台風接近
あれからというもの、フィオナは毎日欠かさずベランダに出て、プランターへ丁寧に水をやり、小さな芽ひとつひとつに向かって優しく話しかけている。まるで子どもをあやすみたいに、今日は風が強いわね、とか、ちゃんと陽を浴びるのよ、なんて声をかけながら、愛おしそうに葉を撫でる。その姿を見ていると、元気に育ってほしいなと自然に思えて、俺もつい温かい目で見守ってしまう。
そんなある日、何気なくつけていたテレビで天気予報が始まった。画面の端に渦を巻く雲の映像が映し出され、春には珍しい台風が近づいていると告げられる。強い雨風への注意を促す予報士の声が、やけに重く響いた。
「この時期に台風かぁ。ベランダの植物は大丈夫かな」
隣で一緒に椅子に座っていたフィオナをちらりと見ると、顔色を変えてアワアワしている。
「た、大変よ! ベランダが広がっているだけで、雨風の影響はそのまま受けてしまうのよ。対策を考えないと!」
そう言うなり、ばたばたとベランダへ飛び出していく。俺は少し不安に思いながらも、下手に口を出さず、頼まれたら手伝おうと決めて様子を見ることにした。
しかし、外に出たと思ったフィオナはすぐに戻ってきた。
「ビニールシートを買ってきてもいいかしら」
さっきよりは落ち着いている。どうやら覆って守るつもりらしい。
「いいよ」
そう答えると、フィオナは手早く身支度を整え、財布を掴んで家を出ていった。その背中には焦りと責任感が同時に滲んでいる。
入れ替わるように、ルッカが部屋からのそのそと出てきた。
「フィオナはどこかにいったんだぞ?」
見覚えのないゲーム機を手に、画面から目を離さないまま問いかけてくる。
「台風が近づいてるらしくて、急いでビニールシート買いに行ったよ」
「そうなのか……」
短く返事をすると、ルッカは棚からお菓子を取り出し、机に置いてぽりぽり食べながらゲームを続ける。
「家にそんなゲーム機あったっけ」
気になって聞くと、ルッカはようやく手を止め、こちらを見てにっと笑った。
「遊びたいんだぞ?」
答えになっていない気もするが、本人が楽しそうならまあいいかと、「いや、ルッカが遊んでていいよ」とだけ返しておく。
俺はスマホをいじりながら、時折テレビに目をやる。そんな風にまったり過ごしていると、玄関の開く音がした。
「ただいま、帰ったわよ」
フィオナは戻るなり、買ってきた分厚い透明のビニールシートを抱えてそのままベランダへ向かう。これなら光も通るし、常時張っていても問題なさそうだ。
「ビニールシート張るの、手伝おうか?」
ベランダに顔を出して声をかけると、フィオナは振り向いて柔らかく微笑んだ。
「ありがとう。でも大丈夫よ。私が頑張って育てることに、意味があるのよ」
そう言って、シートの端を一つひとつ丁寧に結び、風に煽られないようしっかり固定していく。小柄な体で背伸びをしながら、黙々と作業を続けるその姿は、どこか神聖にすら見えた。
「分かった。終わったらお茶入れておくから、飲んで」
そう伝えると、フィオナは小さく頷き、「ありがとう」とだけ言って再び作業に集中する。
必死に頑張る彼女を見ていると、なんだか眩しいと思った。俺はこれまで生きてきて、何かにここまで真剣になった記憶があるだろうか。勉強はしてきたし、それなりに努力もしたつもりだ。でも、人より頑張ったと胸を張って言えるものが思い浮かばない。
風に揺れるビニールシートを押さえながら、それでも手を止めないフィオナの背中を見つめながら、ふと口をついて出る。
「そろそろ本腰入れて、資格の勉強でも始めようかな……」
前を向いて努力するということの大切さを、俺は今さらになって、彼女から教えられている気がした。




