幕間 葛藤の夜
カルミラが帰った後、凪に制裁を加えたフィオナは就寝準備を整えて布団に入ろうとしていた。
「まったく、凪ったらデレデレして……あんなにだらしないデカイだけの脂肪がそんなに魅力的だとでもいうのかしら」
平均的な日本人よりも大きな胸を持つフィオナでも、あの尋常ではない大きさの胸の前では霞んでしまう。凪が魅入ってしまうのは男だからしょうがないとは理解できる。理解はできるのだが、それがなぜか凄くムカついてしまうのだ。考えれば考えるほど、胸の奥がもやもやとざわついて落ち着かない。
「だいぶ荒んでおるのう。そんなに悔しいか?ん?」
いつぞやのように、気付くと天井にいるカルミラ。その姿を視界に捉えた瞬間、反射的に魔法を唱えていた。
拳ほどの大きさの炎の塊が無数に発生し、円形に広がる。それらは一度大きく外側に膨らむような軌道を描いた後、一斉にカルミラへと収束していく。だが案の定、触れた瞬間に音もなく霧散した。
「ちっ、燃やしてもダメね……」
「無駄じゃ無駄。ただの魔法ではわしは殺せんぞ?精霊魔法が使えたら話は別だがのう?」
悔しそうに歯噛みするフィオナを、カルミラが愉快そうに煽る。その一言が、フィオナの逆鱗に触れた。
「何を知ってるのかは知らないけどね!精霊魔法が使えなくたってちっとも困らないの!魔法も、弓も、格闘術も、経済学も国家の運営だって、なんだって学んできたわ!私はなんだって出来るのよ!」
自分でも驚くほど声が荒ぶる。抑えようとしても抑えられない。胸の奥に溜まっていたものが、言葉となって溢れ出してくる。
あまりの剣幕に一瞬たじろぐカルミラだったが、すぐに口元を歪めて、からかうような表情へと戻った。
「どれもそれなりにはできるのじゃろうが、所詮その程度よの。各分野の専門家には及ぶべきもない、中途半端な王女よ。何を知っているかとな?なんでも知っておるとも」
中空に浮かび、背中から伸ばした羽でゆるく羽ばたきながら、カルミラはゆっくりと距離を詰める。そしてそのまま、フィオナの顔のすぐ目の前まで近付いた。
「精霊が見えず、精霊魔法は使えない。世継ぎが産まれるまでのスペアとして育てられ、男子が産まれるや否や継承権を剥奪され。それでも状況をよくしようとあらゆる物に手を出すが、どれも一級品と言えるほどものにする事は叶わず」
一つ一つ、抉るように言葉を重ねていく。
「それはそうじゃろうのう。各分野のエキスパートとも呼ぶべき奴らは、精霊魔法ありきじゃからな」
目の前の存在は、全てを見透かしている。そう思った瞬間、背筋がぞくりと冷える。フィオナは思わず、化け物を見るような視線を向けていた。
「それでも、努力をやめる理由にはならないわ」
震えそうになる声を、無理やり押し出す。
「いつか精霊魔法が使えるようになった時、全ての学びが花開くのよ。私はその時まで、諦めないわ。必ずね」
半分は強がり。それでも、確かに本心だった。苦しくても、辛くても、足掻き続ける。それが自分の選んだ生き方だ。
「その様子では、当分無理じゃろがな……時にお主よ」
「な、なによ」
今までのからかうような声音とは違い、ほんの少しだけ真面目な響きを帯びた問いに、思わず身構える。
「お主、凪に惚れておるのか?」
「……は?」
一瞬、意味が理解できなかった。惚れる?凪に?頭の中が真っ白になる。思考が止まり、表情が抜け落ちたように無になる。
「私が凪を?そんな事ある訳ないわ。私は王女で、エルフなのよ?」
「そうじゃのう。しかしその割には、随分と振り回しておるようじゃが」
「別に振り回してなんかいないわよ!ただ、凪がデレデレして鼻を伸ばしたりするから……」
言い訳のように言葉が続く。
「別に良いのではないか?男なんじゃ、そりゃー見るじゃろ」
ボンッと音を立てるようにして、カルミラが成長した姿へと変わる。見せつけるように自らの胸を両手で支えてみせる。
「魔力で維持してる癖に!そんなの偽乳よ!」
すぐに少女の姿へと戻り、やれやれと肩をすくめるカルミラ。
「揉めばそこにあるのじゃから、偽も何もあるまい?話を戻すぞ」
すっと表情が引き締まる。
「凪がわしにデレデレしたとて、お主になんの関係があるんじゃ?仮にわしと凪が体を重ねたとして、なんの問題があるというのじゃ?」
「……」
言葉が出ない。問題があるかと問われれば、別にない。何もないはずだ。ただ――胸の奥がざわついて、イライラして、どうしようもなく落ち着かなくなるだけだ。
耳鳴りのような音が、頭の奥で響く。
「自分でもよく分かっておらんのかのう?流石は箱入りの王女様じゃな。しかし、よく考えた方がいいぞ?」
至近距離まで近付いたカルミラが、じっとフィオナの目を覗き込む。
「お主は、帰るのじゃろう?元の世界に。仮になんとかなっても、凪は人間じゃ。結ばれたとて、あっという間にあの世じゃろうのう」
ぐるぐると、言葉が頭の中を巡る。理解しようとしても、うまく纏まらない。
「逆に辛くないかの。それならいっそ、最初から惚れない方がマシだと思うがの」
「うるさい!私は別に惚れてなんていないのよ!」
ダン!と床を叩く。固く握りしめた拳から、じわりと血が滲む。
「なら、わしが頂いてしまおうかの。彼奴の血は美味であった……とても、懐かしい味であった」
一度言葉を切り、ゆっくりと続ける。
「お主が要らないのであれば、わしが貰ってもよかろう?なぁに、主の分まで極楽の気分を味あわせて――」
「うるさい!うるさいうるさい!さっさと消えなさいよ!」
感情が爆発する。怒りとも焦りともつかないものが、一気に溢れ出す。
「ほんに、からかいがいのある女じゃ。じゃが、真剣に考えた方がよいぞ?真に、これは忠告じゃぞ」
そう言い残し、カルミラの姿はふっと夜に溶けるように消えた。
静寂が戻る。
「……」
胸のざわつきだけが残る。
布団に入っても、目を閉じても、カルミラの言葉が頭から離れない。
その夜は、なかなか寝付くことは出来なかった。




