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私のこと、嫌いでもいいわ

 今度は彼女は素直に従った。それをみて、リリーはなんとなく、マーガレットは自分を待っていたのでは、という気がした。


(プライドが高くて、友達にも助けてって言えないから、新参者の私になんとかしてほしかった…みたいな?)


 しかも素直にどうにかしてとは言えず、「あなたがやったんでしょ!」といちゃもんをつけて。

 プライドが高すぎるのも考え物だな…と思いながらリリーは渾身の力で取っ手を引っ張った。狙い通り、ほんの少し戸が開いた。


「やっぱり。勢いつけて開けなくて正解。内側の取っ手に重しがついてるわ」


「重し?」

 

 マーガレットが隣にきて覗き込んだ。触れた肩が、驚くほど冷たかった。


「ほらこの石。力任せに開けたら石が外に落ちて、取っ手につないだ紐が切れてあなたの足の上にでも落ちてたんでしょうよ。これ、見越してたの?」


 彼女はふるふると首をふった。石はレンガの大きいもので、リリーは紐をちぎってそれを外に出してやった。


「この重さ、あたってたら足が骨折してたかもね。先生に報告したら?」


「…無駄よ。私が悪いと思われるだけ」


 その声は固かった。


「そう…。着替えたら?だいぶ顔色悪いわよ」


 彼女はロッカーに手をのばしたが、ためらうように引っ込めた。その手は震えていた。


「大丈夫、別に他はなにもなかったわよ」


 さすがにそれ以上めんどうを見てあげる気にはならなかったので、リリーはその場を去った。



◆◆◆



 リリーが去ったのを確認してから、マーガレットは震える手で自分の服を取り出して、安堵した。とりあえず服はもとのままだった。リリーに言われるまでもなく体は冷え切って、お腹が痛かった。


 長袖の制服にそでを通して、マーガレットはやっと人心地つくことができた。たとえ友人の前でも、困った素振りを見せるわけにはいかなかった。今の自分が弱みを見せれば、彼女たちはたちどころに自分から離れていくだろう。ただでさえもうあとがない、崖っぷちの状況なのだ。ここから力を盛り返していかなければ、自分は遠からずあのリリーに負けてしまうだろう。


 彼女を最初に見たときから、それはわかっていたことだった。皆が、おそらく自分の友人でさえも、ひそかに彼女に期待していることを。


 以前はマーガレットに追い風が吹いていた。怖いものなどなかった。が、その風は停滞し、今度はリリーに向かって吹き始めた。そも、風を止めてしまったのは自分だ。だけれど突然現れたリリーの存在は、マーガレットを打ちのめした。


(やっぱり、このままでは済まないんだ…これは、私への罰なの?)


 しかしマーガレットは、無理やりその弱気な考えを心の奥底に押し込んだ。自分の心は真っ黒だ。それはよく知っている。

 自分のことが一番、他人などどうなってもかまわない。これまでそう思って生きてきた。それが悪い事などとは思いもしなかった。

 だが、そのツケは大きかった。心の底にある黒鍋に押し込まれた不安は、ふたをしてももうあふれ出しそうだった。毎日叫びたくなるのをこらえていた。なんとか踏ん張っていられるのはただ一つ希望があるからだった。

 その「希望」を確かめに、マーガレットは今日も事務所へこっそりと向かった。


「私に手紙、来てません?」

 さえない事務員の女はまたか、という目でマーガレットを見た。嫌な態度だったが、次の瞬間そんなことはどうでもよくなった。


「ああ、来てますね。ミス・キング宛て。お家から」


「ありがとう」


 マーガレットは平静を装って手紙を受け取った。

 ずっと、ずっと待ち続けていた。うれしい、うれしい。さあどこで開けよう? 抑えようとしても、自然と口の端に笑みが浮かんでしまった。



 ◆◆◆



「あれ、今日の練習…マーガレットは欠席?」


 リリーは困った。今日から本格的なペアを組んでの練習なのだ。


「練習をボイコットしてリリーを困らせようって魂胆かしら」


 アリーナがぷりぷりしながら言った。だが練習に入ると、彼女のことなど気にしている余裕はなかった。


 再びマーガレットのことを思い出したのは、放課後だった。明日はミセス・ムーンの授業だったので、リリーは図書室へ向かった。するとそこに彼女がいたのだ。本を繰る横顔は見事なほどやつれていた。


「ちょっと、平気?」


「何がよ。話しかけないで」


 彼女ははっと顔を上げたが、すぐに強がってみせた。顔色の悪さもさることながら、目の下のクマも痛々しかった。


「すごい顔色してるけど。部屋に戻ったら?」


「お…大きなお世話よ。放っておいて」


 彼女は本棚にもたれかかって上目遣いでリリーを睨んだ。追い詰められた動物のように。


「そう…わかった」


 リリーが踵を返したのと、マーガレットがずるずると床に座り込んだのは同時だった。


(まったく、もう)


 リリーはとって返して彼女の手を取った。冷たい。


「立てる? 医務室行こう」


 彼女は何も言わず、ぴくりとも動かない。仕方なく肩をかついで立たせる。


「ちょっと…歩ける?」


 彼女がかすかに首を振ったのがわかった。


「じゃあほら、背中につかまって」


 意外にも彼女は素直に背中に体重を預けた。意地を張るのも限界だったのかもしれない。

 リリーは医務室に彼女を送り届け、そのまま部屋へ戻った。マーガレットは目をつぶって、何の反応もなかった。


(こんな体調で主役なんてつとまるの? この人…)


 さすがのリリーも、心配になった。


 


 その次の日は大雪が降った。校舎にも庭にも梢にも、たっぷりと雪が積もった。冬の到来だ。


「あーあ、もっともっと寒くなる。やんなっちゃうわね」


「でも冬はクリスマス休暇もあるわ」


 ぶつくさ文句を言いながらも、クラスメイト達はどこか浮足立っていた。


「リリーは休暇、どうするの?」


「私は学校に残るわ」


 きっぱりとリリーは言った。家と呼べる場所は、もうどこにもないのだ。


 数日して、マーガレットはやっと練習に現れた。相変わらず顔色は悪かったが、この間よりも体調はましなようだった。これでやっとペアの練習ができる。最初のアップで、リリーはマーガレットに声をかけ

た。


「もう大丈夫なの?」


 彼女は一瞬リリーを見て、少しだけうなずいた。悔しいけど、助けられた手前、バツが悪いという表情だった。

 リリーは思わず笑ってしまいそうになった。彼女にはいろいろされたはずだが、なぜか憎めないという感情が湧いた。


「そう、もう無理しないで」


 彼女はムッとした顔になった。


「余計なお世話よ」


 マーガレットは立ち上がってリリーに向き合ったが、いつもの勢いがなかった。リリーはかまわず言った。


「ストレッチしましょう。そっちが先でいいわよ」


 仕方なしというように横になった彼女の足を、リリーは伸ばした。顔と顔が近づく。放射線状に伸びたまつげに縁どられた青い目は、怒っているような、どこかすねているような色だった。リリーはふとに言った。


「私のこと、嫌いでもいいわ」



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