幕間 イーリンの一日
遅刻しました
私の名前は、イーリンというらしい。この家に住んでいる、なよなよした生き物が名前を付けてくれた。凪という名前らしい。いつも私の世話をしてくれているフィオナという名前の女が、色々なことを教えてくれた。隣にいる小さい女も、時々は遊んでくれる。今日も水やりの時間になったので、私はフィオナに水を催促しにダイニングの中へ入った。
服を脱ぎ散らかしていたルッカを、フィオナが鬼のように怒っている。ルッカは謝りながらお菓子を食べている。ふてぶてしい女だ。私はフィオナの裾を引っ張って催促する。
「あら、水やりね。わざわざ教えてくれてありがとう」
私は大根だ。そんな私にも丁寧な言葉遣いが出来るこの女は、立派だと感じる。胸を張っていいと思う。
フィオナから水の入ったじょうろを受け取り、ベランダに戻ってプランターの仲間たちに水をやっていく。
「いつもありがと〜♪」
「感謝するぞー」
仲間たちの声だ。相変わらずレタスは陽気に歌い出すし、苺は仲間とイチャイチャしている。動き回れる私が仲間たちの安全を守るのだ。
皆に水をやり終えると、待機していたフィオナにじょうろを渡し、いつものように私のスペースへ戻って根を張る。完全に埋まったことを確認すると、水をくれる。水をもらって満足すると再び土から這い出て、ダイニングの中へ向かった。
すると凪が慌てた様子で部屋から出てきた。
「ちょっと寝過ごしちゃった!悪いけどすぐ出るよ」
寝過ごしてしまったらしい。慌てて準備をしている凪を見て、なんとなく面白そうな気配を感じた私は、凪の鞄の中に忍び込んだ。
「行ってきます!」
すぐに準備を終えた凪が玄関へ小走りで向かう。
「いってらっしゃい」
フィオナに見送られ、バタバタと家を出る凪の鞄の中で揺られているうちに、私はうとうとしてしまった。気が付いた時には酷い揺れの中にいて、どうやら少し寝てしまっていたようだ。周りからぎゅうぎゅうと押されるような圧力を感じ、少し苦しいし揺れるしで気持ち悪くなり、鞄の中に吸収していた水を少し吐いてしまった。メモ帳らしき紙の束を濡らしてしまった。すまない、凪。
いつしか揺れは収まり、周りからの圧力からも解放された。それからしばらくすると完全に動きが止まり、鞄が開いた。私は見つからないように物と物の間に隠れる。凪が目を離した隙に鞄から出ると、なんとか見つからずに済んだようだ。
こっそり凪の後をついていく。どこかの部屋に着くと、何やら人が集まって話をしている。内容はよく分からない。話が終わるとすぐに凪が移動するので、また後をついていく。知らない部屋に入っていく凪の後について、こっそり中へ入った。
「おはよう、小日向さん」
「おはよう。今日はギリギリだったね、珍しい」
凪が小日向と呼んだ女と会話している。
「携帯のアラームをかけ忘れちゃって」
「しっかりしないと」
軽い感じで話し合う二人は仲がいいのだろう。気安い雰囲気がする。
「そういえばうちの祖母なんですけど、体を壊しちゃって」
「えー、大変じゃないですか」
小日向の話を凪が聞いている。会話の内容はよく分からないが、なんとなく隠れて聞いている私。
「祖母が小さいけど喫茶店をやってて、もうお店を畳むつもりらしいんですけど、お店いらないかって聞かれて。でも私、今度結婚するから彼氏の家に住む予定だからどうしようかなって。相続しても使わないなら売ってしまうのもアリかなって祖母と話してるんですよ」
「そうなんですか……」
「凪さんはお店とかやる気……ないですよね」
「お店か……」
凪が考え込んでいる。お店を開く予定でもあるのだろうか。
「庭とかってあるのかな」
「それなりに広いですよ。庭でバーベキューしたりしましたから」
更に考え込む凪。庭があるなら、狭いプランターではなく広々と仲間たちと過ごせるかもしれない。買うのかは知らないが。
この辺りでまた眠気を感じた私は、凪の鞄に戻って休むことにした。鞄の中に入ると、私は瞼……はないが、視界を閉じた。
「あれ、イーリン」
凪が鞄を覗き込んでいる。どうやら仕事が終わるまで寝続けてしまったらしい。
「着いてきちゃったんだね。もう仕事終わったから、一緒に帰ろうか」
凪と二人で家に帰った。家に帰るとフィオナが慌てて玄関に出迎えにやってくる。
「凪、イーリンがいないの!」
私は鞄からひょこっと頭を出すと、フィオナは安心したようにほっと胸を撫で下ろした。
「勝手に外に出たら危ないじゃない」
私は謝罪の意味も込めて頭をぶんぶん振り回した。存外、外の空気はおいしかった。




