるよ。さっきだって、鍵、ママが開け閉めしたでしょ?」
勝手に家から出ない。
鍵の開け閉めは母がする。いなければ父に頼む。
昔からの、我が家の、というか、わたしと、母の間に交わされたルール。
こっそり出てみたいなあ、と考えたことは一度や二度じゃない。でも、過去に一度やらかしてから、馬鹿みたいに怒られたから、もう二度とするものか、と誓った。実際、隠れて家の鍵を開け閉めしたことはない。
「出てるでしょ!」
母が金切声を上げる。思わず肩が跳ねた。
「――なんで、お母さんのいうことが聞けないの!」
ドン、と肩を強くどつかれる。母のものとは思えないくらい強い力。わたしは思わずその場にしりもちをついた。
でも、わたしにのしかかってくる人は、母だ。それ以外の誰にも見えない。
「なんで、口答えするの! お前が、お前が余計なことをするから、お母さんは――」
「ま、ママ……、くる、し……」
ギリギリと、母の手が、わたしの手に食い込む。
「余計なことを言って! それがなければ、お母さんだって、あんな目に合わなかったのに!」
余計なこと? この家が変だって話?
でも、本当に音がするんだよ。聞こえてくるんだよ。母の気を引きたい嘘じゃないんだよ。
ふ、と、一瞬、喉が緩む。今のうちに逃げようと思っても、苦しくて、すぐに起き上がれない。
目の前が、ちかちかする。
ただ、息を吸いたい。
「――、ママ?」
いつの間にか、母がロープを手に持っていた。父が、ホームセンターで買ってきたロープ。日曜大工が趣味の祖父が使うからと、代わりに買ってきて、来週末、遊びに行くときに届ける予定だった、ロープ。
「まって、ママ」
首にロープが絡む。
しまる。
「――全部、お前のせいなんだから」
最期にわたしが見たのは、憎たらしげに、わたしを見下す母の姿で。
意識も、自我も、ほとんどなくなった頃――遠くで、玄関の鍵が閉まる音が聞こえた気がした。
ご愛読ありがとうございました。
よろしければ、下記の評価【☆☆☆☆☆】から評価していただけると幸いです。




