美味の味
「では、早速頂こうかの」
舌なめずりをしながら近づいてくるカルミラ。目が怖い、というか完全に獲物を見る目だ。じりじりと距離を詰められていくと、思わず一歩後ずさりそうになるのをなんとか踏みとどまる。
「お、お手柔らかに……」
少したじろぎながら身構えると、カルミラはくすりと笑った。そのままふわりと抱きつくようにして、肩に顔を寄せてくる。いきなり距離が近い。柔らかい感触と、ふわっと香る甘い匂いに一瞬思考が止まる。
次の瞬間、かぷっと肩に噛み付かれた。
「っ……」
思わず声が漏れる。だが想像していたような激痛ではなく、チクッとした程度で、むしろじわりと熱が広がるような、不思議な感覚だった。吸われている間、力が抜けるような、ぼんやりとするような感覚がじわじわと広がっていく。
視界の隅に、ブルブルと体を震わせているフィオナと、面白そうなものを見る目でこちらを凝視しているルッカの姿が目に入る。なんだかすごく複雑な気分だ。
しばらくして、ぷはっと肩から口を離したカルミラが満足そうに息を吐いた。
「大変美味だったのじゃ。これだけ美味い血は久々じゃあ……」
光悦とした笑顔でそう呟くと、ぶつぶつと「あの頃は良かったのう」とか「あいつの血の味に似とるのう」とか、よく分からないことを口にしながら、懐かしむように目を閉じる。その瞳の端から、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちた。
吸血鬼も色々と大変なのだろう。
「ちょっと、あんたねぇ!!」
今まで我慢していたのであろうフィオナの怒りが、ついに爆発した。
「どうして!わざわざ!抱きついて肩から吸うのよ!腕からでも吸えばいいでしょう!?」
確かに言われてみればその通りだ。というかなんでそんな密着する必要があったのか。
指摘されたカルミラは、ニヤァと口元を歪めると、わざとらしく俺の肩に残った歯型を指でなぞり、フィオナに見せつける。
「別に腕でも肩でもよかろう?何を焦っておるのじゃ?」
「見てる分にはいやらしい感じにしか見えないのよ!」
「それはお主の感じ方が悪いだけであろうよ。前もって血を頂くといっておったであろう?やらしい女じゃのう」
ぐぬぬぬぬ、と今にも音が聞こえてきそうなほど歯噛みするフィオナ。その様子にさらに火を注ぐように、ルッカがぽつりと呟いた。
「凪もカルミラの髪の匂い嗅いでたんだぞ。鼻の下が伸びてたんだぞ」
「別に伸ばしてなんか――」
「な、凪ー!」
言い訳しようとしたが、言い切る前に顔を真っ赤にしたフィオナにぽこぽこと叩かれる。これはもう何を言っても無駄だと悟り、甘んじて受けることにした……。
しばらくして落ち着いたのか、フィオナは顔を真っ赤にしたままそっぽを向いた。
「仲がいいようで羨ましいのう」
「うるさいわよ!」
どうもこの2人はとことん相性が悪いらしい。
それぞれに飲み物を用意し、ひと息つく。なんとなくカルミラにはトマトジュースを差し出してみた。気分だけでも血の代わりになるかもしれないと思ったのだが。
「うむ、美味いのう」
足元でイーリンに小突かれながらも、優雅にトマトジュースを飲んでいる。
「満足してもらえたなら何よりだよ」
「うむ。味も悪くないが、なんと言っても新鮮な飲み物というだけで嬉しくなるのじゃ」
少しだけ、その言葉に胸がチクリとする。今までどんな生活をしていたのか、なんとなく想像できてしまうからだ。
「普段はどこで生活しているの?」
「特に決まってはおらんなぁ。ふらふらと仲間を探しながら彷徨っておるのじゃ」
「そうかぁ、大変だね。寝る場所もないなら、家で良ければ泊まるくらいいいよ?」
善意で言ったつもりだったのだが、カルミラは一瞬きょとんとした後、にやりと笑った。
「つまり、血を飲ませるから代わりにナイスバディになったわしを抱かせろということじゃな?」
「違うから!」
間髪入れずに否定したが、完全にからかう気満々の顔だ。
「ルッカ!殺りなさい!」
「了解だぞ」
即座にハンマーを構え、振り下ろすルッカ。その動きは目で追えないほど速かった。次の瞬間、カルミラごと椅子が粉々になる光景が頭をよぎる。
だが、そうはならなかった。
ハンマーは確かに当たっている。だが、そこでぴたりと止まっているのだ。
「これこれ、凪にかうようにグロテスクな光景を披露するつもりかの?いくらわしが無敵じゃからって無茶をするものではないぞ?」
「く、ほんとデタラメね。なんにも効きゃしないじゃないの」
ルッカは舌打ちしながらハンマーを下ろし、腰の工具入れにしまう。どう考えても入るサイズじゃないのだが、やはり魔道具なのだろう。
一連の出来事をぽかんと見ていた俺は、はっと我に返る。
「そもそも、そんな目的じゃないから!ただの親切心だから!」
必死に誤解を解こうとするが、カルミラは楽しそうに肩を揺らすだけだ。
「これを見ても、そう言えるかのう」
赤いもやのようなものがカルミラの体を包み込む。次の瞬間、姿が変わった。
少女の姿は消え、そこにいたのは恐ろしく整った顔立ちと、均整の取れた体を持つ女性。胸元は大きく、手足はしなやかで、薄汚れていた服までもが新品同様に変わっている。
思わず、見とれてしまう。
「なーぎー?」
低く、圧のある声。
俺は慌てて視線を逸らした。
「まぁ、冗談はともかくじゃ。わしは仲間を探しながら今まで通りブラブラするでの。たまにお邪魔した時にでも、もてなしてくりゃれ」
そう言って、ふっと元の少女の姿に戻る。
「随分と長居してしもうたの。そろそろお暇させてもらうでの」
軽く手を振ったかと思うと、次の瞬間にはその姿は消えていた。
「なんか疲れたな……」
一気に力が抜ける。色々ありすぎて、頭が追いつかない。
席を立とうとしたその時、背中に刺さるような視線を感じた。
「少し、お話する必要がありますわね?」
「ご愁傷さまだぞ」
夜は、まだ終わりそうになかった……。




