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そして――金曜日。
あの後、高月くんにはしっかり休んで体調を回復してもらった。少しでも万全の状態でいて欲しいし、今度こそ倒れられたら困るので。運べないし、揺さぶって起こすのもできないし、人を呼ぶことすら不可能。
両親が家を出て行ったのを確認してから、わたしはリビングの扉を開けた。
扉を開けてすぐ、子供が座り込んでいた。黒くぼやけ、輪郭があいまいな足を投げ出し、背中を壁に預けている。下半身は、陽の当たる日中だと、確かに『足』があると分かった。でも、夜だと暗さに紛れて分からない程度には、境界線が存在しない。
「――……ご飯、作ろっか」
わたしの言葉に、子供が分かりやすく反応する。バッと振り返るような素早い動きではなかったけれど、今までで、一番、滑らかな動きでわたしの方を見上げてきた。
「ぉ、あ、んん」
ご飯、と、子供が言っているような気がした。犬や猫が言ったように聞こえる、はっきりしない物言いだったけれど。
わたしが扉を思い切り開け、リビングから出られるようにすると、彼女は這いながらもリビングを出て行き、キッチンへと向かった。
この子の未練。
それは、母親に料理を作って、母親の帰りを待つこと。
この子について語る場面があるニュース記事では、全て、料理と母親が好きないい子、という評価だった。そりゃあ、被害者で死んでまでいて、ましてや同情されるべき子供なのだから、悪い子だった、なんて場面を切り取りはしないだろうけれど、それでも、全く違う評価は出てこない。
わたしからすれば、それを思いついたとき、信じられない思いで一杯だった。
だって、殺されたのに。
死んだのは、その母親のせいなのに。
死んでからも、そうやって、母親のことを想う姿は、健気というより、いっそ、気味の悪さすら感じた。
違うかも、と考えなかったわけじゃなかった。流石にそれはないだろうって。
でも――このくらいの年齢の子供にとっては、家族と学校が世界の全てだ。
今みたいにスマホがあれば、ネット世界で、自分は虐待にあっていて、親の方が間違っているのだと知れたかもしれない。
けれど、悲しいことにこの子が死んだのは十七年前。わたしが生まれる頃。今ほど、ネット環境は当たり前のライフラインになっていなかった。ない人はない。ましてや、ネグレクトのような虐待をされている子供が自由に扱えるものなんかじゃない。
だから――こんな子が、いるんだろう。
子供は、シンク下の扉を開け、それを支えに、立ち上がろうとしている。今、この瞬間だけ、子供の足は、普通の人間のように、裸足の輪郭を取り戻した。
食べるのに必要な手と口を残したんじゃない。
母親に料理を作るための手と、味見の口が、必要だったんだ。
「……材料、持って来てもらってるから。ちょっと待っててね」
わたしはそれだけを言うと、キッチンを出て、玄関へと向かった。




