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玄関の扉の向こう。そこには、高月くんがいるはずだ。
わたしは料理の材料を買いに行けない。かといって、家の食材を勝手に使うこともできない。少し拝借する程度ならまだしも、二人分の料理をするほどなくなっていたら、きっとすぐに気が付かれるだろう。
あの子のお腹を満たそうとしたとき。高月くんが食品を買ってきて、わたしがそれをあげるという案を、却下した。できないよ、って。
家の鍵は勝手に開けちゃいけないルールだったから。
家から出ようとすると、母はいつだって怒ってきた。「勝手なことしないで。ママのいうことを聞いて。暇なら勉強でもしていなさい」って。
小学生の頃、交通安全教室の授業があって、成程、母は勝手に外へ出て、わたしが交通事故にあうのが怖いんだな、って納得した。
同時に、ちゃんと交通ルールを守れるような大きなお姉さんになれれば、きっと母も、もう大丈夫だって安心して、自由に家を出入りさせてくれるようになるって。
でも、中学生になっても、高校生になっても、そんな日は来なかった。
「ママが開けてあげるから。勝手に外に出たら駄目よ。大体、外に出て何するの? 勉強なら家でもできるじゃない」
「高校生にもなったし、いつでも家から出られるように鍵はこのまま欲しい」って言ったとき、母はそう返してきた。流石に大学生になったら好きに家を出られるかな、それとも社会人になったら大丈夫だよね、じゃあ高校卒業したらそのまま就職しちゃおうかな。
そんなことを考えて――ついに、死んじゃった。
死んでからも、母の言いつけに縛られて、玄関扉の鍵を開けられなかった。近づいて、触れようとすることすら怖かった。
でも――でも。
「……高月くんが頑張ってくれたんだもん。わたしが、わたしだって、頑張らないと」
震える手を止めようと、わたしは手を強く握る。
終わりよければすべてよし。
最後まで諦めなかった奴が勝つ。
そう、高月くんに言い聞かせたのは、まぎれもない、わたしだ。
なら、わたしが、やらなきゃ。
ドアチェーンを外す。
鍵のサムターンに手を伸ばす。手をかける。
そして――サムターンを、回す。
たったそれだけのこと。どれだけ細かく工程をわけても、四つに収まる。
たったこれだけのことが――酷く怖い。
わたしの震えた手が、ガチャガチャとドアチェーンを揺らす。手がドアノブ付近に当たって、耳障りな音を立てる。
「――志田。僕だけしかいないよ」
扉の向こうから、高月くんの声が聞こえてくる。手が震えまくって、情けない音を出して、それが聞こえてしまったのかもしれない。
でも、高月くんの声は、酷く、優しかった。
「大丈夫」
そう言われると、わたしの脳裏にこびりついた、母の怒声が、ゆっくりと、消えていくのが分かる。
「……うん。ありがとう。今、開けるね」
手の震えが、止まった。
――わたしは、鍵を開ける。




