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数度瞬きをすると、目がら涙がこぼれきる。少しだけ、視界が開けた。
わたしの首を絞めていた女が、いない。わたしを見下ろしていたのに。辺りを見回しても、女の幽霊の姿はなく、一旦飛びのいたというわけではなさそうだ。
何より、先ほどまであった、張り詰めた、じっとりとした空気が全くなくなっている。
女が――霧散した?
姿をなくした女の霊の代わりに、誰かの手が、伸びていた。
誰かの、というか、高月くんの手、なんだけど――。
「――う、ぇ」
高月くんがそのまま倒れこんでくる。慌てて抱きとめようとして、高月くんはそのままわたしをすり抜け、床に膝をついた。もしわたしに実体があれば、みぞおちに膝蹴りをされそうな位置である。
「だ、大丈夫!?」
わたしは乱暴に涙をぬぐい、ハイハイをするように、高月くんと重ならない位置まで移動する。さっきまで熱された油でも塗りたくられたのかと思うくらい痛みと温度があった首の熱は、すっかり引いていた。
高月くんが握りしてめている手には、お札くらいの大きさの黒い紙があった。焼かれた紙みたいにもろそうで、高月くんの手には煤のように黒い汚れがついていた。
「……ごめん」
そういって、高月くんが床に横たわる。
「な、なんで謝るの!? 助けてくれたのに――、……高月くん? 高月くん!」
高月くんの様子がおかしい。眉間にしわを寄せ、目を閉じたまま、起き上がろうとしない。幽霊にやられた? それとも、体調が限界? 死なないよね、大丈夫だよね!?
脈を測ろうと首元へ手を伸ばしても、わたしの手は彼の体をすり抜けるだけ。起こすために体を揺さぶることもできない。
これって、救急車呼んだ方がいいの? 電話は掛けられると思うけど、わたしがしゃべったところで、電話を取ってくれたオペレーターさんが霊感ある人じゃなきゃ、わたしの声が届かないんじゃない? とりあえず電話をかければ、無言でも来てくれるかな……。
さっきのリビングに固定電話あったっけ、高月くんのスマホ借りた方が早い? スマホのパスワードは? とおろおろしていると、高月くんが一言、「げんかいだ……、ねる」と目を閉じてしまった。
「……えっ!?」
高月くんは、本当に、そのまま意識を失った。呼吸は変に浅かったり、荒かったりはしない。いびきをかくような、最悪の事態にもなっていない。
ほ、本当に寝ただけ……? 体調的に限界なのは分かるけど、このまま見守る形で大丈夫?
「せめてベッドに……って、無理なんじゃん」
すり抜けてしまう体で、どうやって高月くんをベッドに持っていくのだ。仮にわたしが生者に触れたとしても、体格差的に難しいと思うけど。
わたしはしばらく、高月くんの様子を見て、彼の息が止まらないことを確認し、ようやく、深く息を吐いた。
無事に逃れたことへの安堵。
「…………、よかった」
思わずこぼした声は、酷く細く、揺れていた。




