迷える子羊
夏本番が終わり、少しだけ涼しくなったかなと感じられる朝。いつも通りに朝食を3人で済ませ、仕事に出かける凪をフィオナが笑顔で送り出す。しかし、今日の朝はいつもと違った。忙しそうに家事をこなし、凪から預かった本から少しでも手がかりを得ようと調べたりと慌ただしい生活を送っていたフィオナが、椅子に座ってテーブルの前で放心している。目が死んでいるようにも感じられるその表情からは、なんの感情も見られない。ルッカはそんなフィオナを訝しげに見つめていた。
「どうしたんだぞ?何かあったぞ?」
聞いては見たが、特に返事は帰ってこない。なんの反応もないので少し心配になったルッカが、肩を揺さぶって再度問う。
「フィオナ、どうしたんだぞ」
しばらく肩を揺さぶっていると、やっと反応が返ってきた。こちらを無表情のまま見つめ、感情の籠っていない声で一言。
「殺しなさいよ」
え、とルッカが固まった。いきなり何を言われたのか分からず、なんて返せばいいのかまったく分からない。
「自分の事ですら、何も分からないのよ。いいように言われて、何も言い返せなかったわ。このままでは、きっと凪にも迷惑をかけてしまうわ……もしかしたら、取り返しのつかない事を引き起こすかも。そうなる前に私を殺すのよ、さぁ早く殺しなさいルッカ」
爪を噛み、小さい声ながら凄い早口でまくし立てるフィオナを、どこか恐ろしいものを見るような目で見てしまうルッカ。いいように言われた、らしい。誰とは聞くまい。犯人はおそらくカルミラであろうと容易に想像がつく。
「何言われたのかわかんないぞ、でも凪が迷惑に思ったりするはずはないんだぞ」
あの優しい凪の事だ、笑って許してくれるに違いないと確信すらもてるのだが。
「凪が許すとかそういう話じゃないのよ!私が嫌なの!」
とうとうフィオナが泣き出してしまった。よく見ると、目の下にすごいクマができている。
「もしかして寝てないんだぞ?1度寝た方がいいぞ」
「寝られるわけないわ、色々考えてしまうもの……ねぇルッカ、どうしたらいいの?何も分からないのよ」
疲れてしまっているんだな、とルッカは理解した。確かに寝ろと言われても寝付けないのだろう。なので強制的に眠らせる事にした。
「げふっ!」
腰からハンマーを引き抜いて、軽くパコン!とフィオナの頭を小突いた。それだけで、綺麗に意識を失ったフィオナをルッカは担ぎ、部屋の布団へと運んで寝かせた。
「吸血鬼はタチが悪いんだぞ」
性格の悪いカルミラに文句をたれつつ、フィオナの代わりに家事をしてやろうと掃除機を掴む。その時、裾を引っ張る感触に振り向くと、イーリンがいつものようにホワイトボードを掲げていた。
『水くれ!いつもの耳長はどうした』
イーリンの頭を軽く撫で、じょうろに水を入れながら答える。
「ちょっと疲れているんだぞ。少しゆっくりさせてやるんだぞ」
そう言ってベランダに出ると、じょうろをインリーに渡す。水をやっていきながら、全てやり終えるとじょうろをルッカに手渡して自分のプランターに潜る。
「♪」
嬉しそうにしているイーリンに水をあげて、じょうろを片付ける。ふと見ると、先程水をあげたばかりのイーリンが、プランターからいなくなっていた。
ダイニングに戻り、再び掃除機を掴んで掃除を始める。普段フィオナがやっている家事を指折り数える。
「大変だぞ……」
普段任せっきりな分、頑張るかと気合いを入れて黙々と片付けていく。ルッカはもう少し、普段から家事を手伝おうと反省した。
一通り終わらせると、自室に戻る。こっちに来てすぐくらいから、ずっと作っているものがある。もう少しで完成するそれを、ラストスパートだと言わんばかりに仕上げていく。
「これで、少しでも元気になってくれたら嬉しいんだぞ」
小さく呟きながら、手を止めることなく作業を続けた。
夜、凪が帰るといつも出迎えてくれるフィオナが今日は玄関まで来なかった。
「ルッカ、フィオナは?」
「今日は疲れて寝てるんだぞ。そっとしといてやるんだぞ」
凪が心配そうにフィオナの部屋の方を見る。
「そっか、ずっと家事も頑張ってくれてるし、根詰めすぎないといいけど」
ルッカは修理した小型家電などを販売して利益を得ているが、言ってみればやりたい時に作業ができる。しかしフィオナは毎日それなりの量の家事をこなしている。稼いでいないという引け目を感じて、無理をしているのではないかと不安になる凪。
「大丈夫だぞ、すぐに元気になるんだぞ」
「ルッカがそう言うなら、大丈夫かな。一応気にはしておくよ」
凪は優しいのだ。フィオナは迷惑をかける事を心配していたが、元気な姿を見せるのが1番凪が嬉しい事だろうとルッカは思う。早く立ち直ってくれるように、今日は夜遅くまで部屋で作業をしていた。




