拗ねるイーリン
いつものように三人で朝ごはんを食べて、凪が出勤した朝。いつもなら水の催促に来るイーリンが姿を見せない。というより、海に行った日からずっと土の中に潜ったまま、顔すら出していないのだ。
フィオナは少し心配になりながらも、じょうろに水を入れてベランダへ出る。順番に水をやっていき、最後にイーリンのプランターへ水をあげる。片付けてダイニングに戻ろうとしたその時、背後からかすかな物音が聞こえた。
「……!……!」
振り返ると、イーリンが土からぬっと現れ、なぜかブレイクダンスのような動きをしている。
「一体何かしら」
どうやら体調が悪いというわけではなさそうだ。そもそも体調という概念が当てはまるのかも怪しいが。
「何か伝えたいのかしら」
フィオナがそう呟くと、イーリンはぴたりと動きを止める。今度は手を額にかざすようにして空を見上げた。
「太陽が眩しい?」
イーリンはこくこくと大きく頷き、今度は腕を左右交互に円を描くように回し始める。
「えーと……何かしら」
伝わっていないと分かったのか、今度はうつ伏せになって足をばたばたさせながら腕を回し始める。
「あ、泳いでいるのね!」
激しく頷くイーリン。そして次の瞬間、点と線で出来ていた顔がぱっと変わり、見慣れた男の顔になる。
「凪の顔ね……え、何それ。そんなことも出来るの?」
戸惑いを隠せないまま見ていると、イーリンはまた顔を変える。
「今度はルッカ……」
さらにぱっと変わり、今度はフィオナ自身の顔になる。
「私たち三人がどうしたの?」
頭の中で情報を繋げていく。三人、泳ぐ、眩しい太陽。
「ひょっとして……海に行きたかったの?」
イーリンは正解だと言わんばかりに腕で丸を作り、そのまま地団駄を踏み始める。
「ま、待って、落ち着いてちょうだい!」
慌ててなだめに入るフィオナ。
「海は人が沢山いたし、イーリンは目立つのよ。さすがに人目が多いところに連れていくのは難しいわ」
そう言うと、イーリンはガーンという音が聞こえてきそうなほど分かりやすく落ち込んだ。顔に線が入っているので、多分間違いない。
「そのうち、イーリンも一緒に行けるような場所に出かけることもきっとあるわ。その時に一緒にお出かけしましょう?」
本当?と言いたげに見上げてくるイーリンの頭を撫でると、安心したように足にぎゅっと抱きつき、そのまま自分のプランターへ戻って土の中に潜っていった。
⸻
夜。三人でお風呂に入り、まったりとした時間を過ごしている中で、フィオナは今日あった出来事を凪に話して聞かせた。
「へー、イーリンが……すごい特技だね」
やはり気になるのは顔の変化らしい。自由自在に変えられるのだとしたら、なかなか恐ろしい能力だ。
「うーん、イーリンも連れていける場所か……次の夏祭りは難しそうだしね」
「また行けないってなったら、本気で拗ねそうなんだぞ」
ルッカの言葉に、凪は頭を抱える。
「そうだなぁ……」
どうすれば納得してくれるかを考える。
「イーリンを連れて遊びに行くしかないんだぞ」
それもそうだな、と頭の中で候補を探していくが、どこも人目が多い場所ばかりだ。特に夏休みのこの時期は、どこへ行っても人が多い。
「やっぱり、個室というか……家族単位で過ごせる場所が必要よね」
家族、という言葉に少しだけ胸の奥が温かくなるが、今はそれどころではないと意識を戻す。
「家族単位……個室……」
そこでふと、思い出した。この県の北部にある有名な温泉地のことを。
「夏祭りの後にはなるけど、温泉旅行なんてどうかな。家族風呂がある宿なら、イーリンも一緒に入れるだろうし」
その提案に、フィオナもルッカも一気に表情を明るくする。特にフィオナの反応は分かりやすい。
「温泉って、あれよね。普通のお風呂とは違って、芯から温まるお湯で……美容にもいいっていう」
「楽しそうなんだぞ!」
二人の反応を見て、凪は温泉旅行に行くことを決めた。多少出費は増えるが、ルッカが生活費も入れてくれている今なら問題はない。
「じゃあ明日、イーリンに伝えておくわね」
その日はそれぞれ、新しい夏の予定に胸を弾ませながら眠りについた。
翌日。温泉旅行の話を聞いたイーリンは、見たこともないほど整った美形の顔になり、一日中フィオナの足に絡みついていた。




